投稿者 倉田佳典 日時 2000 年 9 月 04 日 19:05:18:
09/04 16:24 ツチ、フツの対立根深く 足踏みのブルンジ和平 外信34 #01
共同
アフリカ中央部・ブルンジの少数派ツチ人と多数派フツ人との内
戦終結を目指したブルンジ和平協定は、ツチ側の一部が調印を拒否
して包括的和平への歩みは足踏みしている。国連が七日の安保理サ
ミットで集中討議するなど国際社会の目はアフリカ問題に集まって
いるが、植民地時代の歴史も含め両民族の対立の根は深い。
ツチ側が和平に踏み切らない背景には、政治と経済、軍を支配す
る現在の地位や利権への執着、そして多数派フツが復しゅうに立ち
上がるとの恐怖がある。
「美しい妻、いい勤め口にリーダーシップ。ツチは全部ほしがる
」。先月二十八日の調印式の翌日、フツ政党の女性はツチへの不満
を口にした。
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09/04 16:24 ツチ、フ 外信34 #02
ツチ側は協定の内容に「権利保障が十分ではない」と反発。ツチ
政党のヌゼイマナ党首は「民主政治を受け入れれば、フツはわれわ
れに対するドアを閉ざそうとする」と、少数派ツチ人による支配を
弁護する。
ツチとフツの歴史をめぐっては、十五世紀に農耕民のフツの土地
に北方から牧畜民のツチが移住、フツを支配下に置きブルンジ、ル
ワンダ両王国を形成したとする説と、生産手段の違いから両民族が
分離したとする説の二つがある。
十九世紀末から今世紀初頭にかけ、ドイツとベルギーが両王国を
植民地化したが、ツチによる支配構造を統治の道具として温存。ツ
チは植民地政策の「実行役」を担った。ヌゼイマナ氏は「(両民族
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の)憎しみは植民地時代に植え付けられた」と指摘する。
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09/04 16:24 ツチ、フ 外信34 #03
一九六二年の独立後、ルワンダでは数の力でフツが政権を握る一
方、ブルンジはツチが支配。九三年の大統領選で勝利したフツのヌ
ダダイエ氏がツチ系将兵に殺害され、内戦に突入した。
ルワンダでは九四年にツチ系住民に対する大虐殺が発生。反撃に
よる死者も含め、犠牲者は百万人に達したとされる。
両民族の対立は、隣国コンゴ(旧ザイール)内戦の引き金にもな
った。九四年にツチが実権を握ったルワンダは、モブツ旧ザイール
政権打倒を目指すツチ系反政府勢力を支援。しかし、その結果誕生
したカビラ政権のツチ軽視姿勢に思惑が外れ、反カビラに転じた。
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09/04 16:24 ツチ、フ 外信34 #04
一般的にツチ人はフツ人に比べ長身とされるが、話す言葉も同じ
バンツー語系で、一見しただけでは見分けはつかないという。そん
な両民族によるブルンジ内戦はもう七年に及んでいる。(タンザニ
ア・アルーシャ共同=金子大)
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