投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 9 月 22 日 21:30:33:
同時多発テロに対する軍事報復に向け、沖縄に駐留する米軍の動きが活発化している。だが、基地の周囲には「若い隊員を死なせたくない」と部下を案じる海兵隊の上官や、死の恐怖をジョークで紛らわそうとする若い隊員もいる。21日夜、嘉手納飛行場近くで元米空軍兵士夫妻が経営するパブを訪ねた。【白戸圭一】
パブのフィリピン人女性経営者、アリューシャさん(34)は2日前の夜の出来事を話してくれた。若い海兵隊員5人がフロアでガールフレンドたちと踊る姿をながめていた。ソファに目をやると、海兵隊の上官が手で顔を覆っていた。目が赤かった。
「彼は『この子たちはまだ18、9歳。これから何が起きるか知らない。また全員で踊ることができるのかと思うとつらい』と言ったの」。アリューシャさんは涙を浮かべながら語った。
米国人の夫、バーニーさん(39)は元空軍の通信兵で湾岸戦争へも行った。結婚の際、アリューシャさんから「危ないから軍を辞めて」と懇願され、92年に退役。今は夫婦でパブ2軒を経営する。パブには若いフィリピン系米国人の海兵隊員が「お母さんの味と同じフィリピン料理が食べたい」とやって来る。2人は今、若い隊員を見るのがつらい。
アリューシャさんの話を聞いていると、海兵隊員(26)がやって来た。客は私と彼の2人だけ。街角で米兵に話しかけても「取材は断るよう厳命されている」と拒絶されるが、こちらが記者であることを気づかない隊員は基地の様子をぶちまけ始めた。
「まずは韓国、いやフィリピンかタイかな。いつ、どこへ行くかなんて下っ端は知らない。司令官は『途中まで行ったら教えてやる』だと。この、くそったれが」
ビールをぐっとあおると「司令官は『心配するな。前線へ行くのは別の基地の連中。お前らは後方だから安全』だと。化学兵器で毒ガスをまかれたら、はい、後方もおしまい」。両手を高く上げ大仰に体を反らせながらの冗談が続く。
「戦争はいつ終わるのかね。ベトナム戦争だって2週間で終わると言って15年。でも、今度は最初から『長い戦い』と言うだけ政府も賢くなった。グッド、グッド」
彼が去り、いつもは数十人の米兵でにぎわう店が静まり返った。同時テロで客足が途絶えて10日になる。
[毎日新聞9月22日] ( 2001-09-22-20:46 )