投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 9 月 21 日 19:03:34:
09/21 15:58 困難なアフガン占領 地下ごう網で空爆効かず 外信99
共同
米中枢同時テロを受け米国が準備している報復攻撃に絡み、一九
七九年の旧ソ連軍のアフガン侵攻の際に作戦立案に当たったワレン
チン・ワレンニコフ元ソ連国防次官にアフガニスタンでの戦闘の特
殊性などについて聞いた。(モスクワ共同=吉田成之)
―アフガニスタンの戦場としての特徴は。
「何と言っても地形が非常に複雑で外国軍にとって軍事作戦が難
しい国だ。85年にアフガン東部のクナラでこんなことがあった。
標高が三千五百メートルもある山の間の渓谷を空挺(くうてい)部
隊を投入して占領した。しかしこの後、渓谷をソ連軍のヘリコプタ
ーが飛ぶと、あちこちからゲリラの射撃を受けた。渓谷内に陣地や
武器庫の洞くつが潜んでいたのだ。こんな所を占領するのは簡単な
ことではない」
―ゲリラの集結場所を発見するのが困難だったのか。
「侵攻当初は特に困難だった。その後地元住民の間にスパイ網を
つくってからは、ゲリラ部隊の発見で力になった」
―米軍が空爆に重点を置けば効果的か。
「空爆が効果を上げるのは通常の敵の基地を対象にした時だけ。
ウサマ・ビンラディン氏を狙った空爆が効果を上げることはあり得
ない。極めて頑丈な地下ごうに隠れるからだ」
―ソ連軍侵攻時から地下ごうはあったのか。
「そうだ。至る所にあった。私自身見て驚いたが、コンクリート
製でまるで地下鉄のような規模のトンネルだ。司令所になっている
トンネルもあれば、工場、弾薬庫、病院まですべてある。上空から
爆弾を落としても何もならない」
―米軍へのアドバイスは。
「古典的な戦争のやり方を忘れることだ。正規軍でなく、テロリ
ストやゲリラ捜索のため情報機関が最重要な役割を果たすべきだ」
ワレンチン・ワレンニコフ 1923年12月15日ロシア・ク
ラスノダール生まれ。54年フルンゼ陸軍大学卒。84―89年ア
フガニスタン駐在ソ連軍事顧問団長。89―91年国防次官兼地上
軍総司令官。91年8月のクーデター事件に連座し逮捕。94年に
無罪判決。95年に共産党から下院議員に当選。現在は政界から引
退。(モスクワ共同)
(了) 010921 1557
[2001-09-21-15:58]