崩壊する「日本というシステム」〜レオナード・J・ショッパバージニア大学準教授

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投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 9 月 21 日 22:45:03:

●改革へのさめた感情

二〇〇〇年末、すでに長い間リセッション(景気後退)に苦しんできた日本人は、さらに悪いニュースによって追い打ちを受けることになる。日本のさらなる衰退が差し迫っていると予測するリポートが発表されたからだ。米中央情報局(CIA)が発表した「グローバルトレンド2015」は、中国の台頭ぶりからして、日本は「(アメリカとヨーロッパに次ぐ)世界第三の経済大国としての現在の地位をいずれ維持できなくなるかもしれない」という予測を公表した。このリポートが発表される数カ月前にも、アメリカの格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスが、日本国債の格付けを二度連続して引き下げたばかりだった。かつては高い評価をほしいままにしてきた日本の国債も、いまではポルトガル国債と同じ程度のリスクがあると見なされている。
日本国内でも、この二つのニュースは、こうした否定的評価につながる日本の根幹問題とともに広く報道された。しかし、経済的窮状への関心が大いに高まったにもかかわらず、日本の大衆は奇妙なほどに静かなままだ。このあきらめにも似た感情が、不況下にある経済に対する日本人の典型的な反応と化している。低成長と財政赤字が膨らんだ時期の政権政党が自民党だったにもかかわらず、有権者は、これまで長く日本を支配的影響力の下においてきた自民党支持へと立ち返りつつある。日本の預金者は一%未満という超低金利を受け入れ、労働組合も賃金カットという痛みを受け入れている。また、財界も、政府の対策ではなかなか金融機関を立ち直らせることができず、(貸し渋りなどの)クレジット・クランチも緩和できずにいるというのに、状況を辛抱強く見守っている。
四月の自民党総裁選を経て首相になった改革主義者の小泉純一郎が、経済の凋落を前にした日本社会のあきらめムードを打破できるかもしれない。しかし、小泉人気の高さを、そのまま広範な改革への支持が存在する証拠ととらえるのは間違っている。確かに、市民たちは、実体に欠け、市民との距離が大きかった森喜朗前首相とは明確に異なる小泉の能力と開放性を評価している。公共事業の受注産業など、自民党とのつながりが深いという政治的理由で、生産性の低い経済セクターに公共事業資金を投入してきた旧来の手法を批判して、小泉はさらに株を上げた。
しかし、日本経済を好転させるのに必要とされる、痛みを伴う具体的改革への大衆の支持は上辺だけのものだ。小泉が自民党内部の反対勢力の抵抗を克服していくには、市民が抱く改革への曖昧な期待を彼の政治的資源に転化する必要がある。彼はなんとかそうできるかもしれないが、一方で、問題を先送りしようとする勢力の圧力に屈すれば、小泉熱も急速に冷め、彼は見捨てられることになるだろう。
こう考えると、より奥深い疑問に行き当たる。なぜ日本人は景気後退という現実を長い間我慢しているのか、なぜ市民たちは、政府に経済を回復させ、国の凋落を阻止するようにもっと積極的に働きかけてこなかったのか。
そもそも日本といえば、大きな課題に正面からうまく対処してきたことで有名である。アメリカの「黒船」が一八五八年に(列強との)不平等条約(修好通商条約)の締結を強いると、日本は大胆な改革を断行することで状況に対処し、その後わずか五十年足らずで列強の仲間入りを果たした。また、第二次世界大戦で完全な敗北を喫したものの、日本はその後、見事に再生し、最近まではアメリカを経済的に追い抜かんばかりの勢いを持っていた。いったい何が起きたというのか。(明治期や戦後における)日本の改革を促した熱意やエネルギーはいったいどこにいってしまったのか。
皮肉にも、その答えは日本の成功という側面に隠されている。いまや日本の歴史上はじめて、個人や企業は、直面する経済問題を自分で解決できるだけの富と自由を手にしている。だが皮肉にも、個人や企業が自己利益から見て完全に合理的な解決策を現に実施していることが、国全体の経済問題をますます深刻化させている。かつては、日本の個人や企業は独自に経済問題に対応できるほど豊かではなかった。その結果、個人も企業も国による集団的努力のなかに身を置くというやり方に依存してきた。政府へのこうした依存構図ゆえに、日本の市民は自分たちの声に政府が耳を傾けるように働きかけ、賢明な政策をとるように、つまり、債務を増やさず、非効率を生むような経済介入を行わないように求めてきたのだ。だが、いまや現実はその逆である。
問題に直面している個人や企業が自分で解決策をとるのはこれまで困難だった。国際的資本の移動は厳しい制約の下に置かれ、海外へ投資するのも難しかった。保守的な社会秩序ゆえに職業選択や転職の機会も少なく、特に女性たちは、この社会秩序ゆえに結婚したら仕事を辞めて子育てに専念するしかなかった。だが今日では、教育レベルの高い日本の女性は高給ポストを射止める機会を手にしており、結婚を選択しない女性も多くなりつつある。
 大きな自由と富を利用できるようになった市民は、問題への対処を政府に強く求めるよりも、この国が直面する問題から逃れようとしている。いまや日本人は、自らの運命を自分で切り開く「退出」路線を選ぶほうが、政治運動によって政府の政策を変えようと試みるよりも好ましいと確信しているようだ。しかし残念なことに、このトレンドが国レベルでの経済問題をさらに深刻にし、一方で政府は少子化とそれに伴う労働人口の減少という環境の下で、膨大な規模に達している赤字を均衡に持ち込むという遠大な目標に取り組みつつ、デフレスパイラルから抜け出そうと格闘している。
逆に言えば、小泉はこの国の社会的努力の方向性を変え、日本の市民や企業が自分たちの不満を政治プロセスに反映できるようにするための機会を手にしている。しかし、彼はこの機会を早急に生かさなければならない。再び市民が日本の指導者への信頼を失えば、資本逃避、あるいは海外への移住といったより過激な「退出」策がとられるようになる危険がある。

●ゾンビ企業の延命に手を貸す銀行

一九五六年から七三年にいたるまで、日本経済はほぼ年間一〇%という驚くべき成長を遂げ、それ以降も一九九一年までは三・八%という十分に手ごたえのある成長率を残した。だが九一年以後、日本は二度にわたって景気後退に見舞われ、かろうじて〇・九六%の数字を残せただけのお寒い状況にある。こうした停滞から経済を立ち直らせようと、政府は(資本注入を通じて)銀行システムの資本構成を改め、小規模企業に資金が流れるように特別保証を行い、景気刺激策を繰り返し実施してきた。だがその結果、国の赤字は六百六十六兆円、つまり国内総生産(GDP)の一三〇%規模にまで肥大化してしまった。状況がこのまま推移すれば、小泉政権がさらなる国債の発行額を三十兆円という枠にとどめることに成功しても、数年のうちにGDP比で見た国の赤字は未曽有の一五〇%という比率に達することになる。
 
Leonard.J.Schoppa バージニア大学の政治外交学部の準教授。『Bargaining With Japan』の著者。現在、日本の改革についての本を執筆中。

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