投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 9 月 08 日 21:29:46:
******このお話は架空のものです******
パワー: 東京や大阪など日本の主要都市からの映像が、世界中のテレビで流されています。憤慨した人や、不安げな表情の人々が、銀行の前で長蛇の列を作っています。エリック、いったい何が起こっているのでしょうか。かなり深刻な様子ですね。
パーフリート: ええ、その通りです。いわゆるバブル経済が1990年に崩壊してから、これまでの約10年間に水面下で進行していた危機が一気に爆発したのでしょう。資産価格が大幅に下落すれば、その国の経済に大きな打撃を与ることになります。しかし、ここまで深刻な状況に陥る前に何か策を講じることができたはずだと思うのですが。
パワー: 後悔先に立たず、とはこのことですね。
パーフリート: ええ、確かにそうですね。私は1997年ごろから、このままでは、かなりひどいことになるのは避けられない、という思いを強くしていました。当時、関係者の間では、景気は間もなく上向き、株式市場の回復ももうすぐだ、と毎年のように言われていました。しかし、その都度、期待は裏切られました。これは、待っていれば自然に景気が上向くような通常の景気後退ではない。大手術が必要だということは、97年の時点で私の目には、はっきりしていました。
パワー: そこまでひどい状況だとお考えになった理由は何ですか。いったい何があったのでしょうか。
パーフリート: 銀行と政府が、長い間、事態の深刻さを表面化させなかったのです。企業が借り入れの利子を支払えそうにない、あるいは借り入れ自体を返済できそうになくなると、銀行は追加融資を行なったり、返済の繰延べを認めたりして、問題を隠し、解決を先送りしてきたのです。景気が回復し、業績が好転すれば返済される。それまでには、もう少し時間が必要だと考えていたのでしょう。ところが、期待に反して景気は一向に上向かず、その結果、不良債権ばかりが増えていったのです。こうしているうちに、銀行も問題を隠し通すことはできなくなりました。建設業や小売業といった脆弱な業界の企業を支えきれなくなり、1997年以降、これらの業界を中心に、倒産が相次ぎました。相変わらず、部分的な対応策で乗り切れるだろうとの希望的観測もあったようですが、現実には問題の根ははるかに深かったのです。企業倒産が相次いだ結果、1998年末には失業率が7%に上昇したことからも、事態の深刻さがおわかりいただけると思います。
パワー: しかし、企業の倒産が増えたのは、銀行が無益な追加支援をやめて、真剣に問題解決に取り組み始めたからではなかったのですか?
パーフリート: 新聞の解説記事を信じれば、そういう見方をしても不思議ではありません。やっと真剣に問題に取り組み始めた、と。確かに、景気回復はもうすぐだと信じたがった人たちは、こうした事態を回復の兆しと指摘して、安堵感を覚えることができたのです。しかし、銀行が、不良債権の実態を公表し、その徹底的な償却を進めない限り、根本的な問題は解決しません。
その上、問題は銀行や民間部門だけではなかったのです。公社、公団や特殊法人などの政府系機関も大量の不良資産を抱えていました。原因はずさんな経営、そして貸し付けの不良債権化などです。特殊法人は、土地などの資産を簿価、すなわち取得価格で計上していました。ところが、これらの資産は実勢価格よりもはるかに高い値段で買い取ったものが多く、大きな含み損を抱えていたのです。急速に高齢化が進むなか、負担が重くなる一方の年金制度への対応を財政当局が迫られていた矢先に、こうした損失が明るみに出ました。
パワー: こういう悪い話を吹き飛ばすような、よい話はなかったのですか?銀行が抱えていたのは不良債権だけでなく、健全なものもあるのでは…?
パーフリート: 健全な債権も確かにありました。しかし、1997年には、もう1つの問題、すなわちアジア版バブルの崩壊が銀行業界を襲ったのです。この年、IMF(国際通貨基金)は、香港で年次総会を開いたのですが、それは、確か香港が中国に返還された直後の非常に興味深いタイミングでした。総会が計画されたのは1993年ですから、まさか同じ年に「アジアの奇跡」が壁に突き当たることになろうとは夢にも思わなかったでしょう。アジア諸国への融資を積極的に展開していた日本の銀行にとって、あのアジア版バブルの崩壊は悪夢というほかありませんでした。
歴史を振り返れば、同じような例がないわけではありません。たとえば、国内の問題に加えて、近隣の中南米諸国に過剰融資したことから、米国の銀行が1980年代前半に債務危機に陥りました。今度はアジアで歴史が再び繰り返されようとしていたわけです。1997年の時点ではまだはっきりしていなかったのですが、中国経済も問題を抱え込もうとしていました。アジアの経済危機は中南米の債務危機よりもはるかに深刻だ、との見方が広がり、その解決に相当長い時間がかかることになったのです。
パワー: 銀行には、外からは見えない「含み益」もあったのではないでしょうか?
パーフリート: もちろん、ありました。ただ、株価や地価の下落で、資産の時価はほとんど簿価と同じか、それ以下に下がってしまったのです。銀行は含み益に頼って、不良債権の処理をすることはできなくなっていました。株価や地価が下げどまらないため、不良債権問題はますます深刻になっていきました。
パワー: 問題がどんどん悪化していったのに、どうして当時の政府は何の手も打たなかったのでしょう?
パーフリート: いや、手を打ったことは打ったのです。といっても、結局は傷口を広げただけですが。1997年度に自己査定制度が導入された結果、銀行は自ら不良債権のリスク評価を行うことが義務づけられました。それまでは、実際には回収見込みのない債権でも資産として計上し続けることが可能でしたが、新しい制度の導入によって、償却を迫られる不良債権の額が拡大していったのです。このため銀行の資本が減少し、BIS(国際決済銀行)などによる自己資本規制をクリアするために、貸出しを中心に資産を圧縮する必要に迫られました。銀行が貸出しに慎重になった結果貸渋りが広がり、97、98年度には倒産する企業の数が急増しました。また、これが銀行の不良債権を増加させるという悪循環に陥っていったのです。同時に、自己資本比率が準拠基準に満たない銀行に対して大蔵省が、改善勧告、あるいは業務停止命令を発動できる「早期是正措置」が実施されたため、自己資本比率の改善を達成できないいくつかの銀行は業務停止処分に追い込まれました。こうして日本経済の流動性不足がさらに悪化していったのです。
破綻する金融機関が増えるにつれ、これまで隠されていた不良債権額の大きさが明らかになっていきました。銀行の財務内容の不透明さに疑問を抱いていた海外の投資家は、これを受けて、銀行株を売り始めました。この結果、銀行は資本市場から資金を調達するのが一層困難になり、破綻に追い込まれる銀行がさらに増えていったのです。破綻後の修正財務諸表が公表される度に、隠されていた損失額の大きさに国民全体がぞっとしたものでした。
一方、一般の事業会社の財務状況も、金融機関並みに悪いことが明らかになりました。事業会社は、銀行株の下落による損失を最小限にしようと、持ち合いの解消に動きました。となれば、どうなったかおわかりでしょう。銀行株の暴落ですよ。金融株は東京市場の時価総額の四分の一を占めていたため、数週間前から、日経平均が急落し始めました。これを受けて、これ以上の損失を回避するため、企業は金融機関株以外の持ち合いまで解消し始めました。こうした持ち合いの全面的な解消で市場全体が混乱し、先週、日経平均は12,000円を割り込む暴落となったのです。
パワー: すみません、せっかくですがエリック、ここでお話を中断させてください。たった今東京から、日本政府が発表した声明についてのニュースが入ってきました。画面をBBCの東京特派員、クリスティーヌ・キャメロンに切り替えます。では、東京からどうぞ。
キャメロン: お伝えします。こちら東京は金曜日の早朝です。たった今、大蔵省が郵便局を含む全ての金融機関に対して、今日から来週1週間の営業停止を命じた模様です。金融市場も同様に1週間閉鎖されます。先ほどからご覧いただいているのは、預金を引き出そうとして開店前に銀行に押し寄せた預金者たちの長蛇の列です。昨日から郵便局の口座や在日外資系銀行のドル口座に預金を移したり、海外の銀行へ送金しようと、たくさんの人が押し寄せ、行員は対応に追われています。政府は、今回の大規模な取り付け騒ぎについて、これ以上静観を続けるわけにはいかないとしており、また郵便局側もこれほどの資金流入に対処しきれていないようです。
大蔵省は今回の措置を「銀行休日」(バンク・ホリデー)と呼んでいますが、とても休日といった雰囲気ではありません。歴史に詳しい方ならご存じの通り、大恐慌まっただ中の1933年3月3日に、初めてバンク・ホリデーを実施したのはルーズベルト大統領でした。今回の日本での同様の措置が、新たな日本発の大恐慌の幕開けとならないことを祈るばかりです。
パワー: ありがとう、クリスティーヌ。今回の日本政府の思い切った措置で日本の金融危機が解決に向かうとよいのですが。以上、ニュースナイトをお送りしました。今晩はこれで失礼いたします。
******このお話は架空のものです******
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