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01/05 15:01 タリバンは消滅していない 「忘却」に傷ついた祖国 外信441
共同
イラン・フランス合作映画「カンダハール」(モフセン・マフマ
ルバフ監督)に主演したアフガニスタン出身の女優ニルファー・パ
ズィラさんは、オタワを拠点に活躍するジャーナリストでもある。
このほど来日し、東京のホテルでインタビューに応じたパズィラさ
んは、色彩鮮やかなアフガンの民族衣装で現れた。口調は穏やかだ
ったが、世界に遍在する「タリバン的なもの」への強い警戒感、米
中枢同時テロで戦争の舞台となるまで世界から忘れ去られ、今なお
国際社会の忘却と闘う祖国への思いを語った。(聞き手・共同=軍
司泰史)
―人々を抑圧したタリバン政権の崩壊と新政権誕生で、アフガン
の悪夢は終わるだろうか。
「タリバン政権は崩壊したが、政権を支えた人々は宗旨変えして
生き残っている。ただ単に所属を変えただけだ。組織の背後にあっ
た思想は延命している」
「私にとり、タリバンとは単なる政治勢力ではない。人々を無視
し、飢えさせ、戦争に駆り立てたグループの総称だ。自分たちが真
実だと考える人々、自分たちだけが真実を握っていると考え、支持
を強要する人々の意味だ。そうしたものは私たちの周りに、依然と
して満ちあふれている」
× × ×
パズィラさんの言う「独善」はタリバンのみに向けられた言葉で
はないようだ。アフガンを「解放」したとされる米国や西欧諸国の
振る舞いにも強い抵抗感を語る。日本にこれまで伝わっていなかっ
たアフガン人の生の思いがにじむ。
× × ×
「北米で洪水のようなアフガン報道を見て欠けているものを感じ
た。一つはアフガン人の普通の生活。そして歴史的な文脈だ」
「タリバンは米国の友人だった。タリバン政権の初期、九五年ご
ろ米国はタリバンの幹部をカリフォルニアに招待し、ショッピング
・モールで買い物をさせた。費用は米国が出した。当時、米国の石
油会社はアフガンにパイプラインを敷設しようとしており、周辺地
域の安全を求めていた」
「だが、タリバンの悪いイメージが伝わり、政権の継続が危うい
と見ると、米国はタリバンへの支援を見直した。そして、アフガン
に爆弾の雨を降らす道を選んだ」
「タリバン政権を崩壊させたのは米国だから、アフガンの人々は
米国に感謝すべきだという考え方を、私は理解できない。国内に一
千万個の地雷が埋まり、日々人々の手足を奪い、飢餓の渦中にある
国で生活することがどのようなものか、想像できるだろうか。米国
はそんな国にやって来て、さらに爆弾を投下していった。そして、
『ありがとう』と言うべきだという」
―昨年九月十一日の悲劇はあなたの何を変えたか。
「米中枢同時テロの直後、復しゅう心に駆られた人々から、速や
かな反撃を主張する声を聞いた。私は自由や民主主義がもろさを抱
えていると感じた。まるで、崩れ去ったビルディングのように」
「個人的に言えば、テロとその後の進展は私にある種の責任を自
覚させた。私が無意識に失っていたもの。見捨てられた国アフガニ
スタンに対する責任だ」
―アフガンの現実を描いた映画「カンダハール」の撮影現場で何
を目撃したか。
「撮影は二○○○年、イランのアフガン国境で行われた。村には
五千人のアフガン難民がおり、電気も水もなかった。現地で多くの
女性たちと会ったが、夫や父親や兄を失っていない女性をただ一人
として思い出すことができない。幸せな家族を思い出すこともでき
ない。人々はソ連軍(当時)やイスラム武装勢力に家を破壊され、
飢えていた。イラン当局はそうした人々に向かって『申し訳ないが
、あなたたちが死にひんしていようといまいと、とにかくアフガン
に戻ってくれ』と追い立てていた。人間の残酷を見る思いだった」
「私は悲しくなり、次いで怒りに駆られた。この不公正は何なの
だと」
× × ×
カブールで生まれたパズィラさんは九○年に家族でカナダへ亡命
した。ごく小さいころ、アフガンでの幸福な思い出が残っている。
休日になるといとこが集まり、食事をして音楽を楽しんだ記憶だ。
両親はイスラム教の規範を押し付けなかった。だから、タリバン政
権が女性に強制した頭からつま先までを覆う伝統衣装、ブルカの着
用に強い抵抗を感じた。ブルカはこの国で抑圧の象徴だった
× × ×
「もし、女性たちが自ら納得してブルカを選び、顔を隠すならそ
うした考えは尊重されるべきだ。ブルカは単なる布であり、布自体
に罪はない。ただ、着ることを強制すること、服装の政治化が抑圧
を生む。たとえミニスカートでも着用の強制は抑圧となる」
「顔を覆うブルカを着ると、女性たちはアイデンティティーを失
ってしまう。だが、私は自分で着てみて、なぜ女性たちがブルカを
羽織るのか理解し始めた。それは一種の安心感だ。アイデンティテ
ィーを消すと安心できるのだ。特に、治安の悪いアフガンでは。こ
の安心感は偽りだが、それにすがる女性たちの気持ちはよく理解で
きた」
「私はアフガニスタンの文化を尊敬している。家族の価値、友情
、忠誠、率直さ、もてなしの心。こうしたもの一つひとつが、私た
ちの文化の要素だ。私は今もアフガンに所属しており、それを幸福
だと思っている」
―アフガンとカナダという異なる文化の間で自分をどう位置付け
ているか。
「私は、人間が固定された存在だとする考えを信じない。私は、
そうした考えに挑戦したい。私たちは絶えず変化し続けている。毎
日、毎分変化し続け、何者かになっている。経験や周囲の環境やさ
まざまな機会によって。人生とはさまざまな音で成り立つ和声だ、
という考え方が私は好きだ」
× × ×
パズィラさんは、女優として有名になるつもりはない。子供のこ
ろからジャーナリストにあこがれ、今もジャーナリズムが自分の仕
事だと感じている。だが、機会があれば、アフガンで教育に携わり
たいとも言う。なお残る「タリバン的なもの」を克服する唯一の手
段が教育だと信じるからだ。
× × ×
「父親が私に話してくれた。アフガンで一九七八年、クーデター
により社会主義政権が誕生した時、人々は若者も年寄りも街頭へ飛
び出し、ダンスをして喜んだ。だが、すぐにソ連軍がやって来て人
々の幸福感は消し飛んだ。既にカナダに移っていたが、九二年のこ
とは、よく覚えている。イスラム政権が成立し、人々はついに独立
の時が来たと喜んだ。このときもダンスと音楽だった。だが、イス
ラム勢力同士の内戦に突入、国土は再び戦乱に覆われた。あのタリ
バンがやって来た時でさえ、人々は『ああ、これで平和が来る。つ
いに平和が来る』と喜んだのだ」
「私は、今回成立する政権が正しい政権であることを切に願う。
アフガンが悪夢から目覚めることを」
「国際社会はウサマ・ビンラディンが拘束されるか殺害されれば
、アフガンから去っていくだろう。最悪のシナリオだが、その可能
性が高いと思っている。国際社会はスマートだ。アフガンにいつま
でもとどまっていたいとは思わないだろう。アフガンには油田もな
く、経済的には取るに足らない国だ。人々は、そうした国のことは
直ちに忘れてしまう。私は、世界が、特にジャーナリストにはアフ
ガンで何が起きたのか忘れてほしくない。戦争は、本当にもうたく
さんなのだ」
(了) 020105 1500
[2002-01-05-15:01]