投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 9 月 16 日 09:17:03:
同時多発テロの首謀者がアフガニスタンに潜むウサマ・ビンラディン氏ではないかとの疑いが深まり、軍事報復が焦点になっているが、実はテロ発生の報が伝わった瞬間からアフガンには緊張が走っていた。同氏の関与と報復攻撃が「直感」されたからだ。アフガンに滞在していた約80人の国連職員は、湾岸戦争の時のような「人間の盾」にされるのではないかという恐怖にかられながら、国連機で緊急待避した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)カブール事務所の山本芳幸所長(43)が、緊迫の脱出劇を語った。【イスラマバード春日孝之】
山本所長がテロの一報に接したのは発生直後の11日夜だった。視察先のロガール州アズラ村でラジオに耳を傾けながら、98年8月の米軍による攻撃が脳裏をよぎった。米国はアフリカの2カ所で起きた米大使館同時爆破テロの主犯をビンラディン氏と断定し、アフガンの拠点に80発の巡航ミサイルを撃ち込んだのだ。
「カブールに戻っても街は消滅しているかもしれない」。一緒にいた職員らもそう懸念した。現地からカブールまで6時間かかる。2時間で行けるパキスタン国境への退避に傾いたが、国連調整事務所からの指示は「カブールに、ノンストップで走れ」だった。
悪路をランドクルーザーで飛ばす途中、「カブール空港に爆撃」とのラジオ放送。次いで無線連絡で、職員全員の即時退避命令を知らされた。
12日午前、カブール到着。空港爆撃は反タリバン連合によるものらしかった。市街への大規模攻撃も、米国の報復攻撃もありうる。
国連は特別機3機を用意したが、タリバンは同日朝に出した空港利用許可を、突然取り消した。報復攻撃に対する「人間の盾」にされるのでは、との恐怖が広がる中、タリバンと交渉を重ね、なんとか再許可を得た。パキスタンの首都イスラマバードの土を踏んだ時は疲れ果てていた。
アフガンは、ソ連侵攻に伴うアフガン戦争(79〜89年)とその後の内戦激化、昨夏以来の大干ばつで疲弊し、パキスタンとイランにそれぞれ約200万人の難民が流出。新たな難民も発生し続けている。米国の軍事報復の可能性が高まる中、住民は防空壕(ごう)を掘っていると伝えられる。
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アフガンから緊急待避した山本芳幸・UNHCRカブール事務所長に、タリバン政権とウサマ・ビンラディン氏の動向や今後の見通しなどについて聞いた。 【春日孝之】
――最近のタリバン政権の動向は。
◆昨年12月の米国主導の国連制裁強化で、タリバンは「国連イコール米国」と確信した。「アラブ」に頼ることになり、国内のアラブ人口が急増して、学校教育も宗教科目がアラビア語での授業になった。
それまでのタリバンは穏健派と強硬派が拮抗(きっこう)していた。穏健派は「ビンラディンと手を切れ」と主張していたが、国連制裁を機に勢力バランスが崩れ、ビンラディン氏をはじめアラブ人の影響を受けた強硬派支配が確立した。タリバンの「アラブ化」だ。
――一般にタリバンがビンラディン氏を保護しているといわれますが。
◆ビンラディン氏をタリバン政権の国防相に、という情報もあったぐらいで、同氏の影響力は強大とみられる。米国が報復攻撃をすれば、穏健派が巻き返しに出て内乱に陥る可能性もある。
――ビンラディン氏の潜伏先は。
◆アフガンには隠れ家に適した洞くつが多い。日々移動しているのは間違いなく、追跡は不可能だ。
――アフガンから見て米国はどう映るか。
◆タリバンと米国は共通している。自分の世界にこそ真理があると信じ込み、外部との融和の道を閉ざしている。今回のようなテロは、集団に深い憎悪の蓄積がないとできないはずだ。米国は憎悪を生んだ源泉を見つめるべきなのに、対立姿勢を強めている。
――どんな結末が。
◆対立すればするほど原理主義勢力も強くなる。アフガンへの地上軍派遣は戦争を泥沼化させる。ビンラディン氏の支持者は世界中にいる。各地で報復テロが続発し、米国にとって「勝利なき戦い」になる。
[毎日新聞9月16日] ( 2001-09-16-01:14 )
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