投稿者 あっしら 日時 2001 年 12 月 04 日 17:07:42:
(回答先: Re: もう第五次中東戦争しかないね 投稿者 のりお 日時 2001 年 12 月 04 日 12:59:07)
「イスラエル−パレスチナ全面対決」・「第5次中東戦争」・「第3次世界大戦」はすべて虚構である
パレスチナ情勢が緊迫度を高めるなかで、「イスラエルとパレスチナの全面対決」や「第5次中東戦争」そして「第三次世界大戦」(これはほんの一部)までが声高に叫ばれているが、それらはことの本質を
見誤る物言いである。
今回のパレスチナ攻撃やこれからすぐに引き起こされるかもしれないパレスチナ総攻撃は、「パレスチナ人虐殺活動」であり、シャロンが夢想していると思われる“大イスラエル主義”と米英の石油資源の直接支配が結びついて実行される恐れがある中東戦争も、「大虐殺を伴う中東石油資源強奪活動」でしかない。
タイトルのような見出しを掲げるメディアは、これから行われようとしている一方的大虐殺をあたかも戦争のように思わせてしまう犯罪行為に荷担していると言える。
「第三次世界大戦」は、近代化された国家同士すなわち“文明諸国”が軍事的に対立して引き起こされる総力戦であり、現今の世界情勢を鑑みればあり得ないものである。
“文明諸国”は、「大虐殺を伴う中東石油資源強奪活動」に対して、参戦するか、支持だけして見守るか、非難して見守るか、じっと黙ったまま見守るかのいずれかから選択することになるだろう。
簡単に言えば、“大の大人が幼稚園児をぶっ殺す”虐殺破壊活動が始まろうとしているのである。
なぜ、このようなことが言えるのかといえば、
● パレスチナ自治区は、ずっとイスラエルの半占領状態に置かれ、イスラエルの意志と国際社会の監視のバランスでなんとか“生存権”が認められてきた。そのパレスチナ自治区が、近代的兵器で重武装したイスラエルに対して戦争と呼べるような対抗ができるわけがない。せいぜい、自己の尊厳と信仰をかけて小銃で戦車に立ち向かうという術しかないのである。
イスラエル軍は、そのような“敵”を投降しないからと言って次々と殺していくのである。
同時に空爆も行われ、刃向かう意志もないパレスチナ人が、テロに荷担する人間たちというお話にもならない理由で自己正当化を図るイスラエル軍によって虐殺されることになるだろう。
● 「第5次中東戦争」という表現は、イスラエルのパレスチナ総攻撃に対して、エジプト・イラク・シリア・サウジアラビアなどが軍事的対抗措置をとれば妥当性を持つかもしれない。
しかし、現実のアラブ世界で、そのような決意ができる国家がはたしてあるだろうか。
スカッドミサイルさえ既に保有していないというイラクは、対イスラエル戦に参戦したくともできない。イラクが、そのために戦闘機を飛ばそうとしようものなら、米英軍にすべて撃墜され、そのまま対イラク攻撃につながっていくことになる。
言葉では、強く抑制を求めたり、非難を繰り返したりすることはできても、軍事的に対抗するアラブ国家はいないはずである。
軍事的に対抗しようとする国家が出てくるとしたら、シャロン政権の“大イスラエル主義”が自国の存亡に関わる危険性をはらんだものだという認識をもった国家だろうが、それでも、現在の支配者層が立ち上がるのかどうかはわからない。
実質的に国家が強奪されても、自己の見かけだけの地位が保たれるのなら良しと考えてしまう可能性も高いだろう。
イランも、パレスチナ問題で軍事行動を起こすのは合理性に欠けると判断するはずだ。
先走った見方をすると、アラブ諸国家の政権は、米英イスラエルが連合を組んで戦争を仕掛けると恫喝すれば、ほとんどが白旗を上げざるを得ないだろう。国民の生命と生活を守るためにも、自己の保身をはかるためであっても...。
こんなにも重苦しい苦渋ととてつもない災厄を生み出そうとしているイスラエルの暴虐非道の軍事活動を、“文明世界”は支持するか見逃そうとしているのだ。
核兵器が使われるのではとの危惧を持っている人もいるようだが、それは使われないだろう。それは、国際的に強い非難を浴びてしまう核兵器を使わなくても、一方的に勝てる(ヤリ放題の)戦争だからである。“人道”を理由にしても、イスラエルという国家がそばにあることや石油資源が豊富だからという本音はおくびにも出さないだろうが...。
私であれば(たぶん多くの人も)死を迫られても出来ないおぞましい理不尽な虐殺行為の大噴出という状況でこれからの中東史が織りなされていくとすれば、中東だけではなく、全イスラム社会そしてすべての“非文明世界”の人々の心に、拭い去ることができない怒り・憎悪・怨念を生み出し続けるだろう。
現在の支配者層が戦いを放棄しても、憎悪と怒りを人々そして子供たちに伝えながら命を賭して戦い続ける尊厳と信仰に生きる人々の群れが途切れることはない。それは、パレスチナを顧みればわかることである。
これから起こるかも知れない戦争が、戦争とは呼べない、単に一方的な「大虐殺破壊活動」であることを見逃してはならない。
そして、それを見逃してしまうことは、どれほどの歴史をかけたら修復できるかわからないほどの亀裂を世界に生み出してしまうことでもある。