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(回答先: Re: ××さんの質問に答える > 【戦争阻止のカギ】フィデル・カストロ、曰く――「インターネットは通信の独占を打ち破る武器だ」 投稿者 ×× 日時 2003 年 3 月 27 日 16:48:53)
××さん、曰く――
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Re: ××さんの質問に答える > 【戦争阻止のカギ】フィデル・カストロ、曰く――「インターネットは通信の独占を打ち破る武器だ」
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/347.html
S25 347 2003/3/27 16:48:53
投稿者: ××
「これまで知られなかった」が
ドクトリン を形容するのか(スペイン語なら女性複数でわかる)、
危険性 を形容するのか(スペイン語なら男性複数)、
思想戦 を形容するのか(スペイン語なら女性単数)、
よくわからなかったのです。会話引用形式でしたので明確さに欠けることがあるもので。
やはり
>「doctrines」というのは、少なくとも「ならず者国家」概念とか「“文明の衝突”を肯定する世界観」とか「米国の一方的な外交政策」とか「先制攻撃戦略」
という、アメリカのものをはっきり名指しせずに示しているという説ですか。
しかし「新しいドクトリン」について「これまで知られなかった」と付けるのは、重複以外に何か意味があるのでしょうかね。(新説に対する軽蔑?)
「インターネットでの思想戦」とか「危険性」が「これまで知られなかった」と言うほうが意味があるように感じましたので。
参考投稿番号: http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/344.html
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●ロシアのプラウダが報じた「doctorines」の内容がどういうものかは、情報不足なので意味内容を確定できません。わたしはキューバ政府とかカストロのスポークスマンでないから、カストロ氏が原語でどういう言葉を使い、それにどういう意味を込めたのかははっきりとは判りません。ただ合理的な推論で推測するのみです。
●私が投稿した紹介記事のなかの、問題の記事(原文と訳文)はつぎの通りでした――
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As for the Internet, Castro said it was an extraordinary weapon to "stop the cultural invasion" and could lead to the "final victory" of the global public opinion. "There is another battle underway, a battle of ideas to offset the perils of new doctrines previously unknown", emphasized Castro.
【インターネットについて、カストロ氏は「文化侵略を阻止する」きわめて強力な武器であるし、インターネットには全世界の世論に「最終的な勝利」をもたらす潜在力がある、と語った。「目下、もうひとつの戦いが行なわれているのだ。それは、これまで知られていなかった新たな“教条的政策[ドクトリン]”の危険性を打ち破るための、思想戦にほかならない」――カストロ氏はそう強調した。】
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●当初、私は、「new doctorines」を「新たな米国の外交ドクトリン」と訳したのですが、そういう意味上の限定(definition)が行なわれているという保証はないし、他の意味内容を込めている可能性も考えられるので――つまり「ならず者国家」概念とか「“文明の衝突”を肯定する世界観」とか「米国の一方的な外交政策」とか「先制攻撃戦略」など――ここは意味内容を具体的に補訳することを避けました。
●翻訳というのは「原文の書き手が合理的な思考を行ない、用いる言葉に一般的な意味内容を込めている」という暗黙の前提のなかで行なう作業です。そういう前提を故意に破壊して読み手との間に“壁”を創り出す表現活動もないことはありません。(いまや“ピンクフロイド”を独占しているロジャー・ウォーターズの、思わせぶりなライブ・パフォーマンスを指しているのではありません。たとえば『フィネガンズ・ウェイク』のようなテキストの原作やその翻訳の“表現行為”としての意義を指しているのです。) そういう“コミュニケイション”を敢えて拒絶する表現活動はここでは除外して、一般的な報道記事などについていえば、上述のような暗黙の前提にたった上で、事実関係などの情報が書き手と読み手との間で共有(コミュニケイト)できていない場合は、文法規範という“共有財産”を前提として、統語論的な分析によって、意味を推測・確定していくしかありません。
●なお、英語のニュース記事などでは珍しいことではありませんが、冗長表現や重複表現はままあることです。今回のプラウダ記事の「new doctrines」と「doctrines previously unknown」が、冗長な重複なのかどうかは簡単には判定できませんが――なぜなら「new doctorines previpously known(すでに知る人は知っていたが新奇な教条)」のようなものだってありうるから――論理的な推測で、これは冗長表現ではないかと思います。
●ネットで調べれば、かなりのことを自分で調べることが出来る時代なのですから、他人に聞いてばかりいないで、自分で調べてみてそれを発表したらどうですか? 他人に聞いてばかりいる態度は“2ちゃんねる”あたりでは「おしえてチャン」などと馬鹿にされますが、阿修羅でも「おしえてチャン」みたいなことを続けているのは怠慢だと思いますよ。