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イスラム原理主義思想の影響を強く受ける皇太子による「国王追い落とし劇」の内幕〜中東最大の「親米国家」サウジアラビアを揺るがす「宮廷クーデター」が進行中・ジャーナリスト河合洋一郎(サピオ1/9新年合併号)
同時多発テロに端を発した米国の対タリバン戦争は一段落したが、イラクを始め、なお中東地域には不安要因が残されている。これまでアメリカがこの地域の“重し”としてきたのが親米政策をとってきたサウジアラビアだ。
だが、今回の同時多発テロを契機にサウジ国内では権力闘争が勃発している。中東最大の王国は一体どこに向かおうとしているのか。ジャーナリスト・河合洋一郎氏がサウジ宮廷の内幕を解説する。
同時テロ事件とアメリカによる対テロ戦争は、中東諸国における親米対反米という対立構図を激化させ、各国に大きな波紋を投げかけている。中でも注目すべきは、オサマ・ビンラディンの故郷であるサウジアラビアだろう。
サウジアラビアは世界最大の産油国であり、石油ビジネスを介して長年アメリカとは特殊な関係を維持してきた。70年代初めのオイル・ショックによる石油価格の高騰で、サウジには莫大な石油収益が転がり込んでくるようになったが、その金の多くはアメリカからの兵器購入費、政治家たちへの秘密献金、またアメリカが世界で行なう極秘工件資金などに使われてきたのだ。よくアメリカ人が言うように、「アメリカとサウジは同じベッドで長い間添い寝してきた」のである。
この特殊な関係は湾岸戦争後、アメリカがイラクの脅威を口実にサウジに軍を駐屯させ、アラビア半島における軍事的プレゼンスを確立することでさらに強化された。この米軍のサウジ駐留が、イスラムの聖地を冒漬されたとして、ビンラディンたちイスラム原理主義勢力を激怒させ、同時テロのひとつの原因となったのは周知の事実だ。
そもそもサウジアラビアは、イスラム原理主義のワッハーブ派の教義を国是とする国家で、国王はメッカとメディナというイスラム教の聖地の守護者を名乗っている。イスラムの守護者であるべきサウジ王家が、石油で儲けたあぶく銭でイスラムの教義に反する贅沢三昧な生活を続け、こともあろうに外国の軍隊の国内駐留を許可したのだから、原理主義者たちが怒るのも無理はない。
サウジ王家もその矛盾に気付いており、原理主義者たちの怒りを静めるため、様々な対応を行なってきた。その一つが、他国の原理主義勢力への支援だった。80年代にはアフガンでソ連軍と戦うムジャヒディン、90年代にはボスニア、コソボの原理主義勢力、タリバン、そしてロシアのチェチェン・ゲリラなどに資金援助を与えてきたが、その日的は、自分たちはイスラム原理主義の良き理解者であると国内に示すこと、そして原理主義者たちの怒りの矛先を国外へ向けることだった。
アメリカも同様にテロを仕掛けてくるイスラム原理主義勢力を敵としながらも、敵の敵は味方、という極めて浅薄な論理で、90年代に入っても世界各地で原理主義者を支援してきたため、このサウジの動きは問題とならなかった。だが、この政策には大きな誤算があった。原理主義者たちを支援することで彼らの力を強大化させることになってしまったことだ。訓練を受け実戦経験があり、国境を越えて連帯するファイターを多数作り上げてしまったのである。
その結果が今回の同時テロにつながったわけだ。
ファハド国王国外脱出の真相
米同時多発テロは、王室存続のためにサウジアラビアが行なってきた原理主義勢力懐柔政策の破碇をも意味している。これ以上アメリカ寄りの政策を続ければ、国内の原理主義者たちの反乱を招くことは確実だからだ。
そして、同時テロ発生の1週間後に早くもその影響は現われた。国王のファハドが専用機でスイス・ジュネーブへと移動したのである。
当初、これは78歳になる国王の健康状態が悪化したためと考えられていたが、それは違った。その後、彼の一族も続々とジュネープの空港に到着しはじめたのだ。国王の一族だけではない。国防相のスルタンの家族もサウジを脱出し始めた。ファハドは後に帰国しているが、現在でも彼とスルタンの家族はヨーロッパに出たままである。
なぜか?真相はアブドラ皇太子による国王追い出しである。
これまでサウジの親米政策は、ファハド国王やスルタン国防相といった、「スディリ・セブン」と呼ばれる初代国王アブドルアジズのスデイリ系の息子たちによって行なわれてきた。アブドラはファハドの腹違いの弟で非スデイリ系。健康のすぐれない国王の代理として国政を執ってきたが、宗教的にはイスラム原理主義思想の持ち主であり、親米政策を取る国王と対立してきた。アメリカが95年に脳卒中で倒れたファハドを懸命に治療し生かしてきたのも、すでに76歳になっているアブドラよりも早く死なれては困るからだ。
これまで両者のカの均衡は、それぞれが持つ軍事力によって保たれていた。国王が約12万の正規軍を握り、アブドラは国家警備隊10万をその支配下に置いていた。だが、同時テロ事件の影響でその均衡が崩れたのだ。
アブドラ直属の国家警備隊は、よく訓練され、アブドラに絶対忠誠を誓っている。一方、正規軍兵たちの国王に対する忠誠心は非常に脆弱と言われている。イスラム原理主義国家のサウジアラビアでは、アメリカ軍の駐留に反対する国民が多いからだ。そのため国王自身、軍をまったく信用しておらず、何かあった時のために欧米の傭兵を3000人雇い入れ、砂漠の中の秘密基地に待機させているほどだ。
中東の情報筋によると、アブドラはファハドに対テロ戦争でアメリカに自国内の基地を使用させないよう迫ったという。国王がそれを拒否したため、アブドラは国外へ出るように申し渡した。ファハドに選択の余地はなかった。アブドラには軍事力と宗教界のバックアップがあったが、ファハドにあるのは、アメリカ軍にアフガン攻撃のために基地を使わせれば反乱を起こしかねない軍だけだったからだ。
アブドラはファハド国王が帰国する前に、国家警備隊をリヤドやメッカなどの政府関係施設、空港、テレビ局その他の重要なポイントに配備し、その権力を磐石のものとしていた。正規軍の多くは隣接国との国境沿いに展開しているため、兵数は均衡していてもサウジの中枢部はアブドラに押さえられたわけだ。
この静かなる宮廷クーデターの結果、アメリカは中東有事の際、司令部として使おうとしていたプリンス・スルタン基地(リヤド近郊にある最新鋭設備を整えた中東最大の米軍基地)をアフガン空爆の基地として使用できなくなった。
サウジにおいてアメリカの利益を代表する存在であるのが、ファハドの弟でスデイリ・セブンのひとりであるスルタンで、サウジとアメリカとのパイプは、彼と彼の息子である駐米サウジ大使バンダル王子がコントロールしている。スルタンはサウジ王家のナンバー3で、アブドラがいなくなれば皇太子の座につく存在であり、現在国防相の地位にあるものの、ファハド同様、軍からは忠誠心を得ていない。当然スルタンはアブドラとはライバル関係にあり、現在の権力闘争は事実上、このふたりの間で闘われているといっていい。
アメリカのアフガン空爆開始前、スルタンはアメリカを味方にひきつけておくために、サウジを訪問したラムズフェルド米国防長官に基地の使用許可も含めて様々なことに前向きの回答をしたが、結局、基地は使えなかった。これはアブドラ対スデイリ・セブンの権力闘争がどちら側に有利に進んでいるかをよく示している。
この軍基地には4500人の米兵が駐屯しており、中東地域のアメリカ空軍の拠点としては最も重要なものだ。イラク南部の飛行禁止空域をパトロールする戦闘機の基地としても使われている。このため対テロ戦争の第2ラウンドとしてイラク攻撃を視野に入れているアメリカは、戦略の大幅な修正を迫られることになったわけである。
米が危惧するサウジの「原理主義国家」化
更に、2001年12月初旬よりサウジ政府筋は、米軍のサウジ駐留許可を見直しはじめている、という情報をしきりにマスコミにリークしはじめている。
「見直し」とは撤収を要求するということだ。アメリカが湾岸戦争で手に入れた中東における軍事拠点が失われる可能性が高くなってきたわけだ。が、ブッシュ政権はこのサウジの動きに沈黙を守ったままだ。どうしていいのかわからないと言った方が正解かもしれない。
彼らの本音は早いところアブドラに死んでもらって、親米派のスルタンを国王に就任させたい、というところだろう。しかし、サウジがこのまま従来の親米政策を続ければ、国内からの突き上げでサウド家の支配が崩壊し、イラン、またはタリバンのような原理主義政権ができてしまう危険性があることもアメリカは知っている。それならばサウジから撤収せざるを得なくなっても、現実主義者として知られるアブドラに権力を握らせておくほうがいい、と考えているのかもしれない。
問題は、原理主義者でありサウジの宗教界に支持されているアブドラですら、所詮は腐敗にまみれたサウド家の人間だということだ。彼の第一の目的はサウド家の安泰をはかることであり、これまでの親米政策を転換させたとしても原理主義過激派からの全面的な支持を得られるかは疑問である。
果たして彼の打つ手段がサウジアラビアの安定につながるのか。それとも以前の原理主義懐柔政策のような付け焼き刃的なものに終わるのか。今後、注意輝く情勢を見守っていく必要があるだろう。