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米最大手ネット証券のチャールズ・シュワブが日本から撤退したのに続いて、米最大手証券のメリルリンチが9日、リテール(個人取引)部門の大幅縮小を正式発表した。外資系はホールセール(法人取引)部門で強さを発揮しているが、リテールでは「敗北」が鮮明になった。戦略の大幅転換は「変わり身の早さ」として信頼の低下につながりかねず、残される8店舗、関係社員約500人の将来も不透明だ。
日本の個人金融資産が証券市場に流れ始めるとみたメリルは98年、リテールに再進出。長期・国際分散投資を勧める資産管理型営業を米国から移し、回転売買型営業から抜け切れない国内証券との差別化を図った。国内勢は、日本のコートなのに外国人ばかりがプレーする「市場のウィンブルドン化」を懸念した。
しかし、旧山一証券を引き継ぐ際に、「財務が不透明」として「買収」という手段を選ばなかったため、顧客資産は雲散霧消し、実態は「一からのスタート」に近かった。また、資産管理型営業は中長期的戦略としては評価されるが、それに特化する余り、顧客ニーズとの乖離(かいり)が生じた。相場低迷の直撃も受け、資産管理型営業の収益の源泉となる預かり資産残高は、最高時でも採算ラインの3兆円の約半分にとどまった。
資産管理型営業の定着には「我慢が不可欠」(大手証券役員)だったが、グループ全体の収益悪化が、それを許さなかった。株主の発言力が強い米国企業は短期的な収支を重視し、リストラもスピーディーで大胆。顧客に長期投資を勧めながら、腰を据えた経営ができない矛盾も露呈した。
メリルは数年前から三和銀とホールセールも含めた提携を協議し、頓挫した経緯がある。「00年からはリテール部門を売ろうとしていた」(大手証券役員)ともいわれるが、国内銀行に買収の余力はなく、国内証券も「預かり資産残高、店舗の重複、処遇体系の違いなどを考えると、割が合わない」と消極的だった。 【吉原宏樹】
◆メリルリンチ日本進出の経緯◆
61年 日本の金融市場に参入
72年 東京支店を開設。リテール、ホールセールを一体営業
93年1月 リテールから全面撤退
96年11月 橋本首相が「日本版ビッグバン」発表
97年11月 山一証券破たん
98年2月 メリルリンチ日本証券設立、リテールに再進出。
旧山一の33店舗と社員約2000人を引き継ぎ、
同年7月から営業開始
01年3月 メリルリンチ証券(ホールセール)と
メリルリンチ日本証券を統合
7〜8月 リテール店舗数を28に縮小
9月 米国同時多発テロ
10月 グループの7〜9月期決算で純利益が
前年同期比52%減
11月 米モルガン・スタンレー日本証券が
リテール(2店舗)撤退を発表
12月 シュワブ東京海上証券が会社清算を発表
02年1月 メリル、リテール大幅縮小を発表
[毎日新聞1月9日] ( 2002-01-09-23:48 )