投稿者 dembo 日時 2001 年 11 月 12 日 19:55:40:
緒方靖夫団長(参院議員)の報告
日本共産党パキスタン調査団帰国報告集会
人道援助の道閉ざす戦争
冬目前、一刻も早く助けたいが…
第一に、冬の到来を目前にして、アフガニスタン国内への食料などの援助が待ったなしの緊急事態だということです。現地の国連機関もNGO(非政府組織)も、緊張感とあせりに満ちていて、雪が降って道が閉ざされたら救いようがないという切羽詰まった気持ちで、戦争を中止せよ、援助をできるようにせよ、と訴えていました。
この戦争によって、国連、NGOは、アフガニスタン国内の常駐スタッフの引き揚げに追い込まれましたが、援助再開がただちにできるように待ち構えています。すでにネットワークができていますから、援助を短期間にゆきわたらせることができます。一日遅れるたびに、大勢の人が死んでいく。一人も死なせたくない、助けたいという意気込みに、私たちは揺り動かされました。
国連人道問題調整事務所計画部長のクリス・ケイ氏は「最優先課題はアフガニスタン国内への援助だ。難民にも国内避難民にも、いま一番援助が必要なときに、それができないでいる」と、もどかしそうに語りました。アフガニスタンは国土の四分の三が高い山地にあり、雪が降ったら、輸送ができません。「一刻も早く一人でも多くの人たちを助けたい」――これが一にも二にも必死の訴えでした。ですから、国連もNGOも、戦争をただちにやめよ、これが合言葉になっていました。
パキスタン外務省のカズミ・フセイン東アジア局長と会った際に、「戦争の継続は難民を増やすばかりだ。パキスタン国境を閉めているので空爆による新たな難民の登録は公式にはゼロだけれど、しかしどんどん入ってくる。これは止められない。飢餓と寒さで困っている人を追い返すわけにいかない」とのべながら、戦争と難民の流入で悩めるパキスタン政府の姿を率直に語っていました。
そして、局長は、ムシャラフ大統領もアメリカの戦争に協力しているが、「短期間の、目標を限定した軍事行動にすべきだ」と、戦争の早期終結を要求していると紹介しながら、戦争は早くやめるべきだと強調していたことは、非常に印象的でした。
クラスター爆弾で傷ついた少女は
第二に、戦争の性格が文字通り、市民への無差別攻撃の報復戦争になっていることを、現地で改めて裏付けることができました。アメリカが当初いっていた、ビンラディンを捕まえる、アルカイダを壊滅する、そういう戦争の目標は、いまや一般市民を巻き込む、巻き込むどころか標的にしているとさえいえる戦争になっています。その象徴がクラスター(集束)爆弾の使用です。これは一つの爆弾から二百の子爆弾が出て、その破片で子どもたちや市民を殺傷するという残虐兵器ですが、ぺシャワルの大学病院でクラスター爆弾で傷つけられた少女を見舞い、話をききました。
つきそいの方が、女の子のおなかを見せてくれました。六、七歳だろうと思っていたら、十一歳という。慢性栄養失調のため背が伸びない。少女の右目とおなかが激しく傷ついていました。爆発したとき、「がまんできないくらい痛かった」、そして気を失ったといいます。十六歳の兄、ブラヒム君は足に数カ所の傷がありました。彼は、ジャララバードの南四十キロメートルの村で農作業をしていたとき、黄色い茎をもつ白い花びらのようなものがひらりひらりと降りてきた。何だろうと妹と一緒に近寄ったら爆発したと証言しました。
私たちはこれに先立つ十月三十一日、イスラマバードで国連の地雷除去担当責任者のダニエル・ケリー氏と会っていました。クラスター爆弾の模型を示しながら、彼がコソボで活動していたときに米軍によって使われた実物のクラスター爆弾と同じだといいながら、説明してくれました。
彼は国連として、ヘラートで、クラスター爆弾を使った攻撃を確認しているとのべました。米軍にその除去を容易にするため、情報の提供を申し入れたら「なんと拒否した」と怒りをあらわにして語りました。ケリー氏は、ジャララバード、カンダハル、カブールでクラスター爆弾が使われている可能性が強いとのべていましたが、その四日後に、私たちはこの目でクラスター爆弾による負傷を現認し、この残虐兵器が使われていることを確認しました。私たちは独自の調査で確認したクラスター爆弾の使用を国連に通報します。
「ブラザー」の日本が軍を出す!?
第三に、日本は何をすべきかという問題です。
現地であらためて痛感したことは、パキスタンへの自衛隊派遣はとんでもないということです。
現地の国連機関では、難民キャンプには、およそ軍隊がやってくる理由がないし、いま軍隊が必要だとは考えていないという立場です。NGOの力で十分やれるというのです。私たちは、国連関係者から、リアルな話を聞きました。例えば、自衛隊であれ、どの国の軍隊であれ、難民支援でキャンプに行くとする。何が起きるかというと、難民を受け入れるキャンプでは水の確保、食料の確保が大変です。ところが、そういうところにたくさんの隊員や兵士たちがやってきて、水もなかなかないところで、自分たちはシャワーを浴びないとやっていけないという。難民がろくに食べられないのに、自分たちはきちんと食事をする。夜になれば、本も読みたい、手紙も書きたいと自由自在なことをする。そんなことを現地の難民が見たら、どうなるか。非常にリアルな話だと痛感しました。
イスラマバードで、プロフェッショナル・フォーラムというシンクタンクの代表と会いました。テロにも戦争にも反対する、国連中心に法の裁きによって、特別法廷をつくるなどして問題の解決にあたるべきだと主張しており、共通した立場だと確認しあいました。
その代表の方がいいました。「日本が自衛隊を派遣することは間違っている。日本はこの地域では、どの国からも、どの民族からも、恨まれたことはない。自衛隊の派遣は、日本が紛争にかかわることになるし、アメリカの軍事行動を支援することになる。日本がわれわれの友人でなくなることを意味する。日本には、軍隊を持たない憲法があるのだから、その方向に沿って役割を果たしてほしい。広島・長崎の原爆で、戦争の悲惨さ、無実の市民の犠牲の重さを知っているわけだから、なおさらだ」
パキスタンはもちろんですが、パキスタンより西の中東諸国、イスラム諸国に、日本が土足で入りこんだことは、歴史的にありません。だから、パキスタンをはじめ、そういう地域では、非常に親日感情が強い。日本人には「ブラザー(兄弟)」と親しみをこめて呼びかけます。自衛隊の派遣が、日本とパキスタンの友好関係を壊してしまう。この強い指摘を、多くの方から聞きました。
私たちの訪問中に、与党三党幹事長のパキスタン訪問がありました。われわれからみると、着いてカラチで一泊して、イスラマバードには泊まらずにすぐに帰ってしまった訪問だとなるんですが、この訪問で日本側から一方的におこなわれたのが、もっぱら自衛隊の派遣の話です。
山崎拓幹事長(自民党)が、記者会見でこう語っています。「今回、自衛隊を外国へ出すのは当然だが、自衛隊派遣の唯一の対象となる国がパキスタンだ。パキスタン側からも、自衛隊への役割の期待が表明された」。これを、外務大臣とムシャラフ大統領との会談の後に発表しました。
「しんぶん赤旗」特派員が、パキスタン側の大統領府と外務省の報道官の記者会見にいったところ、自衛隊派遣について何も触れないので、「日本側は、パキスタン側が自衛隊派遣に期待を表明したといっているが、その点はどうなのか」と質問しました。すると、二人の報道官はともに「われわれは、自衛隊派遣のことは知らない」とのべたのです。会談の内容に精通している二人が、そうのべたところに、パキスタン政府の自衛隊派遣についての考え、思いがよくあらわれています。
翌日の現地新聞の報道を見ると、有力英字新聞「ドーン」(四日付)は、日本のことは、一面で「ジャパン・プラットフォーム」(NGOの共同センター)の難民支援のことが書かれている。与党三党の訪問のことは、何回ページを開いてもでてこない。やっと最後のページに、写真があった。外相との会談の写真だけですが、記事がない。政府の報道官の対応といい、マスコミの報道ぶりといい、今回の与党三党幹事長の訪問は、まともに扱われていないだけでなく、お笑いぐさとなっていると思います。
そのなかで、いまどういう貢献が日本に期待されているか、何が求められているのでしょうか。
それは人道支援です。食料をはじめとした人道支援を強めるということです。だれも、戦争に協力してほしいなどとはいわない。地雷除去担当のケリー氏は、「日本政府は以前には、地雷撤去のため、重要な拠出金を出していた。しかし、昨年も今年も一円も出していない。現地の大使館に何度も要請したが、音沙汰(おとさた)なしだ。これは一体どういうことだ」と憤まんやるかたなしというふうでした。
私たちは日本のNGOの「ジャパン・プラットフォーム」と懇談しました。非常にいい活動をしていますが、政府からの予算が五億円。五億円で一体何ができるのか。他国とくらべて、国からのでる予算がまさに少ないと痛感しました。
現地の活動を見るとすぐにわかりますが、国連と協力し、その計画にしたがって実際に仕事をするのは、全部NGOです。したがって、国連の専門機関とNGOが一体となって、どれだけきちんと仕事をするのかが、支援のうえでも非常に重要です。
歴史的にも、難民問題はNGOが中心になってとりくみ、短時間に支援を行き渡らせるネットワークもつくってきました。支援はNGOが中心になってやる、これは常識中の常識です。ですから、政府がNGOにたいして必要な資金を拠出する。これはどの国も当たり前にやっていることで、日本はそれが極端に少ないという問題があります。
そして日本国民にたいする期待は、いうまでもなく、戦争中止の声をもっと大きくしてほしいということにあります。「ブラザー(兄弟)」なら、互いの気持ちがわかるだろうというわけです。
テロ勢力を利する報復戦争
第四に、パキスタンとイスラム諸国をめぐる政治情勢の展開とそのなかに、戦争やめよの声が大きくなっていると同時に、戦争がテロ勢力に有利な形で、テロとたたかう国際戦線に亀裂をつくっている状況を手に取るように見ることができました。戦争の継続は、その亀裂をますます大きくしてしまう。このことは非常にはっきりしております。
パキスタン外務省の局長は、「戦争の継続がイスラム対アメリカの構図をつくりつつあるのではないか」という私の指摘にたいして、「まったくその通りだ」とのべて、「それが私たちがいちばん懸念していることだ」と強調しました。
日本共産党の不破議長と志位委員長が各国政府首脳にあてた二つの書簡を渡すと、局長はその場で読んで、「完全に賛成だ」と。「パキスタンはテロに対する『国際的な連合』に参加しているけれども、戦争をやめよという声が国内でも大きくなっている。戦争が長引くと政府への支持もなくなる」と、ここまでのべました。たいへん率直な意見交換でした。私たちが主張していることは、道理があるゆえに、広範な人々と共有できる立場であると感じました。とりわけ、直接の関係国であるパキスタン政府とこうした議論ができたことは非常に重要だと思いました。
シンクタンクのプロフェッショナル・フォーラム代表も、非常に強い懸念を表明しました。この組織はイスラム原理主義に反対し、法の道の解決を主張しているわけですが、その代表は、パキスタンの軍隊は九五%の兵士がイスラムによって動機付けられている軍隊だ、ジハード(聖戦)を信じて、シャヒード(殉教)で、天国に行けると信じている兵士だといっていました。だから、大統領が仮に原理主義者を弾圧せよという命令を出しても、恐らくそれに従わないだろう。それがパキスタンの軍隊だ。大統領のいちばん悩めるジレンマはそこにある。そうのべておりました。
イスラム諸国全体を見ても、同じような状況があります。アメリカと五十年以上にわたって盟友関係を結んできているサウジアラビアは、イスラム教徒にとってはメッカのある聖地の国です。パキスタンの人たちが、自分たちの国が破壊されても、聖地の国・サウジアラビアは守る。そう断言するぐらいイスラムに大きな影響を与えるサウジアラビアが、戦争開始後長い間の沈黙をやぶって、サウジの王子が戦争を早くやめよと主張する。旅の経由地ドバイでサウジの有力新聞アルビラットが「ジェノサイド(大量殺りく)となっている戦争を中止せよ」という社説を出している報道を知りました。
戦争反対の声はますますつよまっています。同時に、テロ勢力の計算に入っていたのではないかと思えるような、戦争による原理主義者の勢力拡大という亀裂がどんな状態をもたらすのか、生きた形で、つぶさに体験してきました。今月十六日から始まるラマダン(断食月)の最中にも、戦争が継続されるときには、その結果ははかりしれません。
20年来の党の立場に共感の声
第五に、アフガニスタン、パキスタンで歴史的な幅のある活動をしてきた日本共産党の立場がすんなりと受け入れられる、ここに、今回実感した大きな特徴があります。
一九七九年末、ソ連がアフガニスタンを侵攻したときに、私はアフガニスタンに入って、何がおこったかを取材し、これはソ連の侵略以外の何ものでもないと、カブールから世界に向かって告発しました。そのために、その後はアフガニスタンに入れなくなって、パキスタンなど周辺諸国で取材しました。そのときにペシャワルの難民キャンプにいきました。今回二十年ぶりの訪問でした。当時のアフガニスタン問題についての党の論文(英文)を持っていって、何人かの人に読んでもらいました。もちろん、二つの「書簡」も渡しました。非常に大きな反響がありました。
「共産党だからソ連と同じだと思っていたけれども、そういう態度をとっていたのか。見直した」。本題に入る前に三十分間、日本共産党についての質問ぜめにあって、それで納得して腹を割って話をする、そういう場面もありました。
共産党を名のってパキスタンで活動するのは非常に難しい、共産党とあまりいわないほうがいい――私は現地を熟知している知り合いの方からそういわれました。二十年前にも、確かに共産党といって危ない目にあったことを思い出して、一行にはわざわざ党名が入らない名刺をつくっておいたほうがいいといっていたのですが、一枚もその名刺を使わずにきました。
国営パキスタン通信(APP)のペシャワル支局長も、日本共産党のアフガン問題の論文を手にして「これは精読したい。精読してから感想文をみなさんに送りたい」、そういうことをいうぐらいです。ですから、その点で「日本共産党」ということで困ることはいっさいありませんでした。逆に、歓迎されました。パキスタンで日本共産党を語り、その姿を知っていただく活動ができたことは望外のことでした。
日本人を見ると「ブラザー」といいますが、党の立場を知ると、私は、親愛の気持ちをこめて「ディア・ブラザー」と「親愛な兄弟」とよばれました。「兄弟」になりきるために、ヒゲものばしました。二十年来の党の歴史がもっともわかりやすく、党を理解してもらえる状況を、私は非常にうれしく誇りに思いました。
10歳の子が「平和買いたい」
私たちは難民キャンプなどで教室を訪問しました。絶望のなかで希望と未来を感じられた場所でした。アフガンの子どもたちは栄養不良でしたが、私にまとわりついて押してくる。その力が結構強く、五人で押されると、後ろにさがるぐらい。その力がうれしかった。
ある教室では、十九世紀にイギリスの国王を撃退した歴史を勉強していました。私があいさつで、「アフガン民族は、勇猛心、独立心が強くて誇り高い民族だ」というと、万雷の拍手がおきました。生徒たちに、どこでも「将来何になりたいの?」と聞きました。「お医者さん」「先生」、いろんな答えが返ってきました。銃の引き金を引くまねをする子もいました。そのなかに「お金持ちになりたい」という十歳の男の子がいました。「なんで」と聞くと「お金持ちになって、アフガニスタンに平和を買いたい」といいました。子どもがここまでいうのかと涙がこぼれてきました。
ペシャワルで、十月十六日にカブールの中心部が爆撃されて、逃げてきた女性と会いました。その方は、どんなにひどい爆撃かを強調しながら、「タリバンは車を使ったりして自由自在に逃げ回っている。爆撃によって犠牲になるのは市民ばかりだ」「戦争は早くやめてほしい、そして自分たちにほしいのは、平和、調和、兄弟愛だ」と切々と訴えていました。どの証言を聞いても、胸が痛みました。
戦争を憎み、平和を切望し、その実現を願う気持ちがどこでものべられました。私たちの党の立場がそうした現地の方々の気持ちにぴったりしている。しかも、たんに「戦争をやめてほしい」というだけではなく、私たちは「こうしたらテロ問題を解決できる」という道を訴えてきましたけれども、それが多くの方々から共感をもって受け入れられました。日本共産党の立場がそういう力を持っている、広がりを持っている、パキスタン政府とも話をして共通部分があり、お互いに理解し合える、そういう広い立場にたっていることを現地で実感しました。
2001年11月11日(日)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2001-11-11/07_0401.html