投稿者 DC 日時 2001 年 10 月 09 日 03:59:09:
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No.135 Monday Edition
2001年10月8日
村上龍、金融経済の専門家たちに聞く メール編
Q:230
今回のテロ、今後予想されるアメリカの犯人捜索(報復)に対し、日本はどのような形で協力すべきなのでしょうか。またそもそ
も協力すべきなのでしょうか。ついでにお金のことをお聞きしますが、現在日本政府が検討を進めている「後方支援」に要する
経費はどのくらいのものなのでしょうか。
編集長から(寄稿家のみなさんへ)
Q:230への回答ありがとうございました。アメリカの報復に対する日本政府の対応を見ていて憂うつになるのはわたしだけでし
ょうか。属国と同盟国の違いは何だろうというようなことを考えました。もちろん日本政府といってもその内部は一様ではないで
しょうし、政党の枠組みを越えてアメリカへの「主体的な支援・協力」の方法を探っている若手議員も大勢いるのでしょう。
日本政府が目指しているものはいったい何なのでしょうか。日本国民をテロに巻き込まないこと。テロのない世界。それともア
メリカに満足しもらうこと。おそらくそれらすべてなのでしょうが、優先順位はどうなっているのでしょうか。最優先されるべきは、
自国民の生命の安全と財産を守ること、つまり国民の利益だと思います。アメリカへの支援と協力も、それが結果的に自国民
の利益になるから行うのでしょう。
その最優先事項と、アメリカ及び世界への配慮のバランスがいわゆる外交だと思います。たとえばイギリスのブレア首相は、
精力的にパキスタンやインドを訪問しました。ブレア首相を見ていると、アメリカの同盟国であることの意思表示を越えて、イギ
リスの発言権や主導権の確保を視野に入れていることがよくわかります。もちろんパキスタンやインドとの歴史的な関わり合い
があるからそういった外交が可能なのでしょう。
わたしはブレア首相の考え方に全面的に賛同するわけではありませんが、彼が自国民の利益のためにもっとも効果的な外交
努力をしていることはテレビからも伝わってきます。イギリスはアメリカの同盟国として支援協力を惜しまないという態度を明確
にしつつ、属国に陥らないような外交を展開しています。その外交姿勢はおそらくイギリス国民にとって理解できるものであり、
誇れるものかも知れません。
これまで、日本社会の文脈では支援や協力というのは、その実効性よりも、それがいかに自己犠牲的だったかで評価されが
ちだったのではないでしょうか。たとえば旧来の企業では、日曜日・休日を返上して上司の引っ越しの手伝いに行ったというこ
とで、部下の忠誠心が計られていたような気がします。何をやったかよりも、いかに自分を犠牲にしたかが問われる傾向があ
りました。
同様の文脈から、日本政府はアメリカに対し、いかにして自己犠牲を示すかに腐心しているように見えます。時限立法で憲法
の枠を外し、ぎりぎりの自己犠牲を払う意志があることをアメリカに示そうとしているような感じがします。しかし、そのことがアメ
リカにどう伝わるかはまた別の問題でしょう。
同時多発テロのあと日本政府の対応が同盟国のものではなく、属国のように感じられてしまうのは、いかにして自己犠牲を払
い、それをアメリカに示すかということに論議が集中し、それが自国民の利益とどうリンクしているのかという、基本的な外交姿
勢とその説明がないからだと思います。
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靖国神社問題では、グローバルな価値観よりも、ローカルな価値観にあれだけ重きをおいた小泉総理が、相手がアメリカとい
う絶対的な優位者に代わったとたん、即座に相手の価値に追従する姿勢を示したのは、日本の政治的なコンプレックスの裏
返しであるように感ぜすにはいられませんでした。歌手のマドンナがテロ直後のコンサートで、犠牲者のために祈るとともに、
報復には反対するメッセージを発したそうですが、一芸能人が良く言ったと思うとともに、そこにアメリカの持つ市民社会の健全
性を見たように思いました。日本代表の小泉総理には、国際社会の秩序を守る気概とともに、日本の独自の考えを語って欲し
かったとおもいます。マドンナの場合は、一芸能人だから許されたのかも知れませんが、周辺国の一総理にはかなわない発
言なのでしょうか。
たぶん、今回日本人が味わっている不思議な感情は、ローマの平和の時代のローマの周辺諸国、中華思想時代の中国に朝
貢した周辺諸国の人民が等しく感じた気持ちではないでしょうか。宗主国の圧倒的な、文化、経済力、軍事力に圧倒されなが
ら、愛憎ない混じった感情を抱いていたはずです。現代のアメリカの平和の時代では、アメリカと中南米諸国との関係がそれ
に近いのではないでしょうか。
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今回、政府の対応は、報道されているように、まず自衛隊出動ありきで始まっています。対応の遅れを自衛隊の派遣で誤魔
化そうとしているのかもしれません。非常時とはいえ、政府は手順を間違えていると思います。まず、事件発生後すばやく米国
と連絡をとり、何らかの発表を行うべきだったはずです。そして、その後は臨時国会を急ぎ開催して、今回問題となっているテ
ロ対策特別措置法や自衛隊法改正を審議して議決した後に、自衛隊の行動があるべきです。
先月下旬、遅ればせながら、小泉首相がブッシュ大統領との会談をしに米国に行き、協力を申し出ましたが、米国から出てき
た回答は、不良債権処理を速やかに実行し、構造改革を断行して欲しいということで、政府の勇み足の自衛隊出動にブレーキ
をかけてきました。もちろん、アメリカは自衛隊の弾薬・燃料補給や負傷者の治療などの後方支援については評価してくれま
したが、憲法の制約がある限りこれ以上期待していないのではないでしょうか。アメリカは、法治国家であり、無理を言うはず
がありません。
それなのに、日本は、法治国家を標榜しながら、今回のように超法規的対応が随所に見られます。経済においても、バブルの
発生から崩壊まで、また不良債権の発生や処理、それに対する経済対策においても、同様な対応がみられ、問題を深めてい
ます。そもそも、問題が起こると、問題の本質を見極めて解決することがなく、小手先で対応・処理し、問題を先送りするという
姿勢は、政治も経済も違いがないということでしょう。
今回の問題は、湾岸戦争時に将来的に考えて、もっと掘り下げて法律なり憲法解釈なり、国民とともに解決しておくべきもの
であったといえます。この点、最近の狂牛病における農水省や労働厚生省の対応と根っこは同じといえます。
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アメリカの犯人捜索(報復)に対しては、当然のことながら日本として協力すべきでしょう。理由はそんなに難しいものではあり
ません。何もやらないわけにはいかないからです。ただ、こうした犯人捜索や報復は、日本の最も不得意とする諜報や軍事行
動・支援が主となりますので、わが国の協力といっても非常に限られるでしょう。特に、どうせ支援するのならなるべく最小コス
トで最も見栄えの良いもの(アピーリングなもの)が望ましいのですが、現実を見るとかなりお寒い印象をぬぐえません。自衛
隊機の派遣も所詮後方支援でしかなく、何か縁の下の力持ち的な印象にしか過ぎませんし、テロ組織の資産凍結も日本国内
ではそう大きな対策を打てそうもありません。テロ組織の情報なんて、左翼勢力やカルト宗教団体を主なターゲットとしている
日本の公安や、本来こうした情報を買うためにある機密費を私的に流用する外務省などが集められるわけもありません。