投稿者 いがらし 日時 2001 年 10 月 31 日 09:28:55:
現場から見た“素顔” タリバン 農民ら「彼らが来て安全戻った」 難民
(2001/10/30 中日新聞)
「出稼ぎ」越境、身分証偽造組も
四週目に突入したアフガニスタンへの米軍攻撃。米メディアが描くアフガン支
配勢力タリバンの凶悪イメージは膨らみ、単純化された難民の悲劇が繰り返し流
されている。しかし、パキスタンの国境沿いを歩くにつれ、こうした理解と実像
との差は広がるばかりだ。タリバンは悪者なのか、難民とはだれなのか。素朴な
疑問を現場で考えてみた。(パキスタン南西部クエッタで、田原拓治)
◆タリバン評価
「タリバンが来てから家の戸を閉める必要がなくなった」。アフガン南部カン
ダハル近郊のダマン村から、パキスタン南西部の国境チャマンに到着した農民ア
ブドル・ジャラートさん(46)はタリバンをこう称賛した。
一九九四年のタリバン誕生以前、盗賊と化した元ムジャヒディン(聖戦士)た
ちは村の家々に平気で押し入った。「そんな連中をタリバンは捕まえ、(イスラ
ム法に従い)連中の手首を切ってくれたおかげでわしらの安全な生活が戻った」
クエッタの非政府組織(NGO)で難民学校の教師を務めるザマン・ガニー氏
(33)の評価は対照的だ。同氏の父はカブール大職員だったという。
「自分もタリバンに加わったことがある。でも(処刑した)ナジブラ元大統領
を戦車の砲身からつり下げるような蛮行はイスラムとは無縁だ」
かつてカイロの貧困地区で「イスラム共和国」を樹立したイスラム急進派、イ
スラム集団を思い出した。教義にのっとって、ビデオ店を強制閉鎖した。一部の
者は嘆いたが、大半の住民は何とも思わなかった。ビデオデッキがなかったから
だ。
復しゅうなど欧米からみた「非人道的」行為も伝統社会では受け入れられる。
何より食べられ安全な暮らしを求める多数派の貧者がタリバンを支持し、教養と
余裕があった階層がタリバンに憎悪のまなざしを向けている。
◆だれが難民?
「国境を越えてはじめて難民なのです」。アフガン国境内にとどめられている
住民への対策がなされていないという記者団の追及に、国連難民高等弁務官事務
所(UNHCR)のファトマタ報道官は毅然(きぜん)と答えた。
アフガン内戦から二十年たち、パキスタンには二百五十万人のアフガン難民が
いるといわれる。生活基盤を築いた人々も少なくない。そんな親類を頼り、不法
越境している難民の数はUNHCRも把握できていない。
ことをもっと複雑にしているのは「ニセ・パキスタン人」の存在だ。パキスタ
ンの身分証明書があれば、難民は越境できる。その偽造証明書が広く出回ってい
るのだ。
チャマン国境で、バロチスタン州の部族警備隊員は記者に「パキスタン人」と
答えた人物を「あれはアフガン人。同じパシュトゥー語だがなまりで分かる」と
苦笑いした。
たしかに悲惨な境遇で越境している難民たちは存在する。だが、紙切れ同然の
アフガン紙幣につばし、「出稼ぎ目的」で国境を行き来している難民たちがいる
のも現実だ。
「日本に不法滞在しているイラン人やパキスタン人たちを難民と呼ぶかい?」
とあるパキスタン人は冷ややかに話した。同国がかたくなに越境を制限している
背景だ。
パキスタン英字紙に「越境を待つ難民たち」と説明の付いた写真が載った。し
かし、その帽子を見るとパキスタン・バロチスタン州の貿易業者たちだった。
「首都の人々じゃ区別できない」と警備兵は再び苦笑した。