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ソ連崩壊から10年のキルギス 疎外されるロシア系住民

投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 12 月 20 日 19:06:31:


12/20 15:01 疎外されるロシア系住民 米留学の一人娘に希望  外信427

 十年前の旧ソ連崩壊で、十五共和国が、一斉に独立を果たした。
だが、帝政末期やソ連時代にロシア以外の国に居住範囲を広げてい
たロシア人は、それぞれの国で少数派として取り残され、高まる民
族主義の中で疎外感を味わっている。             
 「かつて私たちロシア人は、旧ソ連のどこにいても完全な権利を
持った市民でした。でもキルギスの独立以降、私たちはこの貧しい
小国でよそ者扱いされるようになってしまった」。天山山脈の北に
位置するキルギス。首都ビシケクの自宅で、大学教授のニコライ・
ラブロフさん(55)は、不安を訴えた。           
 独立後のキルギスではロシア系住民排斥の機運が高まり、バスの
中で泥酔したキルギス人が「この国の主人はおれたち。ロシア人は
出て行け」などと悪態をつく場面もしばしばだった。国立キルギス
大学でロシア語を教えるニコライさんの妻ワレンチナさん(55)
も、一度講師の職を追われた。理由は「ロシア人だから」    
 大学では、経験不足の若いキルギス人がロシア語を教えることに
なったが、講座の人気は急落、大学側は慌ててワレンチナさんを呼
び戻した。「ロシア人はここではもう同等の市民扱いされていませ
ん。ロシアへの一家移住を最初に提案したのは私なんです」。復職
はしたもののワレンチナさんの不信感は根強い。        
 ニコライさん夫婦は祖父母の代に中央アジアにやってきた三世。
ロシアはもはや故郷ではなく、本国のロシア人とは気質も違う。ニ
コライさんによると「中央アジアのロシア人は勤勉で酒もあまり飲
まずアジア化しており、ロシアでは歓迎されない」。ロシアに行っ
ても「よそ者」なのだ。                   
 年の瀬を控えた夫婦に、うれしいニュースが舞い込んだ。ビシケ
クの大学で国際政治学を学び優秀な成績で卒業、大学職員として残
っていた一人娘ビクトリアさん(21)が年明けから、米インディ
アナ州に二年間、奨学金で留学することが決まったのだ。    
 「いつかキルギスを出ようとの決意に変わりはありません。ここ
ではロシア系住民の選択肢は限られている。娘には米国での経験を
生かし、将来の選択の幅を広げてほしい」。夫婦は、渡米する娘の
身を案じながらも、この留学が娘の将来を開くきっかけになればと
祈っている。(ビシケク共同=及川仁)            
(了)  011220 1500              
[2001-12-20-15:01]
12/20 15:01 キルギスのロシア系住民  外信429

 キルギス独立後のキルギス人以外の民族の国外移住は、1993
年の約12万人(うちロシア人が約8万9百人)をピークとしなが
らも依然継続。その大半がこれまでの国家経済を支えてきたインテ
リ層で、移住に伴う経済的損失は93年で国内総生産(GDP)の
6%、92―99年で2・5%と試算されている。(ビシケク共同
)                             
(了)  011220 1500              
[2001-12-20-15:01]





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