投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 11 月 23 日 19:10:52:
11/23 16:38 「米国で英語学びたい」 タリバン兵の素顔と夢 「
共同
アフガニスタンのタリバン政権はこのほど、女性を含む外国人ジ
ャーナリスト百人余りに南部カンダハル州のスピンブルダクでの取
材を許可した。自由な移動ができない「軟禁状態」だったが、徹底
抗戦を唱える一方で、外国へのあこがれを語る若いタリバン兵士の
素顔も垣間見えた。
記者団は十九日から二十二日にかけ、へいに囲まれた畑地に入れ
られ、本拠地カンダハル取材も実現しなかった。だが数日間、寝食
をともにして、一部の兵士との間に打ち解けたムードも生まれた。
「米国に行き、美しい街を見たり英語を勉強してみたい。そして
あなたと一緒に働きたい」。タリバン兵となって五年のシャラファ
ト・ディンさん(26)は米国の女性記者に話しかけた。
「米国の空爆がなければ北部同盟など相手ではない」「タリバン
は最後まで戦う」。警備の兵士の発言はいずれも勇ましい。しかし
、上官の目を盗んでカラシニコフ銃を肩に記念撮影に応じ、戦争中
とは思えないちゃめっ気も見せた。ある警備兵は「銃を撃ったこと
がない」とささやいた。
外国報道陣を収容した場所を囲む壁や木の上には、朝からやじ馬
が鈴なりになった。世界から集まった外国人が珍しく、まるで動物
園の観客のようだ。
タリバン当局者が石を投げたり棒を振り回したりして追い払うが
、ほとんど効果はなかった。タリバンを非難する声も聞こえた。記
者たちの中から「市民はタリバンを支持していない」とのつぶやき
が漏れた。
軟禁状態は、記者団の不満を募らせた。二十一日のオマル師スポ
ークスマンの会見は、午前十一時の予定が夕方に。事前にだれが来
るかも知らされなかった。
時折訪れるタリバンの外務省職員や地元の警察署長からも「カン
ダハルを死守する」とお決まりの答えしか返ってこない。だが、カ
ンダハル取材を認めないのは、本拠地の支配に異変が起きているた
めでは―。そんな思いがよぎる。
アフガン南部も冬に入り夜間は零度近くまで冷え込む。敷地の建
物やテントに入れなかった記者たちは、車の中や軒先で寝袋を広げ
、ふるえながら長い夜を過ごした。(アフガニスタン南部、スピン
ブルダク共同=田辺宏)
(了) 011123 1637
[2001-11-23-16:38]