投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 9 月 24 日 21:49:52:
イスラム独特の金融機関は1970年代に生まれ、今では世界75カ国以上に広がっている。金貸しで儲けることを戒める教義に矛盾するようにも見えるが、イスラム政治運動に伴って台頭したものだ。イスラム金融はその後にいったん低迷するが、現在の金融グローバル化の勢いに乗ってふたたび息を吹き返した。そして現在では、利益と損失の分担や、より実利的な形態としてはイスラム法にかなうと認定された分野への投資を基本とするイスラム金融は、他の「倫理的」な金融商品と肩を並べるほどの発展を遂げている。[訳出]
イスラム金融機関の資産は、いまや約2300億ドルの「重み」をもっている。これは、1982年と比べて40倍にのぼる(1)。1996年にシティバンクがバーレーンにイスラム金融を行う子会社を設立したのを皮切りに、欧米大手金融機関の大半が、子会社や「イスラム窓口」、あるいはムスリム向け金融商品などの形で、この種の金融を手がけるようになった。イスラム金融はグローバル経済に組み込まれ、「イスラム諸国市場のダウ・ジョーンズ指数」すらできている。
イスラム教は冷戦終了後に確立された「新世界秩序」と相容れないという見解(2)からすると、この現象には矛盾があるように見えるかもしれない。金融グローバル化のなかで、「高利貸し」を認めない金融機関が利子を基本とするシステムに組み込まれ、イスラム諸国の政治力が低下した今になって、イスラム政治運動の時代によみがえった融資手法が黄金時代を迎えている事態は、どうすれば説明がつくのだろうか(3)。
近代のイスラム金融は、1970年代、汎イスラム主義の台頭と石油ブームが交錯するなかで出現した。第3次中東戦争(1967年6月) の結果、世俗的な汎アラブ主義に立つナセル主義運動は退潮となり、代わって汎イスラム主義を唱えるサウジアラビアが権勢を高めた。ムスリム諸国を束ねるイスラム諸国会議機構(OIC)が1970年に創設されると(4)、経済分野でのイスラムの戒律が改めて課題とされ、また、イスラム関係の経済研究所の設立が相次いだ。
1974年、ラホール(パキスタン)で開かれたOIC首脳会議は、石油価格の4倍増を追い風として、イスラム開発銀行の創設を決定した。この金融機関はジェッダ(サウジ)に本部をおき、イスラムの原理にもとづく相互扶助システムの重要な礎石となった。1975年には、最初の民営イスラム金融機関、ドバイ・イスラム銀行が誕生した。これらの金融機関の規範を確立し、共同の利益を守るため、イスラム銀行の国際協会も作られた。1979年には、パキスタンが世界で初めて、金融部門全体をイスラム化するとの政令を発し、1983年には、スーダンとイランがそれに続いた。
こうした動きのなかで、資本主義以前の伝統を現代社会の要請に適合させることが、イスラム法学者の課題となった。というのも、イスラム教は(預言者ムハンマドの生業であった)商業は肯定しても、「純然たる」金融による利得は非難していたからである。例えばコーランでは、商業から生じる利益は、金貸しから生まれる利益と見かけは似ていても、根本的に違うものだと言明されている(第2章275節)。
イスラム教では、特に「リバー」が禁じられる。一般に「高利貸し」と訳されるこの言葉は、もともと「増殖」を意味する。しかし、「リバー」とは何かという解釈が一致をみたことはない。一部の学者にとっては、あらゆる形の「確定利息」を指すものであり、別の見解によれば、過剰な利息に限定される。宗教的に権威ある学者(エジプトの現在のアル・アザール大学学長など)のなかには、ある種の利息をイスラム法にかなうものとして認める者もいるが、多くのイスラム法学者は、今でも限定的な解釈を採用している。
●提携型の融資
イスラムの伝統が反対するのは、貸した金に対して報酬を得るという原理ではなく、利息が「予め確定されている」という点である。それは、公正さの点で問題があり、借り手を搾取するおそれがあるとされる。イスラムではこれに対し、リスクと利益の平等な分担が推奨される(5)。イスラム勃興期に通常行われていた融資は、貸し手と借り手が提携する形をとった。財政に余裕のある商人が、他の起業家の行う事業に資金を融通し、利益も損失も平等に分け合った。このような(フランス法の合資会社制度にも影響を与えた)提携という形式には、「ニュー・エコノミー」によって広まったリスク・キャピタルと論理的に近いところがある。
イスラム金融の理論家は、こうしたシステムこそ、イスラム世界の経済上の必要にも、イスラム教の道徳的要請にも適していると考えた。普通の銀行が、資本あるいは担保にとれる財産の所有者を優遇するのに対し、提携型の融資は、意欲はあっても資力に恵まれない起業家に機会を与えるものだからだ。このシステムのもとでは、それまで宗教上の理由から金を退蔵していた人々が、生産経済に加わることも期待できる。また、イスラムはそこに慈善的な側面もつけ加えた。銀行はザカート(喜捨)(6)の資金を管理し、自らも出資することによって、貧困や社会的排除と闘うものとされたのである。
この新しい金融制度の基本として、ムダーラバ(合資会社)とムシャーラカ(提携)という2つの提携型融資の原理が立てられた。他にも、例えばムラーバハ(銀行は、顧客の必要とする商品を買い付け、それを顧客に転売して利益を得るという、仲買人の役割を果たす)のような「中立的」な仕組みが、過渡的なものとして設定された。その目的は、事業参加型融資の利用が広まるまでの間、銀行に収入の手段を与えることにあった。預金に対する報酬についても、同じように損益分担の原理が立てられた。貯蓄口座には、銀行の利益に応じて報酬が支払われ(ゼロの場合もあり)、特定投資向けの資金源とされる「投資口座」には、その投資が生み出す成果に応じて報酬が支払われた。
しかし、提携型の融資は、期待ほどの成果を上げなかった。金融の基本的な枠組みも、人々の意識も、そこまで熟していなかったのである。多くの銀行が、ひどい失敗に懲りて、最初の野心的な意気込みを失ってしまった。利益を出す投資対象が母国では見つからなかったため、銀行は資金のかなりを欧米市場に投じたが、対象が不動産や一次産品市場のような「現物資産」に限られる結果、相当な損失を被ったところも少なくなかった。こうして、過渡的であったはずの「中立的」な事業が継続されていった。
イスラム銀行は多くの面で、もはや通常の銀行と大差ないものになった。違いといえば、利息の存在をごまかす弁舌ぐらいのものである。さらに、1988年にはエジプトでイスラム投資信託会社の破産が相次ぎ(7)、他にもいくつかの不祥事が起き、イスラム金融のイメージはダウンした。イスラム金融など、石油ブームに乗じて出てきた一過性の現象にすぎないと見る向きもあった。
ところがじつは、ちょうどその時期に、イスラム金融の急成長が始まろうとしていた。背景には、当時の世界の激動による国際金融界とイスラム世界の変貌があった。ひとつには、技術の変化と規制緩和(金融のグローバル化、新しい金融商品の登場など)が進み、他方では、政治的、経済的、人口的、社会的変動(イラン革命の影響、湾岸戦争、ソ連の崩壊、新興イスラム国家の出現、石油相場の変動、「アジアの虎」の台頭、信仰心の厚いムスリム中産階級の出現など)が起こっていた。
●さまざまな矛盾をかかえつつも
しかし、イスラム金融が本格的な躍進をみたのは、その原理と慣行の見直しを余儀なくされたからである。以前のイジュティハード(解釈の努力)が法典主義と教条主義に収束していたのに対し、新たなイジュティハードはイスラムの精神、あるいは「道徳的経済」の再構成を中心においた。そして、ウルフ(地域の慣習の受容)、ダルーラ(必要性)、およびマスラハ(公共の利益)という、イスラムが長い歴史のなかで多種多様な文化に適応することを可能にした原理を考慮に入れた。
イスラム金融のネットワークは、かつてはどこをとっても同じで、また湾岸の石油王国(特にサウジアラビア)に支配されていたが、今では、ムスリム世界の多様性を反映したものとなっている。経済の完全なイスラム化に着手した国々でさえ、地理的、経済的な条件と宗教上の解釈の違いにより、そのシステムは一様ではない。もっとも成長がめざましい金融事業は、タカフル(保険)のように1970年代にはイスラム法に反すると見做されていたか、投資信託のように範囲が限られていたものが多い。今日では、倫理的あるいは社会的に責任ある投資信託事業(8)の成長に伴って、イスラム法にかなうとされた企業や部門への投資にムスリムの貯蓄が集まっている。イスラム金融機関のある国は75カ国以上にのぼる。
グローバル経済に組み込まれたイスラム金融には、多くの矛盾もみられる。1990年代の金融は、主に仲介の手数料やサービスの対価によって利益を得る(昔のように、貸付金利と預金金利の差益ではない)ことで、リバーをめぐる神学論争を回避した。その一方で、規制緩和による金融分野の革新によって、多種多様な「イスラム商品」を考案して売り出すことが可能になった。例えば、債券を「元金」と「利子」に分けて、別々に販売できるようになった。
また、古典的な商業銀行が衰退する一方、投資会社とリスク・キャピタル会社が飛躍的に発展してきたことが、事業参加型融資という発想の正しさを立証した具合になっている。その一方で、金融と実業の関係が深まり、金融諸業種の統合が進むなかで、イスラム黄金期の特徴だった「銀行なき銀行家」の世界を再現するような条件が整いつつある。
イスラムの考え方が「ワシントン・コンセンサス」(9)と両立することを示す側面(私有財産権、事業の自由、契約の重視、民間の慈善の重視)が、ムスリム世界の政治的変化によって前面に押し出されるようになった。そこでは、イスラム教が、規制緩和と公共事業の民営化や削減を促すために引き合いに出された。こうした解釈は、一部の政府(例えばマレーシアとバーレーン)によって、国内金融システムの近代化、イスラム主義運動の封じ込め、あるいは反動的な有閑階級や構造調整を拒む民間部門などとの対決のために利用された(10)。最近のフィナンシャル・タイムズ紙の調査が示すように、多くのイスラム教国で最も活力があり、革新的なのは、イスラム金融機関だというケースもしばしばある(11)。
しかし、結局のところ、イスラム金融に人が惹き付けられているのは、そもそもグローバルな金融にいきすぎがあるからである(12)。宗教運動が高まる世界のなかで勃興した中産階級にとって、選択肢は明白である。「不道徳化した」とは言わぬまでも世俗化した従来の金融システムか、それとも、宗教的な裏付けのある倫理的な(しかも、厳格な道徳的枠組みのなかで行われるかぎり、経済活動はあくまで有益であるとの原理に基づいた)金融システムか。いまやイスラム商品の数も、それらを提供する金融機関の数も、ますます増えているとあれば、選択はきわめて容易だろう。
(1) http://www.islamicbanking-finance.com
(2) サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』(鈴木主税訳、集英社、1998年)
(3) オリヴィエ・ロワ『イスラム政治運動の失敗』(スイユ社、パリ、1992年)
(4) 正式な創設は1971年である。[訳註]
(5) この点についてはキリスト教とユダヤ教の伝統も長年にわたり同様の留保をつけてきた。See Rodney Wilson, Economics, Ethics and Religion : Jewish, Christian and Muslim Economic Thought, New York University Press, 1997.
(6) イスラム法で義務付けられた施し。信仰告白、祈り、断食、巡礼と並ぶ、イスラム教徒の守るべき五行のひとつ。
(7) ミシェル・ギャルー『イスラム金融と政治権力−エジプトの場合』(PUF社、パリ、1997年)
(8) 債務が過剰か、あるいは経営が無謀ないし倫理を欠くと判断される企業、また、酒、兵器、ギャンブルなどの分野への投資は避けられる。
(9) 国際通貨基金と世界銀行が貧困国に課した政策。モイセズ・ナイム「ワシントン・コンセンサスの栄枯盛衰」(ル・モンド・ディプロマティーク2000年3月号)参照。
(10) ジョルジュ・コルム「アラブ世界の民間部門構造調整はいつ」(ル・モンドディプロマティーク1994年12月号)
(11) Roula Khalaf, << Dynamism is held back by state control >>, Financial Times, 11 April, 2000.
(12) 「新しい金融商品の無節操」(ル・モンド・ディプロマティーク1994年7月号)参照。
(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2001年9月号)
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