投稿者 dembo 日時 2001 年 11 月 15 日 23:44:59:
防衛論考−(2) 自衛官の「宣誓」と派遣の「大義」
行政調査新聞社 (社友)阿悠 幸友
http://www.gyouseinews.com/domestic_prospect/nov2001/002.html
「宣誓
私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」
駐屯地の大きな講堂。駐屯地指令と幹部自衛官が日章旗と隊旗の前であしらえられた雛壇に列線をなし、その顔前にはまだあどけなさすら残る新隊員たちが、緊張した面 持ちで頭をあげ、背筋をのばして服務の宣誓をよみあげる。
その後方に父、母、兄弟姉妹たちが見守り、基礎訓練期間を修了してみちがえるようになったわが子、兄、弟の立派な姿に目を見張り、母や姉妹の目には感激の涙すら浮かぶ。自衛隊は、このように営々と新隊員を迎えてきた。
いまでこそ、倍率すら高くなって誰もが入隊できるものではなくなったが、かつて自衛隊は様々な事情をかかえる青年男女が希望すればほぼ誰もが入隊を果 たし、健康な心身を鍛え、国民の負託に応える崇高な任務を自覚して汗を流し、知力を使う国家公務員として働ける場といえた。かつて陸上自衛官だった作家の浅田次郎が『歩兵の本領』で描いたように、たとえ「不良少年」の烙印をおされ、不健康な暮らしを過ごしてきた者も「落ちこぼれを絶対につくらない」教育・訓練の中で、心身の形が整えられ、集団の立派な一員に鍛えられていく、そうした組織が自衛隊だった。
「宣誓」は、基礎教育期間を修了した新隊員が、正式の自衛官として自他ともに認められる、そうした節目のいわば「自衛官生活」の出発の大事な儀式として、執り行われる。しかし、およそ「危険を顧みず、身をもって責務の完遂」との「宣誓」を行う公務が、他に存在するだろうか。
10月のある日、自民党本部で開催された同党国防部会で、部会メンバーである複数の国会議員が「この臆病者!」と説明のために出席していた幹部陸上自衛官を罵った。幹部自衛官は、政府が検討する「テロ根絶のための軍事活動にあたる米軍」を支援するための自衛隊派遣%