投稿者 DC 日時 2001 年 10 月 13 日 14:24:03:
http://www.zorro-me.com/2001-10/ajok011009.htm
アメリカがこの事件に怒りテロリズムへの報復を展開しようとすることはわかる。僕らは報復反対と言っても意味
はない。でも、それは、あくまでテロリズムに対してであって、これを「戦争」と規定し、戦争で応えることではない。
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アメリカは「正義の軍事力」だけが、テロリズムの根絶を可能にすると考えているが、それはアメリカ人の宗教であ
る。それはテロリズムを抑止するにしても一時的なものだと考えるべきである。
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「戦争に対抗する戦争」ということは、結局のところ戦う対象を曖昧にし、自己の行動の意味を曖昧にしていくのであ
る。こうしたテロリズムに対して、国家が軍事的行動も含めた対応をすることは間違いではない。なぜなら、それは現
在的な国家の機能の一つとして考えてもよいからだ。犯罪が高度化し、それに対する軍事を含めた行動が必要なら、
そういう対処をすればよい。それが何に対する行動かを明瞭にしておく必要があるだけだ。 それは《戦争》に対応す
る戦争とは別のことである。このことは、国家が《軍事》を必要というとき、どういう根拠においてか、どういう必要性に
おいてかを厳密に検討することと同じである。
僕はアメリカがこの事件への対処として、軍事行動を取ることを批判しない。しかし、それはテロリズムへの対処の一
つとしてであって、報復戦争として軍事行動なら支持しない。この事件を戦争として認識することはまちがっているし、
そこから対応策として戦争を展開することは間違いであると思っているからだ。それはこの事件の根本的な解決を曖
昧にしていくのである。
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これを淵源していくと《民族解放運動》や《宗教解放運動》が抱えている現在の問題に行き着くかも知れない。帝国
主義が巨大な力としてあって、それとの対抗関係の中で、運動を形成しえた段階から、自らが国家としてどうあり、ど
のような統治力を持つかを問われた時の困難さである。僕はイスラム原理主義が試されているのもこのところであり、
その問題の不幸な表現として今回のテロリズムを認識している。つまり、今回のテロリズムは武装解放闘争の内的
矛盾の表現という側面があるのだ、と思う。
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リベラルデモクラシーの「民族」や「宗教」理解の限界、権
力論の問題など矛盾も見えてきている。
#リベラルデモクラシー原理主義(実はまがい物)を標榜し、「民族」や「宗教」を完全否定し、崩壊寸前の某サイトがありますね。(ワラ)
#その某サイトのメンバーはアメリカを否定しながら、アメリカの思考回路そのものなんです。(ワラ)
おまけの蛇足:
http://www.zorro-me.com/2001-09/0905.htm
すなわち、あの法案にサヨク的にただ反発するのではなく、いったいこの時代の何が読みとれるか、その法
案を推進したいという官僚諸氏が、ただの「悪人」などではなく、それはそれなりにマジメな努力、だとしたなら
「高度情報化時代」に対する、彼らと、我々の側のすれ違いはいったいどこにあるのか、を冷静かつ真剣に考
えているからだ。
これはまた立案した総務省の官僚をただアホ呼ばわりするのではなく、真剣な討論の相手として遇しようと
いう姿勢だ。 それは、実は反対する側よりある意味で彼らが危機感を持っているという側面をキチンとみてい
こうということでもある。
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