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(回答先: 商売としての右翼、趣味としての右翼 投稿者 小川 日時 2002 年 5 月 15 日 12:29:55)
右翼というのは、左翼(マルクス・レーニン主義、時には社会民主主義も含まれます)へのアンチ、と言うのが定義だけに、幅広い潮流が含まれます。反共という意味で捉えるなら、「親米」も右翼と言えないことはないでしょう。しかし、民族主義、ナショナリズム、バトリオティズムとして見たら、西欧でもクリスチャニティでもない日本で「米国べったり」の主張をする連中は「右翼」とは呼べません。もちろん、敗戦国家が生きる道として「米国べったり」でいくことは、リアルポリティックスの選択肢としては、おかしくありませんが、こういう「苦し紛れの選択」を国家理念や国家の抽象的なレゾンデートルへ”昇格”させることは無理があります。
戦後の日本右翼の「躓きの石」は米国への対応です。これは右翼に止まらず、戦後の日本の外交・政治、国家戦略にとっても米国が最大の課題であり、これは現在も変わっていません。
親米と天皇制賛美はつながりません。いや、無理をすればつながるのですが、少なくとも、戦前、鬼畜米英を掲げた以上、敗戦したからといって「親米・天皇制賛美」というのは、整合性がありません。最近、西部やヨシリンが西尾一派から飛び出したのも、WTCアタックの評価を巡って、反米トーンでいくか、親米トーンでいくか、での分岐でした。
この親米・嫌米問題は右翼に限らず、うまいソリューションがないわけで、まあ、敗戦国家の”業(カルマ)”です。「反帝反スタ」といっている新左翼や「ヤルタ・ポツダム体制打倒」と言っている新右翼(最近、見かけませんが)は、この問題を超越しているように見えますが、この2つのスローガンは現代の世界支配体制を全否定しているわけですから、現実的には「イスラム原理主義で世界を再編しよう」というイスラミストと同様の空論です。少なくとも現時点では。ましてや、米国の「一超支配」が強まり、中国とイスラム諸国がかろうじてこれに対抗している現状では、このどちらにも組していない日本には、対米政策で何らかの独自性が発揮できるのかどうか、大いに疑問です。
慎太郎首相があり得ない、と考えている理由も、米国が許容しないだろう、という推測の他に、「NOと言える日本」などと著作では言えても、首相になって「反米。嫌米路線」など採れるわけがない、という判断もあります。特にダブヤ政権の間は、在日米軍問題すら口にすることもできないでしょう。反米路線を志向するということは、日本の仮想敵国のひとつに米国を加える、ということでもあります。こういう問題をあいまいにしている右翼など、ナショナリズムについても、日本の嫌米自立路線についても、まじめに何も考えていない、ということです。まあ、街宣車でわめきまわっていれば、それでハッピーだというのなら、うるさいだけで、どうということもないのですが。