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フォーブス日本版2002年2月号〜数値で占う日本経済の限界点〜破産は近い!この限界点を超えた先
日本経済の限界点を3人のエコノミストが占う
水谷研治 中京大学教授・東海総合研究所理事長〜経常黒字の枯渇が大きな限界点
「限界点」にさしかかったと言われる日本経済。だが、実際はどうなのか。
もともと経済とはしなやかなものであり、過去にも、「もうダメだ」と言われながら、立て直してきた事例はある。その最も大きな例が56年前、つまり戦後からの復興である。さらには70年代のオイルショックなど、日本経済は幾多の「限界」を一見服してきた。
しかし、今日の状況は、まさに限界も限界であり、場合によっては限界たる度合いが、過去の比ではないかもしれない。
根本は、景気が低迷、失業率も増加している状況にありながら、国民がまだ政府に助けを求めようとしていることだ。しかし現実には、政府は頼りにならない。今まで政府が国民の期待にこたえることができたのは、お金によって経済の諸問題を解決してきたからだ。たとえそのお金の出所が借金であっても、経済は右肩上がりの成長を続けていたため、政府も借金で財政の赤字を埋め、将来的な禍根を残さないと考えていた。
しかしこれからは違う。経済が横ばいもしくは右肩下がりで推移する中では、今までのような野放図な借金はできない。政府が借金で解決してきた諸問題も、解決不可能になる。仮にこれ以上政府が借金を増やしたら、行き過ぎた借金はインフレを引き起こし、消費者の家計を破綻に導くだろう。
いま666兆円という巨額な借金がありながらインフレにならないのは、「モノ余り」と「低金利」、そして国際収支の大幅な黒字が背景にあるからだ。金利が上がれば、債務超過企業や、住宅ローンなど個人の借金返済がさらに苦しくなる。それが表面化しないのは、巨額の貿易黒字がもたらす国際収支の黒字が蓄積され、その金がときに国債を買い、株式を買い支えているからだ。
最も怖いのは、経常黒字の蓄積がなくなったときだ。中国の躍進などで、近年の経常収支の黒字は縮小している。このまま手をこまねいていたら、「限界点」の到来は時間の問題だ。
高橋乗宣 明海大学教授・三菱総合研究所顧問〜資金の効率的運用策を講じ金融機関再建に着手すべし
マクロ的に見て、日本経済がすでに限界点付近まで達しているのは間違いない。国の金融政策がいっこうに効き目を表さないのもその象徴の一つ。日銀は00年3月、政府の戦後初のデフレ宣言を受けて量的緩和に踏み込み、市場に潤沢な資金を注ぎ込んだが、銀行の貸し出しは増えるどころか、逆に減少している。実際、金融5業態の貸出残高は98年1月から01年10月まで46か月連続で前年比マイナスとなっている。
マネー市場で行き場を失った資金は、金利の付かない日銀当座預金に「ブタ積み」されている。その残高も00年秋以降は9兆円で推移していたものの、直後の11月末時点では一気に14兆円近くに膨れ上がった。貸し出し業務で金利を得ることが本業の銀行が、手持ちの資金を金利の生まない口座に無為に積み上げている状態で、とても正常とは言えない。
そもそも日銀が量的緩和に踏み切った段階で、経済状況は尋常ではなかった。
デフレ下で長期金利の上昇圧力がかかり、放置しておいたら3%近くまで上がったかもしれない。そこで日銀が買いオペを強力に推し進め、市中の国債をどんどん吸い上げる奇策に打って出た。つまり、異常な事態に異常な方法で対処したのだ。この時点で日本経済は、危険水域に入っていたと見ていいだろう。
この強硬策でなんとか金利上昇をねじ伏せ、国債相場を下支えすることには成功したものの、一方で供給の蛇口をひねって出した資金が健全な使われ方をしていない。景気後退で企業の資金需要がないうえに、銀行も不良債権の処理に追われ、融資には消極的だったからだ。けっきょく資金の大半が国債投資に向かったが、国債価格の暴落が怖いので、国の長期債務が減少傾向に転じるまで日銀や銀行は国債を買い支え続けなければならない。しかし、国債だけで400兆円近い債務を抱えている当事者の国も、その償還のメドが立っていないのが実状だ。その意味で危機はまだ続いている。
量的媛和という金融政策に手詰まり感が否めない一方、国債発行額30兆円枠に固執する小泉内閣では、財政出動に限界があるのは明らかだ。危機的局面を打開するには、金融機能の完全復活しかない。
ともかくここ2〜3年が勝負だろう。
白川一郎 立命館大学教授〜日本経済のポイント・オブ・ノーリターン
90年代に正しい政策を行ってこなかったことのツケが、ここにきて一気に表面化した。小泉政権の構造改革は、最悪の時期に実施されることになったが、国民にはもっとも高価なツケとなりつつある。
90年代の不況は、バランスシート不況だ。バブルが崩壊して借金が残ったが、借金には手を着けず、需要を喚起する政策を行ってきた。公共投資などの景気対策効果で、マイナス成長に落ちこむのを0・5%程度のプラス成長に、結果的にはとどめていた。
景気対策と構造改革は、本来は相互に補完するように行うのが正しいあり方だ。しかし日本の場合は、逆に景気対策が構造改革を阻害してきたと言える。90年代に景気対策として、公共事業などにつぎ込んだお金は130〜140兆円。そのために国債残高(借金)は累増している。一時的に企業は救われたが、代わりに構造改革の進展は妨げられた。本来なら非効率的な企業は、構造改革の進展過程で脱落するはずだった。その時点で失業者が出ることも、改革を進展させるためにはいたしかたのないことだったはずだ。
けっきょくは自民党が中心となって行ってきた景気対策が一時的な効果しかなく、構造改革を妨げたために、今では欧米並みの5・4%を超える失業率を出している。この数字は、ここ2〜3年でさらに高まっていくことが予想される。大量の企業倒産も避けられない。その痛みを切り抜けなければ、日本の明日はない。
需要を喚起するデマンドサイドのケインズ主義的な考え方により、本来痛みを受けるべき人が10年もの間、痛みを受けなかった。そのために、痛みを受ける必要のなかった人まで痛みを受ける事態に陥っているのが現状だ。
具体的には、責任をとるべき銀行、不良債権を抱えた建設・不動産、流通などを政府が支えてきたため、そのツケが全産業界に波及しているのだ。
失われたこの10年間で、日本経済は正しい成長の軌道から大きくはずれてしまった。構造改革は、まさに正しい軌道に乗る(オン・ザ・ライト・トラック)ための方向転換と言える。構造改革を断行しなければ、金融システム不安はさらに拡大し、破綻の限界点を越えてしまうだろう。