投稿者 dembo 日時 2001 年 9 月 27 日 23:06:55:
戦時体制の米国 『インディペンデント』紙 2001年9月16日
------------------------------------------------------
http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00489.html
From : ビル・トッテン
Subject : 戦時体制の米国
Number : OW489
Date : 2001年9月26日
------------------------------------------------------
今回はイェール大学の教授、『大国の興亡』の著者ポール・ケネディが、今回の同時テロの直後に書いた記事をお送りします。米国がこのテロ事件により、以前のような自由を享受できなくなったこと、ある意味でテロの恐怖に怯えて生活しなければならない、新しい時代の幕開けであることを示唆しています。
現在、米国の報復措置に対し、日本をはじめ世界中が賛成していますが、私は断固として反対します。是非、お読み下さい。皆様からのご意見をお待ちしております。
(ビル・トッテン)
戦時体制の米国
『インディペンデント』紙 2001年9月16日
ポール・ケネディ
9月11日8時45分、米国は21世紀に突入した。タイムズスクエアの千年紀の祝賀ははかない出来事に過ぎなかったが、わずか数マイル南で起きた世界貿易センタービルの破壊はまさに時代を塗り替える出来事になった。20ヵ月前、国家としての幸運、地理的条件、物質資源、技術力、絶大な軍事力などすべてに恵まれた米国民は、ローマ帝国以来、世界が知り得る中でもっとも強力で影響力の強い国になったことを喜んだ。ソ連邦の崩壊、ロシアの後継国家の内崩、日本の挑戦の消滅などが見られる一方で、世界は米国式の資本主義、インターネット、MTVを信奉し、ウォール街に期待を寄せていた。ある楽観的な本は、すでに10年前に、21世紀は米国の世紀になると自信をもって断言していた。しかし、9月11日、その自信は、攻撃を受けた国防総省と倒壊した世界貿易センタービルの噴煙の中に消え去ってしまった。この自信が近い将来取り戻されることはない。世界貿易センタービルに2機目の旅客機が突入する映像がテレビに映し出されるやいなや、米国人はこの事件を真珠湾攻撃になぞらえ始めた。真珠湾攻撃のときも、米国人は自己満足と無防備な安心感から突然目を覚まされることになった。しかし、今回起こったことは、真珠湾になぞらえるのではなく対比して初めて役に立つ。主権国家、日本の軍用機が、真珠湾の米軍の航空機および軍艦を攻撃した時、米国は日本という認識できる敵を打ち負かすために、地海空で本格的な軍事攻撃を開始した。当時、日本のGDPは米国の10分の1であり、両国の間に圧倒的な差があったことから勝敗は最初から明らかだった。結果は日本の無条件降伏であった。
もちろん米国民は今回も同じ結果になると期待している。一般の家庭や店舗には、「大統領、今すぐやつらを爆撃してほしい」と書かれたプラカードが掲げられている。しかし、真珠湾の例はもはやここから当てはまらなくなる。今回、米国を攻撃したのは他の国の軍用機ではなく、ハイジャックされた自国の民間機であり、象徴的にも二大航空会社、アメリカン航空とユナイテッド航空のものだった。攻撃は、信じられないほど、巧妙に組織されたテロリストによって行われた。彼らは、米国が持つ技術力、社会の開放性、航空機への容易なアクセス、さらにはテレビ・ネットワークまでをも利用して、恐怖を引き起こし、混乱を招いた。そして今回の敵は、世界各地に散らばった秘密組織であり、簡単に相手を特定できず、攻撃するのがきわめて難しい。日本を攻撃するのは象を射撃するようなものだったが、テロリストを打ち負かすのはクラゲを踏みつけるようなものである。
攻撃がいかに浅はかであるか、また皮肉であるかを誰もが認めるであろう。私は数週間前に、米国が今どれだけの「力」を有するかを標準的な社会科学の基準に基づき計算し直した。その結果、米国が、世界の覇権国として他の潜在的競争相手をいかに圧倒的に引き離しているかということを感じた。米国の人口は世界のわずか4.5%であるが、相対的な影響力を示すには人口だけでは不十分である。それに比べ世界の総生産に占める米国の割合は29〜30%もあり、この割合は近年、ロシア経済が麻痺し、日本が不況にあえいでいることから増加傾向にある。さらに顕著なのは米国の軍事力である。昨年、世界の軍事費に占める米国の割合は36%であった。これは2位以下の9ヵ国の合計に等しく、過去最高である。技術、教育、科学面の比較を含めれば、米国の卓越度はさらに押し上げられる。世界のインターネットの利用量に占める米国の割合は40%、1975〜2000年のノーベル賞受賞者のうち米国人は70%である。こうした相対力をすべて合わせて考えると米国はまさに近代の巨人であり、航空機、通信制度、大企業、文化的特徴などで世界を支配している。
しかし、この巨人も、山本五十六の航空母艦やヒットラーの機甲部隊とは異なる兵器には極めて脆弱である。米国にもアキレス腱があり、それは主に自国が招いたものといえる。米国の文化的、商業的優位性と、自由市場主義の執拗な主張は、特に伝統的な社会における多くの宗教団体や階級組織に脅威と見られている。米国に対する批判者は、気候変動に関する国際合意の妨害、市場に対する規制撤廃要求、第三世界の政府への圧力などにおいて、米国の大企業が不当な影響力を持つと見ている。イスラエルに対する強力な支援は、アイゼンハワーでさえ驚くほどのものであり、それによってイスラム世界をすべて敵に回している。インターネットの発明、24時間体制の株式市場に果たす主要な役割によって、米国は途方もない富を得ているが、同時にそれらに対する破壊行為に驚くほど脆弱である。ヨーロッパに比べて自由な移民政策と、外国人学生に対する大学の開放により、世界中から集まる人々により人種の坩堝が形成されているが、その中にはテロ活動に手を染める人間も含まれている。
海外での比類のない米国の力という見かけと、国内でのテロの新たな脅威への対応という現実の矛盾は、今回の同時テロ事件が起きた時、3つの艦隊が米東海岸沖に向かっていたという報告に端的に表れている。こうした強力で近代的な艦隊こそ、米国から何千マイルも離れた米国の世界的な包囲網が必要以上のものであることを示している。台湾海峡やペルシャ湾南をパトロールする艦隊がそうである。他の艦隊がこれらに代わることはないはずだが、9月半ば、目的は定かではないが、これら艦隊は慌てて米国に戻っている。
ここで我々は、米国および西側の軍隊は、新世紀の安全保障上の脅威に対抗することができるのかという重要な質問に帰着する。過去10〜20年間、国際問題、軍事関係の専門家らはますます、国防総省は第二次世界大戦や冷戦という従来型の戦闘に偏りすぎており、紛争原因や紛争の性質の変化に対して新たな見方をすることに消極的であると指摘している。戦車や航空母艦では、アフリカやバルカン半島、ハイチ、中東など、自爆テロやその他のテロ活動の若い志願者が住む地域で見られる人口急増、不法移民、環境破壊、栄養失調、人権侵害といった状況に対応することはできない。さらに、米国が何十億ドルもかけて用意している大規模な兵器は、国際犯罪や麻薬組織との戦いにほとんど役に立たない。最後にこれらは、9月11日に我々が見たようなテロ行為にもある程度しか役に立たない。オサマ・ビンラディンや仲間を見つけ出し、高性能爆弾を山腹やほら穴に放り込むことはできるだろう。しかし、テロ組織は細胞のような組織であり実際の本部は存在しない。後継者が細胞組織を指揮し、さらに若い者があとに続く。
今回の同時テロの悲惨さ、さらにすべての米国人が団結していることから、大統領や国防長官に、800億ドルを費やして作られた弾道ミサイルに対するシールドが、どうやって世界貿易センタービルを守ることができたかをあえて質問しようという人はまだ現れていない。しかし、その時はくるだろう。
さらに悪いことは、もしテロリストが何千人もの米国人の死を喜ぶとすれば、旅客機を利用した今回の事件よりも、さらにひどい事件が起きないとなぜいえるだろう、ということだ。シカゴの証券取引所に核爆弾が仕掛けられたり、サンフランシスコの地下鉄に炭疽菌が巻かれたりする惨事が起こらないと誰がいえるだろう。1930年代、米国人が安全で自分たちはすばらしいと感じていた楽しく快適な時代は真珠湾攻撃で幕を閉じた。今回は同じような時代が、2つの摩天楼とともにこなごなになってしまった。
今、米国人はこうしたことは聞きたくないであろう。あまりに悲観的であり、敗北主義的であるから。今聞こえてくるのはすぐに報復をという声ばかりであり、我々が受けた恐怖を考えればそれも当然のことなのかもしれない。米国の文明は、迅速で決定的な攻撃、明確な勝利、そして多くの自由を賞賛する。政府からの自由、税金からの自由、国際政府からの自由、燃費の悪い大型車を運転する自由、安い石油を要求する自由、多くの荷物をもって飛行機を乗り降りする自由、外からの問題に振り回されない自由などである。ベルファスト、エルサレム、カシミールの住民を特徴づける疲労感、慎重さは、ほとんどの米国人が経験したことのないものであり、おそらく、精神的に対応する準備ができていないことだと思う。
これらすべては、この広大で複雑な民主主義の政治リーダーたちに、少なくともこれまでは正直に対応してこなかった問題を残すことになる。彼らはまだ、古い軍事および戦略的真理がもはや真理ではなくなったことに気づいていない。また新たな敵は、米国人が彼らを傷つける以上に米国人を攻撃するだろうとも言っていない。米国の伝統的国内の自由が決して以前のようにはならないと注意もしていない。さらに彼らは、我々すべてにとって21世紀が何を意味するのかを垣間見たと、すなわちこれから先の道は、今回の同時テロ以上に困難で険しいものになるとも言っていない。