自分達もいずれは老人になる。
http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/126.html
それは、真実である。
時間が不可逆である限り。
しかし、肉体的に老いることと、年金生活を当てにした「老人の余生」を送ることとは必ずしも一致しない。いや、これからはそのような生活はあり得ないと考えるべきだろう。
もし、我が子が二人の高齢者の介護をしつつ、生活を支えるために(田畑で)働き、尚かつ明日の人材を育てるために子育ての負担を背負うことを考えてみれば、どの様な回答が出てくるのであろう。
かっての日本には「楢山節考」という思想があった。
象も自らの死期を感じ取ったとき、群れから離れ孤独で死を迎える。
メメント・モリ死を忘れるな。
死は常に我々のそばにある。
長く水増しされたぶよぶよの生よりも、充実した、輝くばかりの「一瞬」こそが重要なのである。
それこそが、一度は棺桶に足を突っ込んだ人間の「冥途からの土産」話である。