投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 8 月 30 日 00:08:30:
【エルサレム海保真人】
イスラエル軍によるヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベイト・ジャラへの侵攻は、パレスチナ側の猛反発を呼び、28日夜から29日にかけて、衝突は西岸、ガザの5カ所以上に拡大した。イスラエル政府は28日夜、パレスチナ側からの銃撃がやむまで侵攻を堅持することを決めた。イスラエルは強硬策を進め、パレスチナは連帯を強めている。昨秋以来、700人(うちパレスチナ人545人)にのぽる犠牲者を生んだ衝突収拾への展望は一切開けず、中東を暗雲が覆っている。
イスラエルのペレス外相は28日夜、パレスチナ自治政府のアラファト議長に電話し、銃撃を抑止するよう要請したが、議長は「軍がまず撤退すべきだ」とやり返したという。従来、限定的だった侵攻の長期化は迫撃砲による反撃など逆効果を招いている。
情勢悪化の呼び水となった27日のパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のムスタファ議長の暗殺は、ここ3カ月でイスラエル人のテロ犠牲者が60人以上と激増したのを受けた、国民への誇示策とみられる。イスラエル紙イディオト・アハロノトの緊急世論調査によれば、同議長暗殺を70%、今回の侵攻を75%が支持し、依然、強硬路線を歓迎する傾向が目立った。
一方、ムスタファ議長の葬儀には、自治政府高官のほか、パレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハの武装集団「タンジーム」、精神的指導者ヤシン師率いるイスラム原理主義組織「ハマス」の活動家らが大勢参列した。暗殺はパレスチナ指導部と急進派グループの横の連帯を確実に強めているとみられる。
ムスタファ議長のPFLPは極左組織として70年代は日本赤軍などと連携、国際テロの中心となった。だが、旧ソ連崩壊後は活動が退潮、近年、パレスチナでの支持率は2〜3%に過ぎなかった。昨年秋からの衝突を機に、やはり衰退傾向の左派・パレスチナ解放民主戦線(DFLP)とともに闘争の輪に入り、人気挽回を図っていた。
シャロン首相には「反主流派で死に体組織の指導者を殺しても、パレスチナ全体から大きな反響は起きない」(イスラエル人識者)との読みがあったとされる。だが、パレスチナ人の8割が自爆テロを支持しているとの世論調査もあり、目算は大きく外れつつある。
首相に自治政府の幹部までをも暗殺する意思はないとみられる。ただ首相は、アラファト議長が和平交渉の再開をにらみ優位な立場に立つため、わざと停戦を避けていると強い猜疑心を抱いている。首相は「戦火の下で交渉は行わない」と国民に宣言した手前、議長に可能な限り圧力を加え、交渉前の停戦を実現したい思惑だ。
だが、力を誇示するだけの諸策は行き詰まってている。イスラエルが唯一頭の上がらない米の積極介入なしに事態の打開は期待できない。
[毎日新聞8月30日] ( 2001-08-30-00:00 )