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(回答先: 真面目な国民は預貯金が最良と思っています 投稿者 タロー 日時 2002 年 6 月 12 日 21:02:43)
タローさん、初めまして。
>国民は余剰資金をどのように運用すべきであったのでしょうか、教えていただければ
>幸いです。
経済問題の究極とも言えるご質問なので、どこまで答えたらいいかちょっと迷っています。
いつかまとめたものをアップするつもりということで、ここでは、簡単に説明します。
● 余剰資金とは
将来は必要であっても、現在の生活や事業にとりあえず必要ではない通貨だと考えています。
違った視点で言えば、余剰資金があるということは、それに相当する余剰労働があったとも言えます。
最初の見方は個々人がそう意識しているので目に見えるものですが、後のほうは、余剰資金が国債(公的債務)を通じた財政支出や貸し出しを通じた民間支出に回って購入されているので、目に見えにくいものです。
余剰資金が国債や貸し出しに回ることで、余剰労働が打ち消され、経済成長に貢献したことは間違いありません。
余剰資金が大事に金庫にしまわれたままであれば、余剰労働が顕在化し、事業が縮小されることになるので、失業者も増え、経済も後退します。
● 余剰資金の活用法
とりあえず、余剰資金は、政府債務残高の700兆円や公的債務残高の900兆円に相当する金額と考えてください。
1)投資に回す
ここでいう投資は、既発株式を買うことや値上がり益を期待した不動産投資ではありません。
既発株式を買う行為は、株式との交換として既保有者にお金を移転させるだけで、事業活動に投資したわけではありません。(株式市場の存在が新規株式への投資に安心感をもたらしていることは認めますが、現実の株式取引は、値上がり益を期待した株券とお金のやりとりがほとんです。そこで儲けたお金が消費や投資に使われていることも認めます)
“自己責任”で、新規事業や事業拡大に必要な資金の一部として余剰資金を投じるというものです。
それは、自分で事業を興すことでも、他者の求めに応じるかたち(新規株式購入)でもかまいません。
それらがうまくいけば、投資した人は、収入が増えたり、配当を得ることになります。
失敗した人は、投資した分だけお金を失うことになります。
2)税金として徴収する
余剰資金を保有している誰もが事業意欲を持っているわけでもなく、紙屑になるかも知れない株式を買うことに躊躇する人もいるでしょう。
そのような余剰資金は、税金としてすべて徴収します。
以降の説明は、現在の財政(歳出)にプラスされるものとしてお考えください。
おいおい、ふざけるなと言われてしまう考えですが、この政策を採っていれば、900兆円という公的債務はなかったはずです。それだけ借金できたということは、それだけの余剰資金があったということですから。
税金として徴収する代わりに、納入税額に応じて国家が生活の保障をします。(余剰資金すべてを年金保険料にプラスするかたちで支払うと考えてもらった方がいいでしょう)
60歳でも65歳でもいいのですが一定年齢に達したら、納入した税金に応じて、インフレやデフレを考慮した老後の生活資金が年金にプラスして支給します。
老人にならなくても、病気や怪我などで働けなくなる人もいますから、その人たちにも現在と同じように生活扶助費に若干プラスされるかたちで支払います。
端的には、老後や病気を心配して余剰資金を貯め込まなくてもいいシステムです。
貯め込めなくてもいい分や年金や生活扶助費はほとんどすべてが消費に回るので、余剰労働の打ち消しに貢献します。
(現在の年金制度と同じように配偶者への権利継承を認めますが、早く死んでしまった人は金銭的には損になるかもしれません。年金制度をすべてこの制度に統合したほうがいいと考えています)
また、住宅取得などの融資にも使います。融資は、納税分は無利子で、それを超える金額は審査で可否を決め、可であれば低利の単利で行います。支払われた利息は、納税と同じ扱いにします。(返済不能に陥ったものについては、事情によって様々な対応をします。物件の所有権移転も含むかたちで)
企業については、納税実績に応じて、低利で融資が受けられるようにします。(無利子であれば多くの企業が欲しがりますから、低利にすることで歯止めをかけ、必要度と返済能力の審査も行います。納税実績(インフレやデフレを調整した)に応じた融資ですから担保はとりません。支払われた利息は、納税と同じ扱いにします)
それでも、国家が余剰資金を残しているのなら、それを原資にして国営事業を行います。
介護事業や限定需要品など、必要なのに利益面でなかなか参入がない分野を優先します。(黒字や収支とんとんが望ましいのですが、どうしてもいう事業は、国会の合意のもと赤字で営んでもかまわないと考えています)
大々的に事業を行ってもいいのですが、民間企業を圧迫することになるので、遠慮することにします。
国営企業より民間企業のほうが効率的というのは錯覚だと考えています。
同じ経営手法を使えば、配当というかたちで利益を流出させないで済む国営企業のほうが効率的です。
元々民間では手に負えない事業や利益が期待できないので民間が参入しない分野に設立されたのが国営企業です。その後も、政治の道具に使われたり、民間事業を圧迫しないように“規制”されたり、公務員扱いなので首切りができなかったり、利益を生み出すものという位置づけがされていなかったことなどから、非効率な存在だと思われるようになっただけです。
有能な経営者を高額の報酬で雇い、実績を上げた人は給与を上げるという手法は、所有形態とは別の話です。
● 実現の可能性
夢物語だと受け止められるような内容を書いてきましたが、余剰資金の定義から始まって、具体的な手法も書いていないので、コンセンサスも得られなければ、実現にもほど遠いものだと自覚しています。
個人であれば、余剰資金が税金として採られるのなら消費してしまえと考えたり、海外の秘密口座に預けたり、移住してしまうという逃げもあります。
企業であれば、日本と似た条件で税金がより安い他の国に移転した方がいいと考えるでしょう。
これらの反応に対して、預貯金や保険料のある部分は国債の引き受けに使われ、その利払いや償還には税金を当てるか、紙幣を増発する(ハイパーインフレになる)ことになるのだから、こちらのほうが利払いの分だけ結局は得なんですよと説明するしかないのですが、理解は得られにくいでしょう。
ここ10年ほど年10兆円平均の利払いを行い、これからもそれに近い金額の利払いが続きます。
税収を50兆円(今年は45兆円ほど)と考えれば、利払いによって、5年ごとに1年分の税収をゼロにしていることになります。
国債の利息を受け取った人は得をして経済にも貢献したという事実は認めますが、それは、「国債サイクル」がうまくいっている間だけの話です。
行き詰まった利払いや償還のために、お金を持っている人に増税するようになったり、紙幣を増発するようになったら、国債を保有している人も大きな損失を被りますし、主要な国債保有者が銀行や生保であることから、国債を持っていると自覚していない人もバチを被ることになります。
書いた内容は、900兆円という公的債務を税金として初めから徴収していれば、よりまともな国家運営ができたという“理念的”な話だとご理解ください。
最初に書いたように、この問題は究極的なテーマだと考えていますので、いつかもっと詰めたかたちでアップできればと思っています。