投稿者 dembo 日時 2001 年 11 月 10 日 15:12:27:
米同時テロとわが国の対応 行政調査新聞
http://www.gyouseinews.com/domestic_prospect/nov2001/001.html
九月十一日に起きた米中枢同時テロは世界に衝撃をもたらした。欧州各国、ロシア、中国からパレスチナ自治政府に至るまで、世界中の国々はこのテロを糾弾し、またテロと対決する姿勢を前面 に押し出した。
その一方でどの国家も、この悲惨な事件を乗り越えるだけでなく、これを好機とばかり、政治経済思想面 でのさまざまな展開を試みている。反テロという姿勢を、新疆ウイグル地区独立運動弾圧に利用しようとする中国、同様にチェチェン弾圧に乗り出すロシア。あるいは旧宗主国として利権復活を求める英国、そしてウズベキスタン駐留を基に中央アジア石油利権を掌中に収めようとする米国。米中の支援を取り付け西南アジアの中心に位 しようとするパキスタンや、そのパキスタン潰しを画策するインド。あらゆる国家、民族がこの事件を転換期と捉え、大きな一歩を踏み出したなか、わが国はそうした潮流から完全に取り残されているように思える。
米中枢同時テロ勃発直後に小泉首相は「テロリズムに対するアメリカの姿勢を強く支持する」「援助と協力を惜しまない」と強い決意を語り、九月二五日には訪米して首脳会談に臨んだ。これに先立ち、九月十五日に行われた柳井駐米大使とアーミテージ国務副長官との会談で「Show the flag (旗幟を鮮明にせよ、態度を明らかにせよ)」という言葉が誤って報道された経緯もあり、米軍によるアフガン攻撃の後方支援として自衛隊派遣が必然のように決定されてしまった。
自衛隊法改正や自衛隊派遣について、世界情勢の推移に対応してこれを変更することには何ら問題はない。問題はしかし、今回のアフガン攻撃に自衛隊を支援させることにどんな意味があるのか、である。
九月に小泉首相が訪米した時点で、ブッシュ政権がわが国に対して求めたのは以下の三点であった。
一、テロリストの金の流れの把握。
二、イスラム過激派に関する情報提供。
三、人道的支援並びにポスト・アフガン構想。
「一」については国際的には「テロ資金防止条約」があり、先進国はこれを批准している。ところがわが国は米国からの要請にも関わらず、ずっとこの条約批准を拒否してきた。
話はちょっと古くなるが、今年五月一日に成田空港で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の最高実力者・金正日の長男・金正男が身柄を拘束されるという事件が起きた。
北朝鮮は米国からテロ国家と認定されている国だが、イラクに武器輸出(スティンガー・ミサイル)を行い、その売却金をスイス、シドニー、東京の三カ所に送金してマネー・ロンダリング(資金浄化)を行っていた。金正男はそのカネを受け取りに極秘来日したものだということは後になってからわかったことだが、わが国は金正男を拘束しただけでそのまま北京へ送り返してしまった。
金正男訪日時点で北朝鮮のカネの流れを解明できるチャンスがあったのだが、なぜかそのチャンスを棒に振ってしまった。北朝鮮の資金が足利銀行にプールされていることは、今では公然の秘密であり、北からの資金流入は足利銀行新宿支店一店に限られているとされるが、その実態すら解明されていない。
「テロ資金防止条約」が批准されれば、そうしたカネの流れはすべて強制的に明らかにされる。解明されては困る人々がいた結果 として、今日までこの条約が批准されずに来てしまった。なぜこの条約が批准されなかったかと言えば、そこには強大な力を持つ複数の政治家が介入していたことは誰の目にも明らかである。世界の安定やわが国家、国民のことなど無視して、政治家の懐具合が優先された証拠である。これは米中枢同時テロとほぼ刻を同じくして発見された狂牛病問題の本質とまったく同根である。
政府はさる十月三一日に「テロ資金防止条約」に署名。今後は条約批准に向けた関連国内法の整備を進めるだろうが、九月の日米首脳会談時点では、残念ながらわが国では「テロリストの金の流れの把握」はできない状態にあったのだ。小泉首相はこの要請に応えることはできなかった。
米政府が要請した「二」の「イスラム過激派に関する情報」は、実際にはわが国内部に大量 に存在している。
わが国は古くからアラブ諸国と深い繋がりを持ってきた。戦前の大川周明だけではない。中谷武世、田中清玄、山下太郎……。イスラム派の国士は彼らだけではない。
昭和四七年(一九七二年)五月、テルアビブ・ロッド空港で三人の日本人が自動小銃を乱射して二四人を殺害、七六人を負傷させた。この事件を引き起こした三人のうち、奥平・安田は自爆。一人自爆に失敗した岡本公三のみが逮捕された。じつは案外知られていないが、この事件こそ初の「自爆テロ」だった。日本赤軍という極左の政治思想闘争のなかで行われた自爆テロではあったが、他民族のために自らの生命を進んで捨てるという行為に、アラブの人々は感動した。当時、モサド(イスラエル諜報機関)はこう嘆いたものだった。――命を惜しむテロリストの扱いは簡単である。だが、命を不要とするテロリストは、われわれには扱えない――。
世界の多くが憎み、敵とみなした日本赤軍の三人は、アラブでは英雄となった。
日本赤軍の重信房子はその後もアラブに残り、世界で唯一、イスラム過激派の全体像を把握できる人物とされている。その重信房子は今、逮捕され拘置所にいる。
米ブッシュ政権が求める「イスラム過激派に関する情報」は、事実わが国に存在するはずなのだが、外務省と警察庁、公安警察と公調等々という縦割り対立構図のなか、政府がこれを手に入れることは不可能な状況にある。さらに言えば、歴史認識に欠けている小泉首相にこの状況を明確に把握できる力はない。
米政府が要望する「三」の「人道的支援並びにポスト・アフガン構想」には十分応じることが可能だ。わが国は米同時テロ勃発後、パキスタンには早くから難民支援の食糧物資を送り込んでいるし、また昨年来、アフガンの北部同盟とタリバンとの会議を東京で開くことを計画してきた。しかしこれらは、極めて地味な活動であり、国際的には重要と認め難い雰囲気がある。
そこで登場したのが「自衛隊による後方支援」というアイディアである。十一月九日には「テロ対策特別 措置法」に基づく米軍後方支援の自衛隊派遣に先立ち、「きりさめ」「くらま」「はまな」の三艦がインド洋に向かって出航した。
こうした動きのすべてを批判するつもりは毛頭ない。大新聞の多くは自衛隊派遣そのものを問題視しているが、最も問題なのはわが国が激変する世界情勢から乖離している点である。
最近では田中外相の言動が非常識であると批判され、国際政治の舞台に立たせることは恥であるような論評が目立つが、本当のところは外相どころか蔵相にしろ農水相にしろ金融相にしろ、いや日本の全閣僚誰もが国際政治の舞台に立てるような人物ではない。
米中枢同時テロを契機として、世界中の国々は活発な政治活動を展開しはじめている。東アジアでは、ASEAN(東南アジア諸国連合)+中国(北京政府)との間に、自由貿易協定を締結しようとする動きまで出ている。これなど、かつてマレーシアのマハティール首相が日本を中心とする大東亜貿易圏を構築しようとした動きそのものであり、「日本」に代わって「中国」がその主導的立場に立とうとするものだ。すでにアジアからも、わが国は見離されそうになっている現実を、わが国民、わが政府はどう捉えているのだろうか。