投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 11 月 10 日 20:12:28:
回答先: 北部同盟将軍、マザリシャリフ突入と語る〔読売新聞〕 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 11 月 10 日 11:08:23:
11/10 08:04 血塗られた攻防の歴史 虐殺、報復で1万人死亡 陥 外信10
【イスラマバード10日共同=沢井俊光】アフガニスタンの反タ
リバン勢力、北部同盟が九日、タリバンから奪回した同国北部の戦
略的要衝マザリシャリフは、過去四年間で二度、同盟軍とタリバン
軍が激しい攻防戦を展開、住民を含む一万人近くが虐殺されるとい
う血塗られた歴史がある。
最初の攻防は一九九七年五月。前年に首都カブールを支配したタ
リバンは、天然ガス資源を有する北部を制圧しようと、同盟側の最
後の本拠地だったマザリシャリフに一気に攻め込んだ。
しかし、南部のパシュトゥン人主体のタリバン軍は、武装解除に
抵抗したハザラ人ら住民の激しい反乱に遭遇。迷路のような路地に
追い込まれたあげく、家の中から銃弾をあられのように浴びて、六
百人のタリバン兵が死亡した。
同盟側の捕虜になった数千人が生き埋めなどの方法で虐殺され、
この中にはガウス外相ら当時のタリバン政権幹部も含まれていたと
される。
九八年七月、体制を立て直したタリバン軍は再びマザリシャリフ
へ進攻した。ウズベク人司令官たちをわいろで寝返らせて同盟軍を
分断し、ハザラ人部隊を総攻撃。前年の復しゅうを果たそうと、住
民を無差別に殺害。生皮をはぐなどの方法で虐殺された被害者は国
連の推定で五千―六千人に上った。
ハザラ人グループは同じシーア派イスラム教国であるイランの支
援を受けており、タリバンはマザリシャリフのイラン総領事館を襲
撃、イラン人外交官を射殺した。このため、イランは軍をアフガン
国境に集結させ、タリバンとの戦闘開始寸前の事態にまで至った。
(了) 011110 0804
[2001-11-10-08:04]