投稿者 DC 日時 2001 年 10 月 24 日 02:10:06:
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from 911/USAレポート 冷泉彰彦 第8回
中略
その特殊部隊ですが、横須賀を母港とする空母キティホークから、ハイテクのヘリをインド洋上から飛ばし、空中給油で航続を
伸ばしてアフガン領内に入れたようです。今朝のCNNではドン・シェパード少将という予備役の将校が出演していて、「日本と
のジョイント・オペレーション(共同作戦)ですね?」というキャスターの質問に「イエス」と答えていました。キティホークは911の
直後に自衛隊艦の「護衛」つきで横須賀を出航したものの数日で帰港、艦載機を降ろしてから改めて出航するという異例の行
動をしました。その際には空の空母を海上ヘリポートとして利用するらしいという報道が流れましたから、その通りだったのでし
ょう。別の情報では、攻撃用のヘリはオマーンに駐留していたものの、イスラム教国家の領土から直接出撃したのでは当地の
世論に悪影響があるので、わざわざインド洋上のキティーホークに一旦着艦の後に出撃させたのだと言います。そう考えると、
オマーンの「懸念」を減らすために日本の「懸念」に負荷をかけた。そんな解釈もできるでしょう。
とにかく、自衛隊籍の護衛がついていたことが、「ジョイント・オペレーション」という受け止められ方をしていることは注意して良
いと思います。地上軍投入の緒戦という戦略的に重要な局面、しかも20日の土曜日には僚機がパキスタン領内で墜落し犠牲
者も出ています。そんな中での「ジョイント」ということは、果たして日本の世論に耐えられるのでしょうか。 耐えられないとすれ
ば伏せるのでしょうか?考えれば、今日、19日という日付を目標に、テロ対策特措法に関する民主党の賛成工作の決裂から
衆院通過までが計算されていたのではないでしょうか。補給が戦闘地域外ならば可能という防衛庁長官の苦しい弁明も、実
は時間的に切羽詰まった問題だったのではないでしょうか。
特措法可決を迫る柳井駐米大使の催促に不快感を表して即時帰任を促した田中外相は、全てを知った上で閣内での必死の
抵抗をしていた、そう見ることも可能です。そもそも就任直後にアーミテージ国務副長官との面会を拒んだのも、京都議定書や
ミサイル防衛構想などに関する当時の共和党の外交姿勢に対する抵抗だったのではないでしょうか。アメリカから見ますと彼
女は至極当然なリベラル政見を持った人物に見えるのですが、孤立しているのは何故でしょう?明仁天皇への「内奏」を漏ら
したという批判もあるようです。小泉首相の自衛隊派遣を焦る姿勢への懸念を報告して、天皇が同意したとかしないという噂で
すが、今時の世の中に「内奏」などという語彙が残っているのが奇異に思われます。 天皇という選挙権も被選挙権もない日本
の政治の「局外者」との雑談が「政治利用」の可能性がある。そんな言い方こそ一笑に付すべきでしょう。野党は田中外相の
「閣内不統一」や「省内不統一」を攻め立てますが、政争にしてもお門違いも甚だしいものがあります。政見を同じくするリベラ
ル派は外相の慎重論を支えるべきでしょう。
中略
「えひめ丸」と「911」の二つの悲劇に接して改めて問われるのは、二つの国家の間に起きた事件において「個の尊厳」がどの
程度尊重されるかという問題です。「えひめ丸」の惨事の直後、ハワイの日系人コミュニティや全米のリベラル派の間では、綱
紀の緩んだ海軍に対して激しい批判がありましたし、犠牲者への深い同情がありました。犠牲者の家族の方々はその流れに
乗って、軍人の士気を低下させてまで正義の追求をすることは望めない軍事法廷だけではなく、民事訴訟で名誉を晴らす選択
もあったのです。草の根の友好とその力で、余りにも破廉恥な事件に対して責任を明確にするよう追い込むべきでした。
しかし、米海軍よりも日本の外務省が、家族を米国のコミュニティから隔離したのです。NBCなどのリベラル人情報道を好むマ
スコミは極めて犠牲者に同情的だったのですが、家族が直接TVに出演して米国世論に不正を訴えることはほどんどありませ
んでした。前年、イタリアのスキー場で事もあろうに米軍の戦闘機が訓練中に誤ってスキー・リフトを切断し、民間人に犠牲者
を出した事故があったのですが、その際には犠牲者の家族がTVで米軍の姿勢を告発し、最終的には相当有利な判決を取っ
たこともあるのです。そのイタリアの件と比べると尚更です。
中略
ただ、日米関係を考えるとどうでしょう。上海でのAPECの際に行われた小泉=ブッシュ会談は、最初の握手がCNNで放映さ
れましたが、小泉総理は妙に興奮した口調で「アメリカの勇気を称える」ようなことを英語と不自然なゼスチャーで表明していま
した。ですが、安全保障に関しては二分された世論が均衡することで、日本という軽武装の通商国家という形が出来上がって
いるという実態はどこまで国外に知られているでしょうか。逆に、米国は米国で、今回の事件でも穏健論と強硬論が水面下で
は激しく拮抗している様子がどれだけ伝わっているのでしょうか。
真に傷ついた人々に対して草の根の連帯や、草の根の怒り、草の根の癒しが国境を越えて手を取り合ってゆく、そうして物事
の見えない苛立ちに耐えてゆく、そんな発想も必要な時代になってきました。えひめ丸にしても911にしてもそうなのです。一つ
の国家や、一つの宗教の中にも複数の世論が存在すること、他者を単純に善悪や敵味方に分けるのではなく、より細かな事
実の観察から、何がホンモノで何がニセモノかを見抜くちからを一人一人が問われている。この21世紀にはそんな草の根の力
が支えてゆかねばならない時代なのかもしれません。