投稿者 dembo 日時 2001 年 10 月 06 日 09:25:24:
「同時多発テロへの米国の反応」を大胆に風刺する新聞
Jeffrey Benner
http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20011001207.html
2001年9月27日 3:55pm PDT 風刺新聞『オニオン』を見る限り、米国人の皮肉好きは9月11日を境に消滅したわけではないらしい。
深夜のトーク番組司会者や『サタデー・ナイト・ライブ』が、テロ攻撃に関するジョークはおろか、ブッシュ大統領を皮肉ることさえ一時休止にしているなか、人気の高い週刊風刺新聞およびウェブサイト『オニオン』は26日(米国時間)、1週間の休刊ののちに発行した最新号のすべてを費やして、テロ攻撃に対する米国の、特にメディアの反応をあからさまに風刺している。
時事問題に関する扇情的なコメントで有名なオニオンが、今回の同時多発テロをどのように取り上げるかについては、不安半分の憶測が飛び交っていた。
だが、26日に新聞売り場とウェブに登場した最新号をちらりとでも見れば、編集者たちがこの悲劇に尻込みすることなく、正面から取り組もうと決めたのは一目瞭然だ。
巻頭のグラフィックページには『聖なるクソッタレ』(Holy Fucking Shit)というタイトルがついている。描かれているのは、銃の照準の向こうで炎に包まれている米国の地図だ。
「われわれは、今回の事件は信じがたい、ぞっとするような出来事だったという論調をとった。本当に忌まわしいことだ」と、オニオンのジョン・クルーソン記者は言う。
記事の見出しもそのものずばりだ。『米国は誓う、誰か知らんが戦うと決めた相手は叩きのめす、と』、『何をしたらいいかわからなくって、星条旗のケーキ作っちゃいました』等々。
さらには、神へのインタビューまで載っている。その中では、失望した全能の神が、殺人とモラルについてみずからの立場を明確にしている。
神の言葉はこうだ。「はっきりさせよう。私は、誰であれ人を殺すことは望まないばかりか、殺してはならぬとはっきり命じたはずだ。それも、誰にでも理解できる簡単な言葉で」
この号を発行するにあたって、オニオンのスタッフは非常に不安を感じていたという。
「発行までの数日間は緊張の日々だった。反対するスタッフもいた。だが、試し刷りができあがったとき、このまま続けることに決めた」とクルーソン記者は言う。
「絶対いけるという者もいたが、いかに面白くても、読者のほうに受け入れる態勢ができているかどうか、自信がもてない者もいた」
態勢はできていたようだ。
「すばらしい」。ポップカルチャーをテーマにしたフォーラム『プラスティック』にはこんな投稿が寄せられた。「最新号は何もかもすばらしい。多くの新聞が、方向性のないままに激しくて直接的な激情とやり場のない怒りを紙面にぶつけている中で、オニオンの風刺は救いになる」
最新号は発行後わずか24時間で、オニオン史上最高の反響を呼んだ。
26日、オニオンのサイトへの訪問数は40万と、通常の倍となった。積み重ねたら「電話帳2冊分くらい」になりそうな数の電子メールが殺到し、そのほとんどが好意的な内容だったとクルーソン記者は言う。
いまだ衝撃と悲しみが消えやらない米国で、テロ攻撃に対する国の反応を風刺するのは大きなリスクを伴う。
テレビ番組『ポリティカリー・インコレクト』で司会を務めるコメディアンのビル・マー氏は、航空機でビルに突っ込むのと比べれば、遠方から巡航ミサイルを発射させるのは臆病だと語った自身の発言を謝罪する羽目になった。
マー氏が発言を撤回したのは、これに怒ったスポンサーが番組を降りる意向を伝えたためだという。
だが、オニオンはひるまなかった。
「そういったトラブルはまったく心配していない」と、オニオンのインターネット事業を担当するジェイソン・ディンケルマン氏は言う。「われわれのスポンサーは、編集に関して営業部門は口を出さないことを理解してくれている」
『プラスティック』の掲示板が何かしらの傾向を示していると考えるなら、オニオンの賭けは成功だったと言っていいだろう。
ある人はこう投稿している。「オニオンがやってくれた。世界貿易センタービルに対する残虐行為についてじっくり検討し、間違いなくこれまでにない最高のものを発行してくれた」
ユーモアが犠牲者への思いやりの欠如と受け取られないようにするためか、オニオンのサイトには赤十字と救世軍への寄付を呼びかけるバナー広告が貼り付けられている。
だが、そんな配慮は無用だ。オニオンの風刺が伝えるのは、無神経さではなく辛い真実――問題の複雑さ、身に迫る危険、将来への不安――なのだから。
たとえば『世界貿易センタービルへの攻撃について子どもに話す』という記事では、多くのメディアが子どもたちを動転させずに今回の恐怖について話す方法などというものを助言している事実を風刺している。同時に、「米国に対する攻撃」を扱う記事の多くが単純すぎることを茶化してもいる。
「1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻したとき、米国が激怒したという歴史を根気よく子どもに話そう」と、記事には書かれている。
「共産主義の流れを断ち切るため、米国は武器と訓練を提供するという形で、アフガニスタンに軍事支援を行なった……」
全編この調子だ。
クルーソン記者は次のように言う。「われわれが目の当たりにしてるのは皮肉の終焉ではなく、無関心の終焉だ。そしてありがたいことに、皮肉を言えるということは関心を持っているということだ。今回の事件にいい面など何もないが、強いて言うなら自分たちがどれほど馬鹿なことをしてきたかを米国民に考えさせる機会になったということだろう」
[日本語版:寺下朋子/小林理子]