投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 10 月 14 日 17:54:30:
10/14 08:32 爆音に震えるやみの大地 米軍待ち受けるタリバン 外信15
【ジャララバード(アフガニスタン東部)14日共同=沢井俊光
】アフガニスタンは深く暗いやみに沈んでいた。険しい山岳地帯に
米軍の空爆のごう音がこだまし、大地が悲鳴を上げるように震える
。人々は家の中で、ろうそくをともすことも許されず、息を潜めて
夜明けが来るのをただじっと待っているようだった。
十三日深夜(日本時間十四日未明)、激しい空爆が続くアフガニ
スタン東部の拠点都市ジャララバードに入った。
これまで外国人記者の取材を厳しく制限してきたタリバン政権が
「被害の状況を世界に知ってもらうため」(当局者)、空爆開始後
初めて日本や欧米の主要メディアに入国査証を発給したのだ。
米CNNテレビやロイター通信の記者など約二十人とともに、パ
キスタン北部のペシャワルから陸路越境した。われわれを送り出し
たパキスタン側の兵士が国境の鉄扉を閉じると、周囲はやみに包ま
れた。
テレビカメラのライトが黒いターバンに長いあごひげのタリバン
高官を映し出す。
「アフガニスタンへようこそ。真の姿を伝えてもらうため、すべ
ての情報を提供します。ただし、皆さんの行動はすべて私たちが管
理します」。穏やかな口調ながら、最初から「取材の自由はない」
と宣言されたも同然だった。
対戦車ロケット砲を一人で十発も抱え込んだ兵士七、八人を荷台
に乗せた護衛の小型トラックを先頭に、記者団のバスはジャララバ
ード、さらに首都カブールまで続く街道をひた走る。
この街道は、アレキサンダー大王の時代から、アフガニスタン、
インド征服を試みた幾多の侵略軍が通過した歴史的な道だ。果たし
て米軍が、この街道を凱旋(がいせん)するようなことはあるのだ
ろうか―。思いをめぐらせながら空爆の痕跡はないかと車窓に目を
こらした。
しかし、目に入るのは満天の星空の下にそびえる黒い山影と、前
照灯に反射して鈍く灰色に光る切り立ったがけだけ。あたり一面の
やみだ。
出発から約六時間後、ジャララバード市内に入った。明かり一つ
見えない。夜間外出禁止になっている通りには、人はもちろん犬一
匹見かけない。空爆に備えた灯火管制で、夜間の電力供給は止まり
、到着したホテルも真っ暗だった。
手探りでろうそくを探し、一息ついた。その時、突然「ドカーン
」という大音響とともに、建物全体が揺れた。この夜、最初の空爆
だ。記者団の全員が二階のベランダに飛び出したが、やみの中に何
も見えるものはない。その後も五分おきぐらいの間隔で爆撃の音が
響いたが、一時間ほど後にやんだ。
ベランダに出てきたタリバン関係者は「この国で二十年も戦争を
やっているわれわれは生まれつきの戦士だ。米軍には早く地上に降
りてきてもらいたいね。そうすれば決着をつける」と自信ありげに
話した。
(了) 011014 0831
[2001-10-14-08:32]