投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 9 月 21 日 18:43:27:
09/20 19:44 揺らぐオマル師の立場 タリバン内部で権力闘争も 外信122
共同
米中枢同時テロの最重要容疑者とされるウサマ・ビンラディン氏
をかくまってきたアフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバン
。最高指導者のムハマド・オマル師はビンラディン氏のテロへの関
与を否定、引き渡しを拒否する姿勢を鮮明にしていたが、聖職者ら
で構成する「シューラ」(評議会)は同氏に出国を促す「ファトワ
」(宗教令)を出した。報復攻撃の準備を進める米国の圧力の前に
、タリバン政権は大きく動揺している。
▽対立顕在化
「敵にとってイスラム体制は目の中のとげのようなものだ。彼ら
はさまざまな口実の下で、それを破壊しようとしている」―。
オマル師は十九日、シューラに送ったメッセージで、米国の姿勢
を批判する一方で「さらに話し合う用意がある」と述べ、微妙な揺
れをうかがわせていた。翌日のファトワにも、攻撃には「ジハード
」(聖戦)で臨むとしながら、攻撃は避けたいとの思いがありあり
と見える。
タリバン政権の中で、オマル師の地位は決して盤石でなく、政権
そのものも一枚岩ではないとされる。
「タリバン」の題名の著書もあるパキスタン人ジャーナリスト、
アハメド・ラシッド氏は、同時テロが起きる前に「タリバン内部で
激しい権力闘争が起きている」とし、オマル師らの強硬派と穏健派
との対立が顕在化しつつあることを指摘していた。
米国政府の情報では、米軍の報復攻撃が予想される中で、タリバ
ン政権内部に動揺が広がり、前線の部隊の司令官クラスがオマル師
らの政権中枢との距離を置き始めているという。
▽孤立と疲弊
タリバンはパシュトゥン人の神学生らが中心になり、一九九四年
に発足した。当初は「世直し」に期待し、さまざまな人材が集まっ
たが、オマル師中心の独裁体制が固まるにつれ、極端なパシュトゥ
ン人中心主義、イスラム原理主義に傾斜していった。
国土の九割以上を支配するタリバン。しかし、厳格なイスラム統
治やビンラディン氏を保護していることから国際的孤立を招いた。
反タリバン勢力の北部同盟との長期の内戦による経済の疲弊に加え
、深刻な干ばつ被害にも十分な対応ができず、オマル師の独裁体制
に対する穏健派の不満は強まっているもようだ。
オマル師の実像はベールに包まれている。アフガニスタン南部の
カンダハルの出身で、四十歳代。外国メディアの前には姿を見せた
ことがない。九六年に最高指導者に就任した際、イスラム教の開祖
マホメットにまつわるマントを着て民衆の前に立ち、カリスマ性を
確立したとされている。
▽存亡の岐路
ビンラディン氏はペルシャ湾岸諸国などから集まる寄付金を中心
に豊富な資金源を持っており、数千人ともいわれる自らの部隊のほ
か、五万―十万人規模のタリバン軍の強化も支援し、代わりにオマ
ル師はビンラディン氏の行動の自由を保障しているという。
タリバン政権は、パキスタンで育ったアフガニスタン難民の出身
者が多く、国際情勢に疎いため、ビンラディン氏の反米思想がタリ
バンの外交政策に影響を与えているとされる。だが、同時テロでは
、タリバンの最大支援国のパキスタンも米国への協力要請に同意、
タリバンにビンラディン氏の引き渡しを求めた。
「タリバン内には、国際社会との協調や北部同盟との和解を目指
す穏健派がいる。いったん状況が変われば、変化は早い」とラシッ
ド氏はみている。(共同=古池一正)
(了) 010920 1943
[2001-09-20-19:44]