★阿修羅♪ ★阿修羅♪ |
|
次へ | 前へ |
知事というのは、公約を選挙にて発言し、そして県民によって選ばれる。県民によって選ばれたのだからその公約を守り、実行するように努力する。県会議員が、反対しようが、知事は公約を実行する責任があり、その公約を支持するのが県民より選ばれた県会議員である。
小泉総理の場合、国民から直接選ばれたのではなく国会議員から選ばれている。総理の場合、国民に対する公約よりも議会にたいする公約を大切にする。今回の国会で議論されている法案などは特に議員内の妥協のいちもつだ。すべては、国民のためではなく議員のため、かつ議員の紐がついている企業のため、権力をもつ公務員のためである。
田中知事の場合、県民のため、県民に対しての公約のため努力している。しかし、県会議員は、知事の公約など関係ない。彼らは議員定数削減の恐れ、私利私欲のみで動いている。
ダム建設に関しては、今までのかなりの費用がかけられているという。しかし、いったんダムを建設してしまうとその環境のあともどりかできない。長良川河口堰がその例である。長良川の水質は悪くなり、いつも汚い川の臭いがするようになった。岐阜の山奥のダム周辺もそうである。川のにごったのが溜まっている。
田中知事は、長野の森林、川、山は財産だといっている。本当にそうだと私も思う。
長野オリンピックの場合もそうだが、県民の利益になったことはあったのだろうか。できたのは、大きな借金だけである。県民がどちらが得か損かは長い目をみてじっくり考えてほしい。
今後の将来を決めることも長野県民である。ただ、田中知事はある程度責任をもつ覚悟はあるようにみえるが、県会議員や、公務員、県職員は、全く責任がない。このことは、だれもがわかることでしょう。田中知事を好き嫌いでもなく、応援するわけでもないが、事の本質をよく見て長野県民の進む道をきめてほしい。
当方としては、ダムをつくってもなんらいいことがないように思える。