投稿者 あっしら 日時 2001 年 11 月 08 日 22:33:52:
回答先: 10/16『ニューヨークタイムズ』同時多発テロ記事の全訳と大いなる疑問点 投稿者 あっしら 日時 2001 年 11 月 08 日 22:28:38:
ニューヨークタイムズ:2001年10月16日16:16
「我々は数機の航空機を持っている」とハイジャック犯は管制官に告げた
By MATTHEW L. WALD with KEVIN SACK,
http://news.ft.com/ft/gx.cgi/ftc?pagename=View&c=Article&cid=FT3S9DFDCQC&live=true&useoverridetemplate=ZZZ99ZVV70C&tagid=ZZZOMSJK30C&subheading=US
ワシントン、10月15日:アメリカン航空11便は奇妙な沈黙状態に陥った。航空交通管制官は、再三再四応答を求めた。応答はない。そして、管制官は「我々は数機の航空機を持っている。静かにじっとしてれば大丈夫だ。我々は空港に戻っている」というコックピットからの見知らぬ声を聞いた。
困惑した管制官は「私に呼びかけているのは誰だ?」と訊ねた。
応答なし。それから、管制官は、「誰も動かないように。我々は空港に戻っている。馬鹿なことを起こそうなんてするな」というその声を再び聞いた。
その男は、自分自身が乗客に話そうと思ったのか乗務員の誰かが無線マイクをオンにするかしたために、パイロット達や管制官にモニターされている周波数で話していた。その声が、9月11日の恐怖の最初の暗示だった。
ニューヨークタイムズが入手したパイロットたちと管制官のあいだでの交信の写しは、コックピットと管制センターでじわじわ拡大していった恐怖の自覚を明らかにしている。インタビューとその他のドキュメントの一連のものは、澄み切った晴天の日常の朝がどのように刻々と混乱へそして恐怖へと変わっていったかという見えない状況を現し出している。
前例のない災厄のシグナルが、冷静できびきびした専門用語で地上と大空のあいだを弾んだ。航空会社と軍の全職員は、カオスを理解しコントロールするために苦闘した。
ハイジャックが起きたという信頼できる最初の兆候は、午前8時14分にロサンゼルスに向けボストンを飛び立ったユナイテッド航空175便によって拾い上げられた。UA175便が離陸した直後、航空交通管制官は、既に見失っていたAA11便を見つけた他のパイロットから助けを求められた。
パイロットは、離陸直後の午前8時41分に、「我々はボストンを出発したときおかしな送信を聞いた。誰かがマイクを調節したような音がし、みんなに席にとどまるよう言った」と報告した。
90秒もたたないうちに、そのパイロットの飛行機は映画のような災厄の次の1コマになってしまった。UA175便は、ロサンゼルスへの予定されたコースから離れていき地上との交信もやめた。管制官は、「トランスポンダー(位置高度を示す自動応答装置)の発信はなく、なにもなく、誰もパイロットに話していない」と語った。
そして、午前8時50分、見知らぬパイロットが共用周波数で「ローアーマンハッタンの煙が何か誰か知ってるかい?」と言った。
AA11便は、ちょうど数分前、世界貿易センターのノースタワーに激突しており、航空管制官は、別の恐ろしい沈黙に満たされているUA175便に繰り返し呼びかけた。
午前8時53分、UA175便が時速およそ500マイル(約800Km)−−−法定速度の2倍以上−−−でハドソン渓谷を南へと突っ切ったとき、ロングアイランドの地上にいた管制官には現実が明らかになっていった。管制官は、「ハイジャックかもしれない、すぐにこちらで問題が起こる」と言った。
その管制官は、まさに半分を知っていた。
最初のジェット機が世界貿易センターに激突した瞬間、インディアナポリスの管制官は、ワシントン郊外のダレス国際空港からロサンゼルスに向け飛行していたアメリカン航空77便と連絡を取ろうとしていた。そのパイロットはケンタッキー州ファルマスにある航行ビーコンに向かって飛行するよう指示を受けたことを確認していたが、地上からの呼び出しに応じることができなかった。
「アメリカン77、こちらインディ」と管制官は何度も何度も呼びかけた。「アメリカン77、こちらインディ、無線をチェックしてください。わかりますか?」
午前8時56分までには、AA77便が奪われていたことが明らかになった。ボストンから出発した航空機のハイジャックについて国防総省と既に接触していた米連邦航空局は、28分後の午前9時24分、AA77便のハイジャックを北米航空宇宙防衛総指令部か北米防空総指令部(Norad)に通知した。戦闘機がすぐにスクランブル発進した。
連邦航空局管制官がダラスにあるアメリカン航空のディスパッチャーオフィスを呼び、そこのディスパッチャーが別の無線で77便を呼び出そうとしたが失敗に終わった。
午前9時9分、アメリカン航空のディスパッチャーは77便に連絡がとれないと言ったが、会社は「2機目の航空機が世界貿易センターに激突し爆発したという未確認の報告」を受けていると言った。彼は、AA77便がその航空機かもしれないと示唆したいように思えた。しかし、実際のAA77便は、ピッツバーグを越えてワシントンへ向かってひたすら飛んでいた。
午前9時33分、およそ70分前にAA77便の完全に通常の出発を取り扱ったダレスの航空管制官が、レーダー画面で未確認の点を確認した。ダレスの管制官は、トランスポンダーの発信がないことを意味する“高速移動の主要ターゲット”がホワイトハウス・連邦議事堂・ワシントン記念碑上の飛行禁止区域に向かって東に移動していることを報告するため、カウンターパートであるレーガンナショナル空港を呼んだ。
ダレスの管理者は、ホワイトハウスのシークレットサービスに告げるためにホットラインを取り上げた。大統領はフロリダにいたが、ディック・チェーニー副大統領はホワイトハウスにいた。シークレットサービス要員は、副大統領を地下の避難壕に乱暴に押しいれた。
午前9時36分、AA77便の飛行経路にあったナショナル空港は、アンドルーズ空軍基地(ワシントンDCのもう一方側のメリーランドにある)から定期飛行で離陸していた軍のC−130貨物輸送機に、低空高速移動のターゲットをインターセプトし識別するよう依頼した。C−130の乗組員は、それが低空を高速で飛行しているボーイング757だと言った。
航空機はワシントンの中心に向かっていた。しかし、その航空機は、おそらく7千フィート(およそ2300m)−−−トランスポンダーが切られていたので正確な高度は確かではない−−−で国防総省ビルを横切り、地表近くに降下するため右に360度旋回を始めた。午前9時38分、国防総省ビル西側に激突した。
破壊力を最大限にするとともに航空機の操縦を容易にするため時速500マイル(約800Km)を超えていた。調査官は、のちにその航空機が国防総省ビル上を経路にするようオートパイロットで飛行していたと結論づけた。パイロットは、日々の仕事の負荷を最小にするとともに正確な進路と滑らかな飛行を確実にするためオートパイロットを利用する。
ペンタゴン激突のちょうど数分前、ニューアークからサンフランシスコに向け飛行していたユナイテッド航空93便がクリーブランド近くで予定進路から逸脱した。UA93便がハイジャックの警告を受けたことは今や明白である。
UA93コックピットの背景ノイズをカットすると、乗員は、ホームコンピュータで電子メールメッセージの到着を知らせるような“ピーン”という電子音を聞いていたようだ。それは、シカゴ近くのフライトディスパッチャーから無線で送られてきたテキストメッセージの到着だった。メッセージは「コックピット侵入に気をつけろ」というものだった。
メッセージは、オヘア国際空港近くにあるユナイテッド航空オペレーションセンターの“大陸横断”デスクに座っていたディスパッチャー(その朝の別の14機の航空機に対するのと同様175便と93便もフォローするよう配置されていた)から送られた。ディスパッチャーは、UA175便がハイジャックされたことが確認された後で、監視していた全ての航空機にそのメッセージを送っていた。
UA93便の操縦室にいたジェーソン・ダール機長と副操縦士レロイ・ホマーは、西に向け飛行を続けていた。攻撃前の最後の数秒間では、激しく反応する格別の理由はなかった。
ある航空乗員は、「アメリカではいつでもそのようなメッセージを受け取る。私は“ろくでなしめ”と考えるだろう。そして、既に起こったことだ、たぶんまた起こることはないだろうと考える」と言った。
9月11日以降、UA93便でのハイジャック犯と乗客の戦いの詳細がわかってきている。航空交通管制に関わっている人々は、連邦捜査局(FBI)がその航空機の会話を記録した飛行記録テープを押収し、そのフライトと地上との交信内容を確認できる写しはないと言った。しかし、そのテープを聞いた人によれば、『対決の非常に騒々しい音が頻繁に聞こえ、とてもごちゃごちゃしているが、「おい、ここから出ていけ!」といった識別できるフレーズもある』という。
頻繁に外国語の音があった。管制官はアラビア語だと思った。
UA93便は、午前10時10分、ペンシルバニア西部の野原に墜落した。しかし、その朝の最終的なコックピット侵入の前に、パイロットの一人が、シカゴからの警告が届いたeメール装置に向かい、画面にキーボードを表示させるためのボタンを操作し、「確認した」というワンワードの返事をタイプしていたことは確かだ。
バージニア州ハンプトンにあるラングレー空軍基地から飛んだF−16が到着したときにはすでに墜落していた。
ラングレーとコッド岬にあるマサチューセッツ州ファルマスのオーティス州空軍基地両方の2組の戦闘機パイロットたちは、いつものように朝を過ごしていた。座って待機し、彼らを時として超音速ジェット機のコックピットへとせき立てる鋭いクラクションの嵐を聞かないまま今日も過ぎるのかどうかと考えながら...
長年、アメリカ本土を空襲するという脅威は9月11日の朝の時点までひどく小さなものとみなされていた。全土が、7つの基地のあいだに散らされている14の州空軍部隊の航空機によって防御されていた。
AA11便のハイジャックに関してオーティスに最初の指令が届いたのは、連邦航空局がニューヨーク州ロームにあるNoradの一部門である北米防空セクターに最初に通知した6分後の午前8時46分である。6分後、1977年に製造され熱追尾型とレーダー誘導型のミサイルを装備した定評ある2機のF−15がNoradスケジュールに従ってスクランブル発進した。
パイロットの一人は、仕事として商用飛行機を飛ばしている非常勤の州兵だった。別のジェット機は、空軍州兵の常勤メンバーによって飛ばされた。
しかし、命令はあまりにも遅かった。オーティスのパイロットたちが彼らのジェット機へと駆けていたとき、最初の航空機は世界貿易センターに飛び込んでいた。UA175便が戦闘機派遣の10分後である午前9時2分に2番目のタワーに激突したとき、F−15はおよそ71マイル、8分離れたところにいた。戦闘機が到着した時、手を施しようもないパイロットは、荒廃した光景を最初に空から眺める立場になった。
“幸福なフーリガン”というニックネームを持つノースダコタ州空軍の第119戦闘機航空団に割り当てられていた全機材であるラングレーの3機のF−16も、ペンタゴンに激突したAA77を迎撃するにはあまりにも遅いスクランブルだった。
しかし、ユナイテッド航空93便がペンシルバニアで墜落していなかったら、ラングレーを飛び立った3人のパイロット−−−彼らのうち2人は商業航空会社のパイロット−−−は、38人の乗客と7人の乗務員が乗っている商業定期旅客機を撃ち落とすかどうかという悪夢のような決定に直面していたかもしれない。
ノースダコタ州軍の副官であるマイク・J・ハウゼン少将は、「考えることさえできないことをしなければならなくなることを防いだ。それは、あなた自身の市民に対して、あなた自身の兵器とあなた自身の訓練を行使することなんだ」と語った。
軍はパイロットたちの会見を許可しなかった。そして、ニューヨークタイムズはセキュリティのために彼らの名前を明示しないことに同意した。しかし、9月11日の彼らの活躍の詳細は、他の州軍高官とのインタビューを通じて見えてきた。
ラングレーで、ノースウエスト航空の33歳のパイロットで飛行指揮に指名されたパイロットは、誰かがテレビルームで「おい!航空機が世界貿易センターに突っ込んだぞ!」と叫び声をあげた時、コーヒーを飲んでいた。
「あまりにも突然だった」と部隊の前司令官ライル・アンドヴィク大佐は言った。「誰もが信じられないことが起きたんだ。彼らは北東防空セクターから命令を受け、パイロットたちはスクランブルの笛を聞き、階段を下りドアから出てジェット機に搭乗し発進した。その時、彼らは自分がなぜスクランブルさせられているのか認識できなかった。彼らは、他の航空機がハイジャックされていることを認識していなかった」
防空部門からコードネーム“ハンター”の命令を受けて6分後の午前9時30分、Noradスケジュールに従い3機のF−16が飛び立った。最初、飛行機は最高速度でニューヨークに向かいおそらく2分以内で時速600マイルに達したとハウゼン将軍は語った。そして、編隊飛行していた彼らは、西へと電波で進路を指示され新しいフライト目標を与えられた。レーガンナショナル空港である。
6発のミサイルを搭載した飛行機は、連邦航空局がすべての民間航空機に着陸するよう命令しているのを無線ヘッドセットから聞いたとき、超音速のすぐ下までスピードを落とし高度25000フィート(約8300m)で飛行していた。どれほど深刻な状況かを示す次の兆候は、ほとんど緊急戦時状況を示唆するコードが飛行機のトランスポンダー向こうの無線連絡フォームへの到着である。
ハウゼン将軍は、『彼らは、無線連絡を受け、飛行機が着陸する予定になっていることを聞いた。そして、ハンターが「フーリガン飛行隊、ペンタゴンが燃えているのを確認できるか?」と言った』と、指揮飛行機が見下ろしペンタゴンが燃えているのを確認したと付け加えながら語った。
そして、パイロットは、あのとんでもない朝のもっとも超現実的な命令を受け取った。ハウゼン将軍は、『ある人物が無線に割り込み、シークレットサービスだと名乗った。そして、「どんな犠牲を払ってもホワイトハウスを防御するように」と言った』と語った。