(回答先: Re: あっしらさんに質問です。 投稿者 ジャックその後 日時 2002 年 2 月 26 日 19:42:58)
誤解を招く言葉遣いだったようで、恐縮いたしますが、一応誤解を解く意味でもレスさせていただきます。
>>あっしらさんの意見って、すべてにおいて、なに人だから、とか、どういう立場だ
>>からとかいうのが、無いからこそ説得力があると思って拝見してるんですが・・・。
私は、「あっしら」さんの発言の経緯を辿っていると基本的に書き込まれた文章に文責をもちたいと言う「あっしら」さんの意志を感じたので、「それなら率直に聞いてみよう」とご質問申し上げているだけです。
そうでない方に無用にご質問させていただく気は全くありません。
この時点で「あっしら」さんに対する認識は「ジャックその後」さんと異なっているようです。
>>自分が背負っている立場を離れた上でないと、真実は姿を現さないとおもいます。
自分の背負っている立場から離れた上で現れる真実もあるといえるでしょう。
しかし、それは真実の全てであることを証明はしていません。
>>だから、立場をわざわざ作り出して行うリベートは、実は意味をもたない遊びだと
>>思っています。
>>でも、その発想がそれぞれの国や、身分や民族間での優劣意識や損得勘定の中心で、
>>世界を動かしているんですね。
そう思う。のならそのような見方もあるでしょう。
>>主体性が無いという視点は、すべての人間が持つべきものだと思います。
そうした希望を持つことも自由だと思います。確かにディベートのもつゲーム性や[主体性がある]ことによる弊害や嘘を指摘されたい気持ちもわかります。
しかし、そのことは[主体性がある]ことを部分的に否定できたとしても、[主体性が無い]ことを肯定する根拠にはなりません。
そればかりか、世の中で起きている雪印事件や狂牛病関連の事件は[主体性の無い視点]が積算されたことによって、現れた事象ではないでしょうか。つまり、部下や上司、親会社や下請け、それぞれが日常的な社会的義務を主体的視点で果たさず、[主体性の無い]視点で携わってきた結果であり、また犯罪的状況が露呈した今でも[主体性が無い]視点が生み出した結果故に、これに携わった人々の多くが加害者としての意識をもっていないのが現状ではないでしょうか。どちらかというと、救いがたいのは自分も被害者であると思っているふしが強くあると思います。
これについての論証は長くなるので避けますが、[主体性が無い]ことによる利点や有効性を認めながらも、その弊害や嘘についても考えるべきではないでしょうか。
>>そして、私はこの客観視が昔から上手な日本人が大好きです。
>>これがあるから、日本人って、知性的だなあ〜って、思っています。
[客観視が上手な人]を好きなのは自由だと思いますが、
[客観視が上手な人=多くの日本人]という客観的なデータを私は知りません。
そして、「客観」と「主観」というものは諸刃の剣なのではないでしょうか。
客体性とは、「様々な主体性から独立しようという方向性」に過ぎません。だから主体性を否定してしまえば、方向性となる基点を失い、客体性そのものが「客体性だと思っていた事柄」という主体性に置き換わってしまうのです。
私は自分の身の回りのことで言えば、「主体性無く、一般論を語る人」が結構いたりしますが、そういう人たちはいざ行動に出たとき恐ろしくわがままだったりします。だから「客観性があるな。」と思ったことは一度もありません。どちらかというと、主体的に動いている人の方がまだ「自分の主観性に疑いをもっている」場合が多く、その主観性に客観的な信頼感を憶えます。
もし、百歩譲って現代の日本人の客観視観を肯定したとして、その客観視観はどこから生まれてきたのでしょう?日本の風土環境ですか?日本史ですか?日本の経済ですか?お米ですか?どんなに逃れたくても人間というのは肉体がある以上、その肉体の物理的主体性からは逃れることは出来ません。(ドラッグなどで一時的に忘れることが出来たとしても、それは幻です)日本人の客観視観を形作った主体がどこかにあるはずです。
>>だから、私には一般人さんが、サッカーやオリンピックなんかのスポーツで熱くなるような見方で、
>>ここの意見を読んでいらっしゃるように見えちゃいます。
「打っても響く可能性のないもの」に無用な質問をするほど暇でもありません。
私は主体をはっきりさせて(だれがを問いただすことではない)、客観的な事象は何かと聞こうと思ったことは事実です。
しかし、それは「熱くなるような見方」とは全く無関係です。
確かに、日本語による思考パターンは言語学的に見ても主体を軽視するあるいは曖昧にする傾向にあるようで、主体をはっきりさせようとすると逆に強いトーンの表現に見えてしまうのかも知れません。
別に私も非望や中傷を意図しているわけでもありませんし、ディベートのように勝ち負けの勝負をしたいわけでもありませんので。
希望的観測からいえば、ある程度の主観性からくる疑義の方が話が成立すれば内容としては有効だと思いますし、「あっしら」さんにとってもこのような疑義から来る論旨の展開の方がその客観性が高められて、望むところなのではないでしょうか?
まあ、それも私の質問の質にも寄りますし(身の回りの社会しかあまり見ていないので、くだらない質問をしてしまいがち)、「あっしら」さんがどう考えているかもここでは今断定できませんけどね。
今回は観点をはっきりさせたかったので、もし、わたしの言葉にきつさがあるように感じられたら、お詫び申し上げます。「ジャックその後」さんのご意見も真摯に受け止め、質問時における言葉の選び方に注意を払うようにしたいと思います。
「ジャックその後」さんのご意見のいくつかには私としては全て同意できないまでも、おっしゃりたいことは何となく分かるような気がします。