投稿者 ★阿修羅♪ 日時 2001 年 10 月 25 日 14:22:57:
回答先: 逸脱する報復戦争〜すべてはアメリカのために存在する!〜ブッシュとCIA「陰謀工作」の全貌(週刊現代オンライン) 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 10 月 25 日 11:45:42:
【権力の影】P201
ベトナム戦争交戦規則。1985年まで機密情報。この年の連邦会議事録に
26ページにわたって要約されている。
○空軍は、統合参謀本部が最も戦略的だと考える目標物の爆撃許可を何度も
拒否された。
○合衆国軍隊は、攻撃されるまではベトコンを攻撃してはならないと司令部
の一般命令を受けていた。
○ホー・チ・ミン・ルートから200ヤード以上離れた車両は爆撃できない。
(敵の補給トラックは、アメリカ機接近の警報を受ければ、破壊されるの
を避けるまで一時的にルートから外れて隠れておりさえすればよかった)
○北ベトナムのミグ戦闘機は、滑走路に配置されていれば攻撃できなかった。
離陸して敵意を示したときとみ攻撃できた。
○地対空ミサイル配備地は、建設中は攻撃できず、それらが作戦に使用でき
るようになった後にのみ爆撃できた。
○敵軍がラオスあるいはカンボジアに入り込めば追撃できなかった。これに
よって共産軍はサイゴンからちょうど50マイルのところに安全な避難地
を確保できた。リチャード・ニクソンが1970年に認可したカンボジアへの
短時間の侵入さえ、アメリカ政府の作ったあれやこれやの規則、制約によ
って効果のないものにされた。
アイラ・C・エイカー中将が次のように述べている。
「わが国の政治指導者たちは陸戦を行うことを選んだが、陸戦ではあらゆる
利点が敵側にあり、海と空の我が軍の大きな優位性は、非常に制限された支
援任務にしか使われなかった。
驚いたことにわが国の指導者たちが我が方の戦略戦術を敵に明かすに及んで、
おそらく戦争方針の最大の物…が故意に犠牲にされた。…
敵は、我が方が居住区域、重工業、運河、ダム、その他重要目標を爆撃しな
い…と告げられた−こうして中国国境沿いとハイフォン、ハノイ周辺に、避
難所が我が方によって設定された。このため敵は、我が空軍が攻撃を許され
【ていた】北ベトナム目標物の周りに対空防御体制を集中できた−これが我
が軍の損害を非常に増大させた。ミサイル、石油、および弾薬は妨害される
ことも抗議を受けることもなくハイフォン港に入ることが許された。」
これをどう解釈するかは個人にまかせられる。
参考図書
標題: 権力の影
ジェームス・パーロフ著 馬野周二訳 徳間書店 1992.08.31 2400円
(外交評議会[CFR]とアメリカの衰退)
戦争時において、このような不可解なことが多発するようだが、
これらの【不可解】は「赤い楯(広瀬隆)」にも解説が多数ある。
権力の影:これは今のところ手に入ります。
★阿修羅∴ 1995-12-16 08:53