東郷大使、解任の帰国命令を拒否
あの外務省で、前代未聞の大使帰国命令“拒否”事件が起きた。「鈴木色」一掃処分を敢行しようとした川口外相―竹内行夫外務次官に対し、元欧亜局(現・欧州局)長の東郷和彦オランダ大使(57)が公然と抵抗したのだ。あわてた外相らは改めて更迭の理由付けを理論武装し、2日にも東郷氏に帰国を命じ、幹部約20人の処分を発表する。
東郷氏は、鈴木宗男・元北海道沖縄開発庁長官の強い影響下にあった外務省がこれまでの「おわび」として処分する外務官僚の筆頭格。祖父が東郷茂徳・元外相、父が東郷文彦・元駐米大使という外交官一族に育ったエリートだが、鈴木氏の跋扈(ばっこ)を許す素地を作った責任を問われている。
その東郷氏は3月20日過ぎ、オランダから一時帰国し、都内で外務省幹部から事情を聞かれていた。
「自分は間違ったことはやっていない。北方領土問題は、『四島一括返還』の御旗を掲げるだけでは動かない。自分は動かすために、精いっぱい真剣に考えた。鈴木さんも、現場の佐藤(優・前主任分析官)もそれは一緒だった」
説明というより反論に近い東郷氏の主張は、日露外交にかけた熱意と信念、省内で対立した部下への批判、鈴木氏との関係に至るまで、延々と続いた。想像以上の抵抗に、幹部らは焦りの色を濃くした。
鈴木氏が一連の疑惑の責任を取って自民党を離党した3日後の18日、川口外相は「外務省も片方の当事者だ。責任は非常に大きい。国民におわびしなければならない」と述べ、3月中に鈴木氏に近い外務官僚を処分する意向を表明していた。しかし、東郷氏は解任の前提となる帰国命令の打診に容易に応じなかった。
特別職の大使は、閣議で解任されれば、公務員でなく、“ただの人”になる。東郷氏は自らの信念と正当性をつづった「嘆願書」を外相や首相官邸に送り、徹底抗戦の構えをとった。
思わぬ展開に、外相や竹内次官らは「処分は、適正さと公平さがないといけない」と言い始めた。省内には「きちんとした調査と理屈付けをしないと、あとで不服審査を申し立てられるかもしれない」と緊迫した空気も漂った。
飯村豊官房審議官をキャップとする調査チームは態勢の立て直しを迫られた。東郷氏が欧亜局長を務めたのは、1999年8月から2001年5月まで。調査チームはこの期間の調査を徹底するため、30人を超える幹部や職員から集中的に事情を聞いた。
米国滞在中の川島裕・元外務次官にも電話で問い合わせ、在外公館に勤める職員も事情聴取のため、次々に日本に“召喚”した。鈴木氏の専横ぶりを示すため、幹部が鈴木氏あてに書かされた「わび状」を探し出して持ってきた者もいた。
この調査で理屈付けがついた東郷氏の責任は、局長としての監督責任とともに、日露交渉で正規ルートと鈴木ルートの「二元外交」の素地を作った点だった。
東郷氏は、鈴木氏から要求を受けた部下には「鈴木さんの言う通りにしておけ」と指示し、鈴木氏と対立した小寺次郎ロシア課長(当時)を昨年5月に在外公館に転出させようとした。
さらに、外務次官室での協議の内容が「すべて東郷氏を通じて鈴木氏に筒抜けになっていた」と認定された。これが「二元外交」を加速させ、外務省が鈴木氏に牛耳られる結果につながったというわけだ。竹内次官をはじめとする当時の幹部は東郷氏のこうした行動を知りつつ、鈴木氏の恫喝(どうかつ)を恐れ、だれも指摘できなかったという。
竹内氏は27日、東郷氏に「辞めてもらうしかない」と最後通牒(つうちょう)を突き付けた。ただ、更迭理由だけは念入りに仕立て直さざるを得ず、3月中に予定していた東郷氏を含む処分発表は4月にずれ込んだ。
「僕はもう抵抗しない。口を開けば、今の外務省を批判することになるから」
東郷氏は最終的に帰国命令を受け入れ、1日中にも後片付けのために、オランダに戻る。表立っては反論を語っていない。しかし、周辺には「これは、外務省始まって以来の間違った措置だ。自分の正しさは歴史が判断する」と無念さをにじませている。
(4月1日16:58)http://www.yomiuri.co.jp/00/20020401i111.htm