投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 11 月 29 日 22:00:24:
大宅壮一賞受賞のジャーナリスト、加藤昭氏が極秘入手した未公開のインタビュー記録(1999年)の中で、米中枢同時テロの黒幕とされるウサマ・ビンラーディン(44)は、これまで明らかにされたことのない、数々の驚くべき事実を明らかにしている。その1つがサウジアラビアの諜報機関筋による「ラディン暗殺計画」の全貌だ。
暗殺計画といえば、ラムズフェルド米国防長官が先日、テレビ取材で明らかにしたばかりだが、ラディンの生まれ故郷であり、親類縁者が多数暮らしているサウジ当局の関与は初耳である。一体、どんな事情から険悪な関係になったのか。インタビュー記録はその背景をこう解き明かす。
−−あなた(ラディン)が、サウジの諜報機関トップ、タルキ・ビン・ファイサル王子と密かに会談したとの情報がある。これは事実か。事実とすれば何を話し合ったのか。
「本当の話だ。サウジ政府の関係者とは、ファイサル王子との面会も含めて、これまでに数回接触している。最初は私がスーダンで活動していたころだから1990年代初めのことだ。その当時、私は絶えず『サウジ民衆は王国から邪悪な米軍を追放せよ』とあおり立てていたので、私に沈黙を守らせようと使者を送り込んできたのだ。ただ、その時点では関係はそれほど悪化していない」
−−では、暗殺が取りざたされるほど関係が険悪化したのは、いつ頃か。
「ケニア、タンザニアの米大使館爆破事件(1998年)の直後からだ。突然、ファイサル王子が『サウジ情報省長官』という公式の肩書で(アフガニスタン南部の)カンダハルに乗り込んできた。タリバン最高指導者のオマル師に面会を求めると、私とアル・カイーダ(ラディン率いる私兵組織)のメンバー全員の身柄引き渡しか国外追放を強く迫ったのだ。背後にワシントンの意思が働いているのは明らかだった」
「このことはイスラム社会全体に大きな衝撃を走らせ、驚きを持って受け取られた。たとえ私自身と爆破事件の犯人に密接な関係が存在したとしても、イスラム世界の盟主サウジが“米国の代理人”としてアフガンを訪問するとは予想できなかったからだ。無論、オマル師はこの要求を拒絶した。この一件があって以来、祖国サウジとの関係は急速に悪化した」
ファイサル王子は会談で、要求に応じなければ資金援助を凍結すると口走り、オマル師は激怒したという。同席したタリバン幹部は「ファイサル王子はオマル師に対し、ラディンに関して延々と説教をした。すると、オマル師はターバンを脱ぎ捨て、側近に『自分にバケツで水を浴びせよ!』と命じた。驚く王子を前に、オマル師は『堪忍袋の緒が切れないよう頭を冷やしたのだ』と言い放ち、『これまでサウジ王家から物心ともに多くの支援を受けた。だが、今後は一切心遣いは無用だ』と、事実上の決別宣言をしてしまった」と証言する。
インタビュー記録は、その後のラディンとサウジの関係をこう記している。
−−サウジ王家は以後、どんな手段に出たのか?
「私を徹底的に弾圧した。まず、生まれながらの権利であるサウジ国籍をはく奪し、国内に所有していた資産をすべて凍結した。最後には、サウジ国内に住む、私の親族とも完全に絶縁状態にさせられた。こうした措置が米国の差し金であることは明白だ」
−−だが、あなたやアル・カイーダはサウジ王家や同国駐留の米軍への攻撃は仕掛けていない。
「…私の国籍や資産の問題と、われわれの対米聖戦(ジハード)とは筋違いの話だ。それ意外に説明すべき言葉はない!」
ラディンが苦し紛れに回答を打ち切ったのには、ある理由が隠されていた。CIA(米中央情報局)情報筋は、サウジ王家とイスラム原理主義過激派との資金的かつ人的な関係を指摘するが、ここでは詳細は触れない。注目はインタビュー記録で明らかにされたラディン暗殺計画である。
−−最近、あなたがカンダハル周辺で襲撃されたと聞いた。タリバンが犯人を逮捕したそうだが、だれが暗殺を企てたのか。
「私の生命を狙った実行犯の名前はサディク・アーワドといい、サウジの諜報機関につながる男だ。彼の自白によれば、私の暗殺を命じたのはサウジ王家に近い人物だ。その人物はサディクと仲間2人が市民権をはく奪されている弱みにつけ込み、『暗殺に成功すれば市民権と100万リアルを与える』と吹き込んだのだ。だが、偉大な神のご加護によって計画は失敗に終わった。この暗殺指令の背後にCIAの謀略があることは疑う余地はない」
ラディンの告白が事実とすれば、中東を揺るがす新たな“火ダネ”に発展しかねない。米国とラディンの抗争は中東の盟主サウジを巻き込み、かくも衝撃的な謀略戦が繰り広げられているのである。
ZAKZAK 2001/11/29