投稿者 sanetomi 日時 2001 年 11 月 14 日 01:51:09:
「失業」というと、デ・シーカ監督のイタリア映画「自転車泥棒」を思い出す。戦争のあと、まだ貧しかった1948年の物語である。
「おれは餓死寸前だ」
職業安定所の入り口で失業者が口々に職を求める。
「私に当たらんでくれ。ここは辛抱だ。景気の回復に期待しよう」と係官は求人票を読み上げる。「旋盤工の求人はないな」「現場の臨時工でもいいか」。雇用のミスマッチがここにもある。
どこの国でもいつの時代でも、人々の関心事は働く場があることだった。
失業率5%になってしまった2001年の日本の「ハローワーク飯田橋」に行ってみた。一階は45歳以上、二階は44歳以下の「仕事をお探しの方」のためにずらりパソコンが並ぶ。白髪の男性も女性係官に教わりながら、自分でキーをたたいている。
例えばリストラにあいやすい「56歳」で、「事務職、月給30万円」では再就職できるのか。パソコンが答えてくれるのは、東京都内でも51件の求人しかない。北海道ではわずか3件。ミスマッチばかりである。東芝とか富士通とかは1万数千人のリストラである。NTTは11万人のリストラだそうだ。われらの年代は心細い限りである。
「自転車泥棒」の主人公アントニオ・リッチは市役所のポスター張りの仕事にありつく。入質していた自転車をやりくりして請け出し、掲示板回りに張り切って出て行く。ところが、その自転車をあっという間に盗まれてしまう。警察に届けると、「自分で探せ」。その焦りと怒り、悲しみ、せつなさが胸に迫ってくる。そしてついに他人の自転車を盗む……。
2001年の東京はホームレスがあふれる。いつだったか、知人から「あなた新聞記者なんだから、どうしたらいいか教えて」と電話をもらって駆けつけると、ここ四、五日、知人が通る道のベンチで寝たままのサラリーマン風の中年の男が次第に動かなくなり、このまま死んでしまうのではないかと気になって仕様がないというのだった。
ベンチをのぞくと、男は目をむいて意識不明のようである。「結婚指輪をつけていたのになくなっている」と知人はいう。だれかが盗んだのだろう。男のズボンにセミ殻がついている。セミはズボンに這(は)い登って羽化したのか。交番に連絡する。救急車で運ばれた。「きっとリストラにあって途方に暮れていたんじゃないか」と知人やお巡りさんと話したのだった。
「自転車泥棒」の中に、労働者の集会で「早急に必要なのは大きな公共事業なんだ」とリーダーが演説する場面がある。仕事がないんだ、政府が仕事をつくってくれという要求もまた、いつの時代にもあったのだろう。
2001年の日本で、それをぶちあげたのは自民党の亀井静香前政調会長である。この秋、景気回復のためには30兆円の補正予算を組んで公共事業を実施すべきだというのである。これはまた大きい数字だなと思うけれど、亀井氏は「経済を立て直さなければ国債だって返せない」と持論は変わっていない。
さんざんそういうことで国の借金を重ねて公共事業をやってきたのにちっとも効果がなかった、構造改革なくして景気回復なしという小泉純一郎首相が亀井氏の話に耳を傾けるとも思われない。けれども身近な人に失業や倒産が迫ってきて、ほんとのところはどうなのか迷いが出てきているのも事実である。
それに「骨太の方針」やら「工程表」が声高に語られ、テレビ討論で諭される「自助努力」もわかるけれど、これから来る痛みへの人々の不安もまた募る。なぜ構造改革なのか、どう進めるのか、むしろ政府与党から求めて臨時国会開会を急ぎ臨戦態勢をつくるべきではないか。政治の動きは遅くはないか。
などと考えていると、東京では就職できなくていらいらしていた21歳がホームレスの64歳を包丁で刺すという事件が起きた。新聞のベタ記事には「自転車泥棒」に似た物語がたくさんある。構造改革を断行するなら、政治は少なくとも底辺の痛みへの想像力を失ってほしくない。(2001.09.04)