(回答先: Re: 質問の仕方と主体性と南京と........日本は何処へ 投稿者 一般人 日時 2002 年 3 月 01 日 22:36:18)
「一般人」さん、こんばんわ。
一人で考えて書いているよりも、こうやって対話しているほうが刺激的で楽しくていいです。
どのような立場の人であれ、その人が話したり書いたりしたことは、“誘導”や受け売りそしてウソであれ、その人の考えや思いから発したものだと受け止めているので、「女は..」、「人間は...」といった主語矛盾の内容を聞いても、それほどは違和を感じません。
ただ、「一般人」さんが指摘されているように、主語矛盾をきたしている人が、主体喪失になっているきらいはあるとは思っています。
>?浄土的な救済を切り捨てながらも、隣人に対する慈しみを忘れることの無いよう
>にする。という意味と捉えて構わないということか?
>(語彙が宗教的だが宗教とは無関係)
慈悲よりも喜捨のほうが好きなので違うと思います。
結局のところ、自分はすごくわがままな存在で貪欲なのだと思っています。
ひとから受ける刺激で心地よくなることが好きなんでしょうね。
>?事象の客観性は皆さんの書き込みの総体に委ねるとして、
>?私はとくに村山政権以降、日本政府は「日本の民(日本に暮らす人々)」よりも「ア>メリカ政府」と親しい関係にあると考えているが、この意見についてどう思われるか?>また、上記の事件を通じて「日本政府」は「日本の民」「アメリカ政府」「中国政府」>さらには「韓国政府」「その他の政府」「アジア諸国関連機構」「EU」との関係の中で>、何のために何処と親しくすべきか全く判断不能になっているのではないかと感じるが>いかがか?
「日本の民(日本に暮らす人々)」よりも「アメリカ政府」...というスタンスは、村山政権というより、82年の中曽根政権が転換点だと思っています。
190近くある国々とどういう関係を築いていけばいいか、まじめに考えたり論議してこなかったと思っています。(ODAであれば、どこの国でも悪い顔はしません)
それは、逆に、自分の国がどういう存在であるかをまじめに考えてこなかったということでもあります。
そして、歴史=現実が休むことなく動くものであり、刻々と変化しているいるものであるという認識も薄らいでいると推測しています。
米国支配層に叱られないことを除けば、基本的に、米国支配層の外交戦略に乗っかればいい(米国の指示通りとは言わないが、米国支配層が見ている世界を“見て”日本の外交政策を決める)という身構えで戦後日本の政府機構は推移してきたと思っています。
「日英同盟」が解消され、日英戦争になったことすら忘れているようです。
>もし、謝罪するにしろ何にしろ、意思表示する場合、これからの「日本の民」にとって>有益な交渉をしていただかなければならないわけですが、そのようなメンタリティーを>現在の日本政府がもつとはとても思えません。
有益な交渉をするためには、戦後価値観=米国風の桎梏から抜け出さないと無理だと考えています。
例えば対中国では、「南京大虐殺」だけを謝罪しただけでは、将来にわたるよりよい関係性は築けないと思っています。
米国に対しても疎遠になったり喧嘩をする必要はありません。「対米最後通告」の手交遅れについても、きちんと謝罪していないと記憶していますので、今さらながらですが、米国政府及び米国民に謝罪した方がいいかと...
>昔、何かの雑誌で読んだことがあるが、中国にあるの南京大虐殺の資料館のルポで、相>当えぐい資料を見せられた後、ルポライターが恐縮していたところ、資料館の担当者か>だれか中国人の方が、「この事件について中国はあまり気にしていない。」と言った類>のことを言われビックリしたそうです。まあ、この話の有効性が何処まであるかは別にして、
親族に関連した人がいる人や“愛国主義者”を除けば、悲惨な事件だけど戦争ではよくある話だと思っている人が多いと思います。
現段階では中国人のほうが未来志向だと思っていますで、日本政府がきちんと調査した上で、たとえ一人でも故なく殺していれば、きちんと謝罪することで、新しい関係性が築けると思っています。
中国では、「反日意識」よりも「反米意識」のほうが強いと思っています。
逆に、中国政府は、「反日」はそこそこであればいいけど、「反米」はできるだけやめて欲しいという感じでしょう。
>今後、中国のしたたかさに比べ、日本政府は不甲斐なく、例え日本政府が中国に対し優>位な立場を取りえたとしても、「中国以外の政府」にとって有利に働いても、それが「>日本の民」にとって有益かどうかは以前謎のように思えますがいかがか?
中国と日本のしたたかさの差は、中国は「日中平和条約」で賠償を放棄し、日本はそれを受け入れたことに代表されていると考えています。
「南京大虐殺問題」も、あの時点できちんと対応しておくべきで、それを含めて賠償金を支払ったほうがよかったと考えています。(お金を払えばいいというものではありませんが、近代の国家間では重要です)
“ただより高いものはない”と言いたいわけではありませんが、中国に援助しても中国国民のなかには「あの戦争があったんだから当然だ」と思う人もいるでしょうし、1兆円に達しても、2兆円に達しても、それが変わらなければ、国家間の関係で言えばただむしられているだけということになります。
きちんと賠償金を支払った上でこれまで行ったきた援助をしていれば、「あの戦争があったんだから当然だ」と思う人もなおいるでしょうが、「日本は中国人のことを大事に思ってくれている」と思う人も増えていったでしょう。
ざっくばらんに言えば、中国支配層は“中華意識”を支えにしていますから、それをくすぐる対応をしていけば、ころっといくとおもいますよ。
昔の日本は、中国の王朝に朝貢して、だいたい5倍返しのおみやげをもらったものです。
それが“中華意識”です。なかなか油断ならない“中華意識”とも言えますが、そこは、準備万端怠りなしで....(ちなみに、今の憲法と政権では認めませんが、納得できる政権であれば、憲法を改正し、核兵器も含む強力な武装を行うべきだという考えです)
最後に、日本は駅のホームでも、「気をつけろ」、「電車が来るぞ」とうるさいと思っています。
それと、「ご遠慮ください」という言葉に引っかかります。
「禁止なのか、遠慮のない人はかまわないということなのか」はっきりしろと思います。
今後ともよろしくお願いします。