投稿者 あの〜 日時 2001 年 10 月 29 日 18:37:34:
<エディトリアル2・戦闘シーンのやらせ取材
本誌特派のマルクス・ベンスマン記者が告発>
タリバン政権による“ジャーナリスト狩り”は、民主主義に対する重大な挑戦だ。それはそうなのだが、一方でこのテロ戦争を報じるメディア側にも反省すべき点はある。物見遊山よろしく大挙して北部同盟支配地域に乗り込み、猫の目のようにいうことがかわるアブダッラー外相の会見を世界にタレ流すだけでは、ジャーナリズムの使命を果たしているとはいい難い。
以下、本誌が特派したドイツ人ジャーナリスト、マルクス・ベンスマンが見た≪アフガン報道村≫の実態をリポートする。
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北部同盟の古ぼけたヘリコプター『MI8』が、もの凄い音をたてながらアフガニスタン上空を飛行している。機体の外側は緑の塗装が剥げ落ちて黒ずみ、コックピットの計器類のいくつかは取り外されたままになっている。
北部同盟の本拠地パンジシール渓谷からタジキスタンの首都ドゥシャンベへ向かう機内には15人の乗客が詰め込まれ、折り畳み式の補助シートや、カラの黄色い予備燃料タンクの上に窮屈そうに座っている。そのうち10人は、ジャマリー台地からドゥシャンベへ戻る報道関係者である。
カブール北部のジャマリー台地には世界中から300人以上の報道関係者が集まり、まるで行楽地のような有様になっている。そして、今なお毎日数十名が、タジクからアフガンへと入国している。その大多数はヘリコプターの座席を確保できずに陸路で向かおうとするため、アフガンのドライバーたちは大繁盛だ。国境を出発し、アンジュマン峠を越えてパンジシール渓谷に入り、ジャマリー台地まで運転すれば2000米ドル以上を手にする。
峠に道はなく、ジープは歩くほどのスピードで登っていく。ぬかるみにはまりこんで動けなくなった車は、もうどうすることもできない。客たちは高地の冷たい風に震えながら車が通りかからないかと目を凝らすことになる。あるポーランド人ジャーナリストに至っては、乗っていたジープが谷川で横転し、凍てつく流れの中をようやくの思いで川岸にたどり着いたという。
彼らは皆、頭の中で、<最前列の戦車に同乗して首都カブールに入城>――などといったスクープを夢見て前線を目指しているのである。
ところが、到着すると間もなく、ジャマリー台地で戦闘が起こらないと確信するに至る。むしろ彼らの被害の方がここの住民より甚大かもしれない。
明らかに定員以上の人数で溢れている宿泊施設に詰め込まれ、トイレは40人以上に1個の割合で、地面に穴が掘られているだけ。多数の報道関係者が体調を崩し、熱っぽい目をしながら不潔な宿舎で一日を過ごしている。北部同盟のムジャヒディン(神の戦士)がカブールへ進攻せず、塹壕にしゃがみ込んで退屈している限り、彼らに活躍するチャンスはない。
そこで、世界の目であり耳であるはずの報道関係者たちは、まるで団体旅行の参加者みたいに錆び付いた戦車などに案内されることが毎日の仕事になる。その役目を担う司令官たちは、最初のうちはカメラマンに、「話すときにはカメラを見てください」などと注文を付けられていたが、今ではすっかり慣れて、申し分のない態度でインタビューに応じている。
通訳の確保にも苦労する。記者ばかりが多くて、十分に英語ができるアフガン人が圧倒的に足りない。だから、一日100米ドルもの料金を請求するが、そうした高給取りの通訳を介して、住民に「何歳ですか」と尋ねたはずが、「名前はサリムだ」という答えが返ってきたりする。
何人かのジャーナリストは本国から何度も催促されてやけくそになったのか、“写真撮影用”に山地の方角に一発撃ってくれるように前線の歩哨に頼んで戦闘シーンを演出した。そして、カラシニコフ銃をかついだ髭面の男を見かけると、道端にジープを止めて誰彼かまわずインタビューを申し込む。
そうした報道関係者の中には、“ニュースを自ら創り出す者”も現われ始めた。そうした連中は、遠出から戻ると、お茶を飲みながら頭をつきあわせて相談している。それらしい理屈をひねり出し、その日見て来たささやかな事実をほんのちょっと膨らませるのだ。彼らの伝えるニュースは、残念ながら彼らだけの真実であることがほとんどだ。