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南アジア:戦争への恐怖を増大させる核ドクトリンの欠如
(1月9日)
ナデール・イクバル著
【イスラマバードIPS】
この10年間、パキスタンとインドの宗教対立は、互いに攻撃は受けないとの狙いで核配備を押し進めて来たが、この日、核が対立を激化させるということを初めて示した。両国は、核ドクトリンの下にいるということを公式に宣言出来ずにきた。核保有は公知の事実で、実際、両国は核兵器を使用せざるを得なくなるかもしれないのだ。
1月1日、両国は一触即発の状況にもかかわらず、「核設備への攻撃禁止」に合意した。、昨年12月13日のインド国会襲撃事件をインド政府はパキスタンのグループによる支援を受けたものだと非難しており、その後の3週間、両国の緊張は高まる一方だった。
両国政府は互いの核施設について正確な数値を把握しているが、この情報は公にはされてこなかった。以前とは違って、新たに施設リストを更新しようとも、一切の情報は封印されてきた。98年5月以降、両国が核を爆発させる意思がないという事実にもかかわらず、このことは地域での対立に新たな刺激剤となってきたことを示している。
他の核保有5カ国と同様、両国の「公式的な」ドクトリンの発展なしには、パキスタン、インド両国が核を使う可能性は両国市民や他の世界の人々の意思に依存している。核戦争への懸念は、今回の両国の戦争でも再び表面化した。同様の恐怖は99年、宣戦こそなかったもののカーギルをめぐる戦争でもあった。パキスタンでは、核兵器は「先制攻撃、最後の安息地」として広く信じられており、インドでは「2回目の攻撃で使い、使用し続けるもの」と信じられている。これは、先制攻撃をしのぎ、報復にこそ使うものだ、という意味である。
これらの理論は、インドとは違って、小さな戦略地域しか持たないパキスタンで発展したものだ。パキスタンは、核兵器こそが両国の軍事能力の差を埋めるものだと信じている。軍事専門家のザファル・ジャスパル氏は、パキスタンの核ドクトリンはイギリスの不文憲法に似ていると指摘する。様々な状況に応じて幅広い目標が想定されているからだ。
「パキスタンの核ドクトリンは、対インドに特化していること、従来型武力の非対称を克服するために考え出されたということ(インドはパキスタンより大きな武力を保有している)、国家が恐怖にさらされた際に使うということが3本柱になっている」と、イスラマバードの政治調査研究所のジャスパル氏は言う。
事実、アジズ前外相はあるインタビューで、もしパキスタンが核兵器を持たなかったら、インドはこの危機の中で攻撃をしていただろうし、国境に部隊を集めることを躊躇しないだろう、と話している。
専門家は、核兵器を戦争抑止のためのものだと信じている。核抑止の前提は、核保有が交戦を防ぐというもので、それには認識や心理的なものが主たる役割を担い、危機を生み出すような行動を思いとどまらせるというものだ。現存する危機管理のシナリオの中で、パキスタンとインドは互いの脅威を確たるものだと考えている。この確信あるメッセージは、互いの効果的な意志疎通をもたらすが、核ドクトリンを宣言しないことはその脅威をあいまいなものにしている。
先週、軍スポークスマンのクレシ氏が公にパキスタンの核使用の可能性を排除したことは、軍事専門家に混乱を引き起こした。「パキスタンとインドは責任ある国家で、我々は核使用については考えていない。これは抑止の手段であり、それ以上のものではない。核使用は想定していない」とクレシ氏は話したのだ。
「私は、彼が口を滑らせたのだと思いたい。あんな声明を発して、インドが国境に部隊を集結させたら不幸なことだ」とある専門家は指摘した。別の元政府当局者は、パキスタンは核使用に際しての警告線を明確に示すべきだと付け加える。しかし、英字紙「ネイション」の編集者ニアジ氏は、パキスタンの政策決定者の曖昧さが、パキスタンの核使用に関しインド政府の妄想を生み出させていると言う。
99年、両国の核専門家は核ドクトリンに関する協議を開始した。しかし、協議はまだ集結していない。インドでは、官僚や政治家、軍関係者の力が拮抗している中で、コンセンサスはまとまらないだろう。
同年10月、パキスタンでの軍事クーデター後、同国の議会機能は失われた。しかし、パキスタンは軍主導の核部隊と制御部門を導入した。実際、パキスタンは政治家や官僚などに対する軍部の優越は、核ドクトリンの発展を容易にすると、一部の者は指摘する。
インド側は、99年8月に発行した「インドの核ドクトリンに関する国家安全助言委員会の報告」で、非公式のドクトリンのあり方について述べている。「インドは核抑止を最小限に押さえることを目指すべきだ」と報告書は言及し、「この『報復のみ』の政策では、我々の武力上の生存能力は危機的状況に置かれている」とする。しかし、この最小限の抑止という考え方は、議論をますます激しいものにした。この報告書は、両国のタカ派、ハト派の論争に火を点けたのだ。
インドの核政策の専門家で非核武装の平和活動家であるアーチン・バナイク氏は、インドは99年の報告書を具体化したことはないと言う。何故なら「馬鹿馬鹿しく曖昧で、何も規制していないから」だという。彼は報告書が正式に採用されたこともないと言う。何故なら、右派であるインド人民党が政権を取ったことで、非同盟主義から、米国を地域の最も同盟相手にふさわしいとする方向に政策が劇的に変化したからだという。
パキスタン政府はインドのドクトリンを批判するが、99年10月、パキスタン政府の前幹部3人の反応は弱々しいものだった。シャヒ前外相、サッタル現外相、カーン空軍元帥の3人のことだが、彼らはパキスタンがもっと高性能の核兵器を配備する方向に邁進すべきだと勧告し、核も通常兵力も改善して防衛力を高めるべきだとしている。平和活動家のフードホイ博士は、インドの核ドクトリン案は「悪魔的意図があり、見せかけのものだ」と書いた。「核兵器が『人権への最も重大な脅威となる』という前提から出発することは、インドは『核兵器使用の意思』と共に、生存のために核配備を必要としているのだ」と彼は非難している。
一方で、パキスタン側は「パキスタンの核兵力はインドの先制攻撃にもろく、経験則から言って我々は少なくとももう一つ手段を持っておく必要がある」と主張する。これは、「インドとの無期限の核競争」と彼らが呼ぶものだ。
カーギルなど、パキスタンの核がインドの攻撃を抑止する一助となると、パキスタンの当局者は主張するが、フードホイ博士は反対する。99年、インドの核ドクトリン案の表明は、パキスタンの偵察機を撃墜するなど、カーギルの戦闘時期と一致する。後に米国政府は、両国の緊張を招いているカシミールの非常事態線への侵攻を手控えるようパキスタンに圧力をかけたが、これは戦争勃発へとエスカレートすることを恐れてのことだった。