投稿者 sanetomi 日時 2001 年 10 月 31 日 23:22:30:
日本銀行の景況観も大勢としてデフレの深化、マイナス成長の継続という。小泉内閣の「改革」の環境はきびしさを増している。テロに始まる世界経済の同時不況の影響だが、それだけではない。
何のための改革であり、何を改革するのかの中心軸のあいまいさが、閣内の足並みの乱れになりかねない危うさである。改革の目的は日本の経済社会がもっている潜在力を十分に引き出すことにあった。そこでは一致しているのだが、政策としてはある程度の成長は前提で、環境が満たなければ補正予算等でそれを整えるのが先決だというのと、環境条件の変化にはとらわれず、改革を先行すべきだということでは意見が割れかかっている。しかし、その違いのどちらを選ぶのか、というよりはもっと大切なことがあるのではないか。それは「外なる改革のためには内なる改革が不可欠だ」、ということである。
改革といえば、システムの改革と考えてしまうのがこれまでの発想だった。しかし、特殊法人の例をみても、改廃という外面以上に重要なのは、使命を果たしたはずの特殊法人でさえ、その存続を権益として守ろうとする考え方を打ち砕くことだろう。その利害の思惑は行政が守るべき公益とは程遠い。しかし、現実にはそれが筋道をゆがめる力をもっている。この壁を突破するには、なぜ行政を預かる一人一人が公益でなく私益を優先するようになったのか。また政治はなぜ雇用減、マイナス成長をこれほどこわがるのか。
この大転換の時、これらの発想も根こそぎ見直す必要がある。そのような内なる改革を妨げている要因をとり除くことの主導権はそこにかかわる一人一人の内にある。そこへの働きかけの「熱」を小泉首相だけに依存していることに、今の改革のひよわさがある。
[毎日新聞10月31日] ( 2001-10-31-23:06 )