サダム・フセイン大統領の10月29日付けの書簡

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投稿者 dembo 日時 2001 年 11 月 06 日 21:59:36:

2001年10月29日.INA(イラク国営通信社)

サダム・フセイン大統領から西欧諸国民と政府への書簡


 慈悲深く慈愛あまねくアッラーの御名の下に

 いま一度われわれは米国を含む西側諸国のすべての国民と政府に書簡を送る。

 われわれからの平安の挨拶を待つ人々のもとに、すなわち(ワ・アライクム・アッ
サラーム)「あなたにも平安がありますように」と挨拶を交わす人々に平安を祈る。

 世界は先の9月の事件の続報と分析に最大限の注目を集中させたが、綿密な分析を
おこなった者は大多数ではなかった。けれど、今では、深く分析する人々が数の上で
は増加してきたように思われる。発生した事態の深刻さ、その動機または理由、そし
て事件の結果及び効果を調査している政府高官の数もまた増加している。多くの者が
よりよいことを思いつくとは限らないのと同じように、誰にでも大事件や複雑な状況
について深い考察ができるわけではないことを気付いていない人々にとっては、事件
が発生した時点では、その人員の多さや彼らのおこなった処理の仕方は惨めなもので
あった。

 事件に拍手喝采した人々であれ事件を非難した人々であれ、彼らの感情と精神の興
奮が比較的に静まった今、私は、彼らの責任の所在と役割を明確にしたうえで、国民
の支持に基づいた指導者の役割が演じられるべきであると、申し上げたい。いかなる
指導者にも求められる最も重要な資質の一つは、路上に横たわる暗い溝の目印をつけ
ることによって他の人を死から、また目印に気づかない者が奈落の淵に落ちることを
防ぐことによっても人々を救うことである。その時、指導者に託されている国民の高
揚あるいは優越感という特質が、国民の潜在的な思考及び行為と一緒に現れてくるの
である。国民や民族をおびやかしかねない脅威は、その脅威に対処する方策を導く責
任を当事者である国民に要求するばかりでなく、こうした危険が再発してこないため、
その危険を取り除くため、脅威を柔らげるか、根本的にその根拠に対処する見地から、
それらの根拠を分析することを要求している。

 残念ながら、これまでのところ、この方向での一般的な取り組みはまだ弱い。この
弱点を現象として示している点では、西側諸国の政府はこの弱さの先頭に立っている。
若干の国民、ジャーナリスト、著述家の側から起こった発言が、非常に制約された形
によるものであり、支配層にとって替わるべく影で準備している人々の発言であった。
それにもかかわらず、とって替わるべきポストの利害関係や権力中枢への影響力とい
うバランスに照らすと、後者の発言は状況に対処するには、まだ、ためらいがちだと
言えよう。米国に関して言えば、国民が絶大な影響力をもつシオニズムおよび彼らの
有名な目標と結びついた利権に奉仕する他のもろもろの行政機関の決定的影響から自
由でない限り、もし米国民があるがままの事実を知ることができる時に、国民の意識
のなかにある希望は政府のなかにあるものよりも大きいものであろう。

 9月11日の事件とその後の米国民の激しい反応、あるいは疑惑にもとづくアフガ
ニスタン侵略やメディアないしは米国内外の指導者たちによる中傷と声明を含めて、
この状況を利用した者たちの存在は、たとえ大西洋を渡ってきた火花であったとして
も、この広大な世界が西側諸国から発した一つの火花によって燃えあがるように設定
されているということを露呈することになった。当然のことながら、なにかを燃える
よう火を点じることは、その火を消すことよりも容易である。そして、善行が人の魂
と人生を高揚させる一方、悪行はそれらを堕落させるものである以上、悪行がその気
になっている者を誘い込むことは容易になるであろう。

 このような現実の様相にもとづいて、全世界は米国とその類いのもの(それが国家
であるか個人または組織であるかを問わない)によって突き落とされた深い奈落の淵
から救いだされる必要がある。実際、米国支配層がどの程度までみずからを危機に導
くかを知った今、世界はみずからを救いだしつつある一方で、米国そのものをも救い
だす必要がある。さもなければ、抜け出ることができないほどの深淵に落ち込むこと
によって、その深淵が流血と悲劇で満たされるまで、泳ぐことができないため呼吸困
難になる者がいることに注意を払うこともなく、世界は米国の重みによって衰退させ
られるであろう。

 ウム・アルマァリク(戦争の母/註:湾岸戦争のこと)の以前とその中でも、米国
など侵略に着手している者を前にしてわれわれが訴えたように、全世界はイラクやア
ラブ民族のように侵略に直面しても目標を見失わず、沈着冷静でなければならない。
米国が勝利することを許してはならない。米国および同盟者がイラクに勝利すること
は、それに反対する立場と分析をおおい隠すであろうし、長期にわたってこれらの事
実が再び姿を現すことを認められなくなってしまうであろう。実際、米国にはこれ以
上の虚栄と傲慢は必要でない。しかし、もし米国がいつかイラクを敗北させるような
ことになれば−神よ禁じたまえー、米国は無益なレベルにまで自国を持ち上げるため
の更なる虚栄を求めただろうし、それは米国をこのうえなく奈落に近付けるであろう。

 しかり。虚栄とは対決する必要があるように、圧制者とは対決せねばならない。そ
れはちょうど、安易に悪行を行ない、人に燃えさしを投げつけるような者たちと対決
する必要があるのと同じ道理である。われわれが侵略に直面するイラクについて語っ
たことにもとづいて、世界は今や、アフガニスタン国民に対する侵略を含む米国の侵
略的な計画を未然に防ぐ必要があり、米国の侵略政策は中止されねばならない。

 われわれは再び主張する。誰かが不正に処遇されていると感じ、そして誰も彼に対
する不正な処遇を排除することも止めることもしない時、彼は正義をかかげる方法と
手段を自分で求めるのである。もちろん、負わされた不正をふりほどく最良の方法が
誰にでも見つけられるわけではない。しかし、人々は自分自身の考えにしたがって最
良の方法であると自分が考えたことに頼るのであり、彼らの全員が最善の着想と手段
に到達するために、入手可能なものを超えるにいたる能力を備えていないというわけ
ではない。

 最善の方法を見いだすためには、神および神のもとの正義へ通じる道を見つけたの
ちに、不正によって苦しめられる人々は、自然な環境から隔離されないようにしなけ
ればならず、あるいはその環境の中で誤解から当局者によって故意に無視されたりし
てはならない。むしろ、彼らは安心して彼ら自身と環境から身を守ることを援助され
るべきである。われわれの世界に処罰は必要である、と主張することは当然であると
いうほかない。なぜならば、来世において必要なものは地球上のこの世界においても
また必要とされれるからである。しかし、来世での処罰は公正で正当なものであり、
預言者ならびに神の使者たちは(彼らすべてに平安あれ)処罰を行い、それを公正に
裁かれ、疑惑や気まかせなことを根拠となされなかった。このことからも、人が行な
う処罰も公正かつ説得力のあるものでなければならない。あなた方はたびたび、相手
を弱体化させようとして、批判する相手に対して彼らが非常事態法を使うからといっ
て批判し、また西側世界の基準にしたがって非常事態法は一般的なルールではありえ
ないといって批判しているように私は思う。ところで、あの悲痛な惨劇を目撃したあ
と、あなた方が独裁者とか専制君主であると非難する者について語るのとは異なって、
われわれは何十もの非常事態法とその処置が米国を筆頭とする西側諸国の政府によっ
て採用されてきたのを目にしている。

 あなた方は、米国で9月11日に起こった事件よりも大規模で危険きわまりないよ
うな、どれほど多くの悲痛な出来事が非民主主義であると君たちの非難する諸国やそ
の国民を苦しめて来たかをご存じだろうか? この事実一つだけでも、西側諸国の政
府及び国民によって熟考されるべき一つの事例であるが、しかし、それはここでわれ
われが論じる主要なテーマではない。

 今一度言うと、人々にたいする、そこから生まれる不正と抑圧は暴発点に導くとい
うことである。この暴発は、必ずしも組織されたものではないので、この人々をそこ
まで追いやったものばかりでなく他の人々を傷つけるかも知れないことは予想できる
ことである。もしアメリカ人がこれらの事件は海外からやってきた者たちの手で遂行
されたと確信するのなら、9月11日の諸事件はこの基礎の上に理解されるべきであ
り、民主主義的であることを非難された諸政府の側のバランスを欠いた反応に基づい
て吟味されるべきである。

 たんに重要であるということでなくて、むしろ、最重要なことに集中するために
も、再度申し上げたいのは、いかなる火の手も炎となって燃え上がり全世界を覆う程
に拡大して行くことを知った以上は、何よりも一番必要とされるのは、公正に基づく
正義である。このことの最良、最高な表現は、全能の神がかくあれ、かくあってはな
らぬということから学んだ者が知っている。

 もしわれわれが、本質において一致しないならば、その時のわれわれが願わしいと
思うことは、われわれ自身に望むものを他者が入手したり、享受したりすることを妨
げてはならない。また同時にわれわれは、他者にたいして、われわれが願わしいと思
うことは、拒絶したいものを与えると言う二重基準を選ぶべきではないと言うことで
ある。財産を持ったものは、飢えたる人々の社会の中で生活すれば、安全でないでは
ないことを誰もが知らねばならない。もしその資産家が、これらの飢えたる人々を搾
取したり、彼らの犠牲の上に財産を築いた場合は、彼の抱える問題は一層大きなもの
であろう。

 イスラム国家の第2代カリフ、ウマル・イブン・アルハッターブは、レマ−ダ(旱
魃)の年に、聖クルアーンの中に処罰すべきと明記されているにも関わらず、泥棒の
手を切断するという処罰の中止を申し渡した。カリフがそのように命じたのは、信者
としての感性から、一人の男または、彼の家族が飢えに直面している時に、信仰の正
確な基準は時として揺れ動くものであること、飢餓は窃盗の罪よりより攻撃的なもの
であり、人の命を救うことは誰かの財産を守ることよりもより重要だと信じるからで
あった。こうした理由から、彼はシャリア(イスラム法学)を凍結したのであった。
現代の人々は平和と安全の中で生活するために、果してこの教訓を学びとったのであ
ろうか。あるいは、関連する当事者たちは、彼らが自分たちのために望む安全という
ものが、他の人々を殺したり、脅迫したり、餓死させることをより増幅することによっ
て達成されると考えるからだろうか?

 われわれは、最近のニュースの中で、アメリカの公務員政府関係者たちは、炭素菌
の源は恐らくアメリカそのものであろうと考えていると聞いた。このような結論ある
いは情報は、ビンラ−デンが炭素菌の源だと聞かされて、あるいは他の非難への暗示
を聞いて、さらに多くのアメリカ人が面倒をみている人々に危害を加えることを続け
るべきでない、それはその人々削除こうしたやり方や他の手段によってより強力な反
撃を受けるだろうから、と考えていることを聞かされて恐怖に襲われた人々の注目を
そらせる戦術だったのだろうか? あるいは、彼らがこうしたことを強行したのは、
9月に発生した諸事件におけるアメリカ政府の無能力からその目をそらすことにあっ
たのだろうか? そして、今、彼らは、今、彼らの目標を達成できた、その結果、こ
の事件の実行と遂行者たちは闇に葬られるのだろうか?

 とにかく、このことや他の諸事件を通じて大量破壊兵器が自衛と彼らの国々を防御
する上で絶対的に必要としない以上、その所有者ばかりか人類全体にとって重荷になっ
ていることが示された。

 このことから、アメリカの納税者のポケットばかりでなく、彼らの予算や他の国々
の予算を空にするために、彼ら自身や世界をいわゆる対ミサイルの盾の入手に大わら
わにさせるのではなく、アメリカを先頭に、それから、あるいは同時に、世界の他の
国々で大量破壊兵器の一掃に精を出すべきである。言うまでもないことだが、アメリ
カを含む西欧諸国は、大量破壊兵器−核兵器、生物兵器、化学兵器を最初に作った国々
である。これらの兵器を使ったのも、第一に西欧やアメリカであった。
 
 9月に起こった諸事件やアメリカ人自身が言及した炭素菌はアメリカからやってき
たと言うことは、もし不正義と侵略が収縮されるならば、大量破壊兵器の負担と脅威
を取り除き、それを取るべき他の手段を刺激する拘束力のある協定に基づいて世界が
協力する重要性をはっきりと示している。人類にとって、そしてアメリカ国民にとっ
ての最大の脅威となっているのは、イスラエルが所有する同様の兵器、さらに他の国々
の同様の兵器とともに、アメリカの大量破壊兵器に外ならない。

 アメリカは大西洋を越えた国である。その信頼を確立するために、こうしたイニシ
アティブを発揮することが求められている1番目の国である。そしてイスラエルがア
ラブの領土や聖域を奪い、占領し、アラブ諸国民を抑圧し、彼らの感情を傷つけてい
る以上、またこのことから大失態が生じることが予測され、抑圧された人々の反撃が
予想される以上、イスラエルからこれらの兵器を取り上げることは必要になっている。

 その時点において、そしてアメリカがこれらの兵器を実際に廃棄しようとする時に、
健全な心を持った国なら、このような実際的な計画の枠組みに参加しない国はどこに
もないであろう。

 アメリカが世界に対するバランスのとれた態度を選択し、分別の道を見つけけてい
くのはその時であろう。世界がアメリカとの関係の中で、愛と尊敬を見い出す時に、
世界は尊敬と愛によって、アメリカに対処していくであろう。アメリカを含む世界が
平和のうちに生活を営み、奈落ヘの転落の瀬戸際に立つようなことはなくなるであろ
う。安全が広く行きわたるのを監視するのはある種の真の連帯に基づくものであろう
し、それは、勇気ある、公正な人々の連帯であって、大国の脅迫でも恐怖に基づく連
帯でも、利権に奉仕する連帯でもないであろう。

 このメッセージを伝えることを全能の神に祈り、神が御照覧あらんこと願う。

 アッラ−(神)は偉大なり

 アッラ−(神)は偉大なり

                 サダム・フセイン

        イスラム暦  1422年8月13日

               2001年10月29日

阿部政雄
「日本・アラブ通信」より
http://www.japan-arab.org


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