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革命の種を蒔く
マリアム・ラーウィ(RAWA:アフガニスタン女性革命協会)へのインタビュー
12月18日ジャパンタイムズ
http://www.japantimes.co.jp/cgi-bingeted.pl5?eo20011218a2.htm
タリバン支配の終焉によって、アフガニスタンの人々は平和と自由の新時代を期待
できるのだろうか?アフガニスタン女性革命協会(RAWA)は否定的である。
すべての原理主義者グループを武装解除しない限り、タリバンが政権を取る前の残虐
で混乱した状態が戻ってくるとRAWAは考えている。2001年アジア人権賞受
賞の際来日したRAWAのマリアム・ラーウィ氏にRAWAの活動とアフガニスタ
ン危機について聞いた。
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RAWA:1977年、アフガニスタンにおける女性の権利と非宗教主義、民主主
義を求める活動を行う団体として創設された。1980年代にはソ連の占領軍に対
する闘いに参加、人々の意見を動員するため、デモや、学校や大学での集会を積極
的に行う。パキスタンでのアフガン人難民に対する学校や保健サービスも行ってい
る。
1981年には、Payame-Zan(女性の声)という雑誌の刊行を開始し、女性の権利
を提唱するとともに、アフガニスタンの原理主義グループによる人権侵害を告発し
てきた。RAWAの成功は、政権と原理主義者の敵意をかき立て、1987年には、
創設者ミーナがKGBエージェントに暗殺された。
ソ連の傀儡政権が倒れてから、RAWAは、アフガン女性の最大の敵は原理主義で
あるとの考えのもと、原理主義との闘いに力を注いできた。1992年から96年
の北部同盟支配下で起きた人権侵害と、最近追放されたタリバン政権下での人権侵
害について記録をとってきた。RAWAはまた、アフガニスタンで秘密学校、識字
教育、移動保健サービスを提供し、女性が自分の権利について知ることを促してい
る他、医療サービスを提供している。
厳しい予算の中、RAWAはパキスタンとアフガニスタンでの社会プログラムを継
続している。ただし、治安問題のため、アフガニスタンでの活動は秘密裡に行われ
ている。
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あなたの背景は?RAWAに参加したのはどういう経緯ですか?
私は1974年カーブルで生まれました。父はロシア人と闘う自由の戦士で、私が
9歳のときに殺されました。私の叔父やいとこたちの多くも、ソ連の傀儡政権によ
り殺されました。私には男兄弟がなかったため、父が殺された後、母と4人の姉妹
と祖母が残されました。多くの家族がそうしたように、私たちはアフガニスタンを
離れ、アフガンとの国境近くにあるパキスタンのコイタ難民キャンプに行きました。
キャンプにいた最初の2年は教育を受けることができませんでしたが、それからR
AWAがやっている学校に行くことが出来ました。その学校を卒業してから、RA
WAで働いています。
RAWAの学校の勉強はどうでしたか?
私は学校でとても幸せでした。先生たちはできるだけ多くの機会を与えようとして
くれました。通常の科目の他に、政治問題の授業やスポーツ、映画鑑賞といった娯
楽もありました。
私は学校でRAWAの創設者ミーナに何度も会いました。彼女は私に深い印象を残
しています。ミーナは誰に対しても親切で親密でした。私たち子供に対しても同じ
ように振舞っていました。私はとても若くて政治的なことを理解することができま
せんでしたが、彼女が指導者であり、RAWAの活動にすべてを捧げていることは
わかりました。
あなたは頭を覆っていませんね。モスリムですか?RAWAの他の女性もモスリム
なのでしょうか。
私はモスリムです。そして他の女性もそうです。けれども、私たちにとって宗教は
個人的なものです。RAWAは世界中のいろいろな組織と密接な関係があり、個人
支援者がいますが、それらの人々は様々な国籍、宗教の人たちです。こうした人た
ちはいろいろと私たちを支援してくれますし、私たちはもちろんこれらの人々の宗
教を尊重します。アフガン人の99%はモスリムで、私たちも皆モスリムで、そし
て私たちの宗教に敬意を払っています。
あなたのグループが「革命」という言葉を使っている理由は何ですか?
(笑)「革命」という言葉で皆が怖じ気づきます。けれども、女性による独立した
政治的社会的組織として、また、後進的で男性支配の強い社会で原理主義と闘って
いる唯一の女性団体として、私たちは革命的な仕事をしているのです。使っている
武器は暴力ではなく教育ですが。教育を通して男性と女性そして次の世代の精神構
造を変えることができるのです。
RAWAはこれまでずっとすべての原理主義グループを批判し、妥協を拒否してき
ました。それについて過激すぎると批判されたことはありますか?
もちろんです。けれども、私たちは、人々の、特に女性の声なのです。女性たちが
感じていること、言っていることは、RAWAが言っていることよりももっと強い
ことです。息子を派閥の一つに殺されたり、夫が殺されたり、娘が強姦されたり、
すべてを失って、働くことも許されず、売春婦としてか路上で物乞いをして生き延
びなくてはならなくなったふつうの女性とインタビューしてみるとわかるでしょう。
彼女たちが感じていること、言うことは、私たちの立場よりも遙かに激しいもので
す。
あなたたちは反原理主義の立場を取っていますが、そのためにパキスタンでの活動
が危険になったりはしませんか?
その通り、パキスタンでは多くの安全を巡る問題を抱えています。パキスタン政府
はタリバン政権を承認し原理主義グループを支援しています。私たちが平和的デモ
を行おうとしたとき、殺害の強迫を受け、攻撃され、殴打され、逮捕されました。
出版物を売っているときも、パキスタン警察はそれを妨害しますし、私たちの住所
と連絡先を知ろうとしていつもあとをつけてこようとします。だから、RAWAは
公開された公式の事務所を持つことができないのです。
米国の武力攻撃が始まって、RAWAの活動にはどのような影響がありましたか。
私たちがアフガニスタンの中で行っている活動のいくつかを中断しなくてはなりま
せんでした。米国の攻撃により治安が悪化し危険になったからです。崩壊前のタリ
バン政権からの圧力が強くなったことによる問題もありました。例えば、カーブル
では、タリバン政権は、撤退する前、家宅捜索を頻繁に行っていましたので、活動
を続けるには危険すぎました。
一方、パキスタン側での活動もとても難しくなりました。私たちは、インタビュー
に応じ、ジャーナリストたちに私たちのプロジェクトを見せたり難民キャンプを見
せたりするのに忙しくなりました。それに加えて、新しくキャンプにやってきた人
々にシェルターや食料、毛布や薬を与え、越境しようとしている人を助けたりしま
した。これは簡単ではありません。ここに来る前は、ペシャワールの近くのジャロ
ザイ難民キャンプに1週間いました。そこでRAWAが提供したものを配る手伝い
をしていたのです。
そうしたキャンプの状況はどのようなものですか。
10万人ほどの難民がジャロザイと、ペシャワールに近いもう一つの難民キャンプ、
アコラ・カタクにやってきました。これは9月からのことで、ふつうよりも遙かに
多い人数です。キャンプにあるシェルターはビニールのテントだけなので、とても
寒いのです。水も電気もありません。キャンプに来るために、人々は歩いて山を越
えてくるのです。そして、キャンプに着いたとき、人々は寒さと、そしてあまりに
長いこと歩いてきたために病気になっています。旅の途中で流産してしまう女性も
多く、たくさんの子供が死んでしまいます。
難民がアフガニスタンを離れるのは、米国の爆撃のためですか。
はい。もちろん、多くの人は、米国の爆撃から逃れてきた人々です。けれども、北
部同盟を恐れてカーブルから逃げてくる人もたくさんいます。
メディアは、北部同盟を、アフガニスタンの解放勢力のように扱っています。ふつ
うのアフガンの人々はそう考えているのでしょうか。
世界のメディア、特に西洋のメディアは、アフガニスタンに対してとても悪辣な役
割を果たしてきたと思います。長い間、アフガニスタンは完全に忘れ去られていま
した。ところが、9月11日のあと、メディアは突然アフガニスタンに注目し、と
ても否定的にアフガニスタンを扱い始めたのです。メディアは、まるでタリバンが
唯一の問題であるかのように報道し、1992年から1996年の4年間、北部同
盟がカーブルを支配してアフガニスタンイスラム国と称していたときのことを完全
に忘れています。
この4年間はアフガニスタンの歴史の中でも最も悲惨な時期でした。異なる司令官
が異なる場所を支配し、お互いに、そして人々に対して、ロケット砲や爆弾で攻撃
していたのです。対立するグループがある地域を新たに占領すると、報復として、
その地域の女性を強姦し、男も女も子供も殺し、家を略奪し、人々を処刑していた
のです。たくさんの若い女性が、強姦を恐れ、また強姦されて殺されることを恐れ
て自らの命を絶ちました。多くの女性が誘拐されました。治安というものが存在し
なかったのです。
北部同盟の支配下にあった4年間で、カーブルでは5万人以上の人々が殺されたの
です。そのことを世界は完全に忘れています。メディアは、タリバンが仏像を破壊
したと報道していますが、そもそも、カーブル美術館を完全に破壊したのは北部同
盟だったことについては何も言いません。北部同盟支配下の4年間に原理主義者た
ちが行った犯罪と残虐行為のことを、人々は、とりわけ女性は、決して忘れません
し許しません。
1996年にタリバンがやってきたとき、人々はタリバンを歓迎したことを思い起
こさなくてはなりません。4年間、北部同盟グループの残虐行為の中で苦しんでき
た人々は、タリバンが平和と治安をもたらしてくれると考えたのです。もちろん、
すぐに人々は、タリバンが北部同盟と変わらないことを知りました。
今、北部同盟が力を盛り返し、同じことが再び起きています。治安と平和の兆しは
全くどこにも見あたりません。タリバンと北部同盟に違いがあるなどとどうして言
うことができましょう。状況は同じなので、RAWAのアフガニスタン内での活動
はいまも秘密に行わなくてはなりません。今も原理主義者たちが権力を握っており、
私たちが原理主義者の犯罪を暴こうとしていることを知っているのです。
米国の武力作戦に対して、ふつうの人々はどう反応していますか?
人々にとって難しいところです。タリバン政権下で辛酸をなめてきたので、タリバ
ン政権が倒れることを望んでいますが、その一方で、米国の攻撃により、罪のない
人々が何百人も殺され、人々は苦しんでいます。人々は、米国の攻撃に対して、ロ
シアの侵略に対処したときのようには振舞っていません。米国がタリバン打倒を望
んでいるのは明らかなので、アメリカと闘うのは馬鹿げているのです。
けれども、アフガニスガンが今のようになってしまったのは、アメリカをはじめと
する外国の非人間的で不正な政策のためだということを、人々は知っています。ア
メリカと西洋諸国は、ロシア、イラン、パキスタン、サウジアラビアとともに、長
年にわたって原理主義グループを支援してきたのです。こうした原理主義グループ
が力をつけ、アフガニスタンを制圧し、そして統制不能になったのです。米国政府
は、自分が創り出したものが自分にとって危険であるとは考えなかったのでしょう。
たぶん、米国は、残虐行為はアフガニスタンの中だけで行われ、苦しむのはアフガ
ニスタンの女性だけで、アフガニスタン内のものが破壊されるだけだと考えていた
のでしょう。
けれども、ニューヨークの世界貿易センターも破壊されたのです。米国政府は、そ
もそも最初にオサマ・ビン・ラディンをアフガニスタンに迎え入れ、アフガニスタ
ンのパスポートを与えたのが北部同盟だったことを完全に忘れ去っているようです。
北部同盟に何らかの支援や機会が与えられるならば、将来再び、ビン・ラディンや
アルカイーダネットワークのようなものが生まれるのは確実だと思います。
タリバンが権力を奪われた現在、アフガン女性にとって明るい将来を構想すること
ができますか?
アフガン女性が抱えている問題は、原理主義そのものであることは明らかです。ブ
ルカを着なくてはならないかどうか、映画に行くことができるかどうかといった問
題ではないのです。そして、北部同盟は原理主義者たちなのです。
女性の権利を巡って北部同盟とタリバンに違いがあるとすると、北部同盟は何も宣
言せずに、女性に対して犯罪と残虐行為を犯してきたということだけです。タリバ
ンはそれを公式の規則としたというだけのことです。例えば、北部同盟が政権の座
にあったとき−ちなみに、女の子の学校を「地獄への門」と最初に名付けたのは北
部同盟です−、多くの女性が、誘拐や強姦を恐れて、仕事や学校に行けなくなりま
した。これに対してタリバン政権は、公式にはっきりと、女性は家の外に出てはい
けないといい、仕事を持ったり教育を受けたりすることを禁止したのです。
今、女性の権利について語ることが至るところで流行しているようです。だから、
北部同盟も民主主義とか女性の権利とかいった言葉を口にだします。けれども、北
部同盟が態度を変えたなどと信じることはできません。
RAWAはボン会談に招待されましたか?
招待されました。私たちのメンバーの一人が王の使節の一員として招待されたので
す。けれども、他の三使節団から圧力がかけられ、さらに王の使節団の一部からも
圧力がかけられたので、彼女はRAWAの名前で公式に登録することができなかっ
たのです。王の周りには、原理主義グループと妥協したり、これを恐れたり、また、
アフガニスタンの民主主義と世俗主義といったスローガンを唱えることを恐れたり
する人々がたくさんいるということについて、私たちははっきりさせてきました。
ボン会議に女性が参加したこと、そして暫定政権に2名の女性が選ばれたことによ
り、アフガン女性の状況は改善されると思いますか?
政治に女性が参加することは、どんな場合でも、もちろんよい変化だと思いますし、
将来さらによい方向に変化するための出発点となるかもしれません。けれども、政
権に加わった女性が誰であれ本当に女性を代表しているかどうかをはかる基準は、
彼女が原理主義にはっきりと強く反対しているかどうかだと考えます。残念ながら、
会議に参加した多くの女性は原理主義者と妥協するか、あるいは原理主義者と直接
関係を持っている女性たちなのです。例えばアミナ・アフザリは北部同盟の使節団
の一員でした。
女性問題大臣となったシマ・サマルは統一党の中央委員会委員です。これはハザラ
の原理主義者グループで、、イラン政府の支援を受け中部アフガニスタンを拠点と
する最も残忍で嫌われもののグループなのです。彼女がそんな政党の委員であるの
に、どうしてすべての女性を真に代表することができるでしょうか。もちろん、彼
女は女性ですが、反原理主義ではありません。そして女性を真に代表するためには、
反原理主義でなくてはなりません。残念ながら彼女はそうではないのです。
彼女は、メディアの中でとても好意的に扱われています。パキスタンで保健センタ
ーを運営し、人々からヒロインと見なされているというのです。彼女が原理主義者
とつながっているということについては何も報道されていません。
私たちは、彼女が統一党のために旅行をしたことについて多くの資料を持っていま
すし、彼女が統一党中央委員会委員として紹介されている少なくとも二つのインタ
ビューのコピーを持っています。統一党指導者たちと会談しているビデオもありま
す。彼女はヨーロッパとアメリカでよく知られており、いろいろなNGOから支援
やたくさんの資金を得ていますが、人々は彼女が原理主義グループにつながってい
るとは知らないのです。
もちろん、病院を経営しているなら、原理主義者であろうとなかろうと、人々は診
療を受けるために病院に行きたがります。そして彼女はハザラ人で、ハザラの人々
と働いているのですから、信頼しやすいのです。けれども重要なのは彼女の政治的
見解であり、彼女は原理主義の側に立っているのです。
国際社会がアフガニスタンに対してできる政治的貢献はどのようなものであるべき
とRAWAは考えていますか?暫定政権はアフガニスタンに平和をもたらすと考え
ていますか?
私たちはこれまでずっと、国連や米国政府、西洋諸国は、原理主義者グループへの
支援をやめ、また、パキスタンなどの国に、原理主義グループへの支援を止めるよ
う圧力をかけることを求めてきました。けれども、これらの国々は私たちの声を決
して聞かなかったのです。これは別に新しいことではありません。1981年にミ
ーナがヨーロッパを訪れたとき、既に、彼女は原理主義者はロシア人よりも危険で
すらあると言っていました。今日、彼女が言ったことが証明されているのです。
アフガニスタンにすぐさま平和維持軍を送らなくてはなりません。さもなければ、
前と全く同じようになるでしょう。話し合いは時間の無駄になるでしょう。原理主
義のグループは武装解除される必要があります。そして、指導者たちは戦争犯罪人
として国際法廷で裁かれるべきです。世界中が、ビン・ラディンとタリバンのメン
バー逮捕を要求しています。米国に対するテロ攻撃を行い、(3000人以上の)
アメリカ人の命を奪った責任者と見られているからです。けれども、北部同盟の指
導者たちは、5万人以上のアフガン人の命を奪ったのです。これらの犠牲者にも、
正義を求める資格があると思います。
国際社会は、原理主義者の相互協力を実現しようとすべきではありません。原理主
義者たちは、分断され弱体だったときですら、恐ろしい残虐行為を犯してきたので
す。力を得て団結したら何が起こるでしょうか?こうした敵同士を団結させてそれ
が唯一の選択肢だというのは、全くよい解決ではありません。それは、直接ではな
いにせよ、間接的に、アフガン人を攻撃するのと同じです。
現在、北部同盟は最大の軍事勢力で、暫定政権で重要な地位を占めています。内務
大臣、外務大臣、防衛大臣などです。だからこそ、私たちは、唯一の希望が国連と
国連が何をするかにあると言っているのです。国連がアフガニスタンから離れ、た
だ、ほら、これがあなたたちの新政権だというだけならば、また戦争と争いが始ま
り、過去と同じ状況が続くことになるでしょう。
日本の読者に対して何か一言。
2001年アジア人権賞を受賞してとても光栄です。けれども、私たちにとっては、
日本の人々が、アフガニスタンの原理主義に対する支援を拒否してくれることほど
うれしいことはありません。私たちの闘いは、世界中の自由と民主主義を愛する女
性と男性の闘いでもあると信じています。みなさんの支援がなければ、成功しない
と思っています。
インタビュアー:ステファニー・クープ
RAWAについてより詳しい情報は、
http://www.rawa.org/
を参照のこと。RAWAに寄付したい方は、
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