貨幣の散歩道〜第53話 戦後インフレと新円切り替え

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投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2001 年 8 月 21 日 00:50:27:

昭和20年8月15日、第二次世界大戦に敗れた日本経済は、戦争によって国富の約4分の1を失ったほか、生産水準も戦前の2〜3割にまで落ち込むなど、大きな痛手を受けた。そうしたなかで、終戦処理費として巨額の財政支出が散布されたことから、日本経済は激しいインフレに見舞われ、国民生活は極度に窮乏化した。実際、1935年の卸売物価水準を基準とすると、終戦時には3.5倍、24年には208倍を記録するなど、復興期の日本経済はハイパーインフレの渦中にあった。
これに対し政府では昭和21年2月、金融緊急措置令および日本銀行券預入令を公布し、5円以上の日本銀行券を預金、あるいは貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させ、既存の預金とともに封鎖のうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払い出しを認める(いわゆる「新円切り替え」)という非常措置を実施した。これは、インフレ進行の阻止というマクロ経済的な目標を、預金封鎖と称される強制的手段に基づく銀行券流通高の減少を通じて達成しようとした、わが国金融史上においても例を見ない緊急かつ直接的な経済対策であった。
この金融緊急措置に類した緊急対策としては、大正12年の関東大震災時および昭和2年の金融恐慌時に実施されたモラトリアム(支払猶予)を挙げることができる。しかし、それらは、インフレの進行防止を目的とした金融緊急措置とは根本的に性格を異にしていた。たとえば前2回のモラトリアムの場合、支払延期を行うか否かは金融機関など債務者の判断に委ねられており、手元準備の充実とともに預金の支払請求に応じた金融機関もみられた。これに対し、金融緊急措置の場合、保有銀行券についても強制的に預入させられ、既存預金とともにその支払いが厳しく制限された。金融緊急措置という非常措置とともに実施された旧銀行券の新銀行券への切り替えの準備は、極秘裏かつ短期間のうちに進められた。しかし、わずか10日間ほどの間に、預金払い戻しに必要な新銀行券を大量に製造することは不可能であった。このため、応急措置として、従来の銀行券に証紙を貼った紙幣(これを証紙添付日本銀行券という)が新銀行券とみなされ、同年10月末までの約8か月間、市中で流通していた。
金融緊急措置の実施に伴い、金融機関からの預金引き出しは厳重に制限された。もっとも、預貯金のすべてが完全に凍結されたわけではなく、一定の生活資金や事業資金については新円での払い出しが認められていたため、封鎖預金の払い戻し請求はかなりの金額に達した。その一方で、銀行券が市中で退蔵され、金融機関へと還流しなかったことから、日本銀行券発行残高は金融緊急措置実施後1か月のうちに6割にまで縮小したが、その後再び増大し、インフレの減速は一時的なものにとどまった。マネーサプライ増大の背景にある財政赤字の削減が、遅々として進まなかったからである。
そうしたなかで昭和23年12月、インフレの一挙安定を狙いとする経済安定9原則が連合軍総司令部から発表された。次いで昭和24年には、均衡財政による財政の健全化と、単一為替レートの設定(1ドル=360円)を主たる内容とする、いわゆるドッジ・ラインが実施された。これによって、長年にわたったインフレにもついに終止符が打たれた。




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