投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 10 月 25 日 22:37:59:
イスラムは平和的な宗教か(前編)――ブッシュとビンラディンの解釈はどちらが正しいのか(シース・スティーブンソン,Slate)
2001 年 10月 25日
イスラムは本質的に平和な宗教であり、テロリストは真のムスリム(イスラム教徒)ではないと、ブッシュ大統領は何度も繰り返している。イスラム問題の大統領顧問を務めるデービッド・フォーテは先日、イスラム過激派は「イスラムの伝統的道徳観の許容範囲をはるかに逸脱した戦術に手を染めている」と主張した(リンク1)。こうした論法は、世界中に10億人いるムスリムの怒りを買わないための方策としては有効だ。しかし、本当のところはどうなのだろう。実際にイスラムは平和な宗教なのか。それともイスラムそのものの本質に、暴力を育て、許容する部分が含まれているのか。
●「イスラムは平和な宗教なのか」
この種の問いに明快な答えを出すのは容易ではない。現代のイスラムに中心的権威が欠けているためだ。イスラム社会は互いに対立する無数の権威が乱立している状態にあり、ローマ・カトリックにとってのバチカン(ローマ法王庁)に相当する最終決定機関は存在しない。したがって、この問いの答えを探そうとすれば、ムスリム自身の主張やイスラムに対する批判的意見、そしてイスラム文化の核をなす基本テクストのなかに手がかりを求めるしかない。
まず最初に、基本中の基本テクストである聖典コーラン(クルアーン)の内容をみてみよう。
イスラム社会政教分離化協会(ISIS)のウェブサイト(リンク2)には、非ムスリム(イスラム教徒でない人々)に対する暴力の呼びかけとも受け取れるコーランの文言が紹介されている。
「かれら(不信心者)に会えば、何処でもこれを殺しなさい」(2:191)(編集部注1)
「多神教徒を……殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ」(9:5)
「(不信心者は)殺されるか、または十字架につけられるか、あるいは手足を……切断されるか、または国土から追放される外はない。これらはかれらにとっては現世での屈辱であり、更に来世において厳しい懲罰がある」 (5:34)
確かに穏やかとはいいがたい物言いだ。ただしコーランのなかには、平和と寛容を説いた部分も無数にある。たとえばムスリム作家のジアウッディン・サルダールは、英ガーディアン紙のサイトでこんな一節を紹介している(リンク3)。
「仮にあなたが、わたしを殺すためにその手を伸ばしても、わたしはあなたを殺すため、手を伸ばしはしない」
アーティストのユースフ・イスラム(旧名キャット・スティーブンス)は、やはりガーディアンで次のように解説している(リンク4)。
「コーランには、はっきりとこう書いてある。『(地上で悪を働いたという理由もなく)人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである』」
●立場や時代で変化するコーランの解釈
同様に、コーランの基本的な言葉の定義に関しても、立場によって意見の対立がある。
イスラムという言葉は「平和」の意味なのか(リンク5)。それとも一部の人々が主張するように、平和よりもずっと不穏当な「服従」の意味なのか(リンク6)。
ファトワー(意見書)とは「死刑宣告」のことなのか(リンク7)、それともサルダールが別の文章(リンク8)で述べているように「宗教的論拠に基づく単なる法的見解……あくまで一個人の意見であり、それを出した本人を拘束するものでしかない」のか。そしてジハード(聖戦)は、「イスラムを実践しようとする者に課せられた内なる闘い」(リンク9)なのか、それとも「非ムスリムに対する侵略戦争そのもの」(リンク10)なのか(イスラム・オンラインでは、今回のテロ攻撃をジハードと呼ぶことはできないと主張しており、その理由の一つに女性や子供、ムスリムも犠牲になっている点を上げている:リンク11)。
さらに、この論争をいっそう複雑なものにしているのが、ISISの主張である。ISISによると(穏健派ムスリムが盛んに引用する)コーランの慈悲深い表現は、預言者ムハンマドが世俗的な権力を手にする以前の産物であり、ムハンマドが権力を握った後の「コーランは無数の節で、不信心者に対する過酷かつ容赦ない殺戮(りく)を正当化している」という。こうした「剣の節」はそれ以前の寛容の教えをすべて無効にするものだと、ISIS は主張する。あるキリスト教徒グループが主宰するサイト(リンク12)も、「これらの節はムハンマドが強大な軍事力を手に入れた後、キリスト教徒とユダヤ教徒が彼の新宗教の信者になることはないと悟った後で登場したものだ」と述べている。
一方、歴史家のセオドア・ゼルディンはこのウェブページ(リンク13)に引用されている文章のなかで、コーランに暴力的な表現が含まれているのは確かだが、こうした節の解釈は時代とともに変化したと指摘している。
「イスラムがめざましい軍事的勝利を収めた後、コーランの『剣の節』が平和的な節の否定と受け止められたことは事実である。だが、ここでも神学者の解釈は食い違っている。たとえばサイイド・アフマド・ハーン(1817-98 編集部注2)は、聖戦がムスリムの義務とされるのは、ムスリムの宗教的実践が意図的に阻害された場合に限られると主張している」
もともとテクストの解釈という作業には、ある種の問題がつきまとう。
あいまいで詩的な側面が強いテクストは、キリスト教の聖書であれサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」であれ、暴力を正当化する手段に使われる可能性があるということだ。そしていかなるテクストも、時代が変われば意味も変わる。それどころか、1999年のアトランティック・マンスリー誌の論文(リンク14)によれば、コーランの文言には何の意味もないと考えることも可能らしい。この論文には、ある研究者のこんな発言が引用されている。
「およそ5分の1の文は、まったく意味をなしていない。もちろん、多くのムスリムとイスラム研究者は反対するだろうが、コーランのテクストの5分の1は『理解不能』なのだ」
●コーランの暴力の芽
コーランの解釈をめぐる論争は、このようにいったりきたりを永遠に繰り返すものなのかもしれない。では、コーランが暴力を明確に非難も許容もしていないとすれば、その原因はどこにあるのだろう。イスラムの長い歴史の中に暴力の芽が隠されているのだろうか。
誕生当初のイスラムは、文字どおり存亡の危機に立たされていた。
預言者ムハンマド自身、武力を使って信仰を守った。アル・イスラム(Al-Islam.org)には、イスラムの命運を賭けた「バドルの戦い」(編集部注3)の模様が詳しく紹介されている(リンク15)。それによれば、ムハンマドは「戦いがきわめて激しくなったとき、手にいっぱいの石をもち、『汝らの顔が醜く変わるように』と言って多神教徒の顔に投げつけた」という。さらに同じウェブページには、「この戦いによってイスラム国家の基礎が築かれ、ムスリムはアラビア半島の住民から一つの勢力として認められるようになった」と書かれている。そうだとすれば、イスラム社会は少なくとも部分的には、戦いを通じて作り上げられたことになる。その戦いはあくまで自衛の戦争であり、ムハンマドはもちろん侵略者ではなかった。それでも、イエスが石を多神教徒に投げつける場面は想像しにくい。
PBS(PBS.org)のイスラム帝国に関するサイト(リンク16)によれば、ムハンマドは「完璧なムスリム」であり、キリスト教徒にとってのイエスと同じく「今も全信徒の模範とみなされている」という。この見方が正しければ、全信徒の模範たるムハンマドが積極的に戦う意欲を示していたこと(この事実は多くの説話や伝承で言及されている)は、イスラムという宗教のあり方を決定づけているように思える。「このサイトをイスラム理解の入口として、さらなるイスラムの美徳を学ぶための足がかりに使ってほしい」と非ムスリムに呼びかけているAl-Islam.org(リンク17)は、イスラムの戦争観を次のように解説している。
戦いは本能に根ざした自然な行為であり、人間の存在と不可分の関係にある。……宗教、それもキリスト教などとは違う完璧な宗教は、戦争の必要性を認識している。キリスト教徒は、戦いをなくさなければならないと口では言う。……この考えは「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」というキリストの言葉に根ざしたものだと主張する。しかし、現実はどうだったのか。この世界で起きるありとあらゆる戦いの原因は、どこにあったのか。……イスラムに言わせれば、戦争の目的は宗教的なものであり、何よりも唯一神アッラーのための行為である。
キリスト教徒と同様、ムスリムも当初は迫害を受けていた。だが、イスラムはムハンマドの存命中から壮大な征服事業に乗り出した。この拡張主義的な動きの背後には何があったのだろうか。
(次回へ続く)
(Seth Stevensonはニューズウィーク誌とローリング・ストーン誌のライター)
(翻訳:杉浦茂樹、MSNジャーナル編集部)