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(回答先: Re: 投稿者 鐵屑時計 日時 2001 年 12 月 30 日 02:27:43)
週刊『前進』1992号
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no01/f1992.htm
ここで第一に問題にすべきは、歴史の進み方を否定する暴論を吐いているのはほかならぬ白井朗その人だということである。「九九年三月の発砲事件」とは何か。なぜ白井はことさらに「発砲事件」などとして小さく扱いたいのか。九九年三月とは、米帝とNATOによるユーゴスラビア侵略戦争のまっただ中であり、そうした中で引き起こされた事件ではないか。かの事件は日帝の軍事力の総力を挙げた、北朝鮮の船と思われる「不審船」の捕捉活動であり、追跡行動であり、戦争−軍事行動であった。
九九年三月十八日から追跡・捕捉は開始され、二十一日には警察、海上保安庁などに沿岸警備命令が出され、自衛隊三軍に総動員態勢が敷かれた。二三日夕刻には首相官邸に作戦本部−指令本部が置かれ、実質上の海上警備行動に踏み切ったのである。この日、海保は威嚇(いかく)射撃を行い、二〇ミリ機銃や一三ミリ機銃から千三百発の銃砲弾が発射された。二十四日には海自イージス護衛艦「みょうこう」が一二七ミリ砲で十三回、「はるな」が十二回の砲撃を行い、三機のP3C対潜哨戒機から計十二発の一五〇キロ爆弾が投下された。さらにミグ21四機に対して、小松基地からF15戦闘機二機が迎撃発進。これが白井の言う「発砲事件」の全体像である。