投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 8 月 13 日 00:17:18:
回答先: 明け方まで新聞読みふける=半世紀ぶり帰国のハンガリー人元戦争捕虜(時事通信) 投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 8 月 13 日 00:07:47:
ロシア国内の精神病院に収容されていた第二次大戦の戦争捕虜の男性が11日、半世紀ぶりに故郷のハンガリーに「復員」した。この男性は記憶障害で、ロシアでは長年、ハンガリー人ということすら、理解してもらえなかったという。悲惨な歴史の犠牲者として、ハンガリー国内では大きな話題となっており、政府が懸命に親類などを探している。
出征から半世紀を経て故郷に戻ったのは、アンドラス・タマスさん(75)。タマスさんは、第二次大戦中、ナチス・ドイツによって組織された約15万人のハンガリー人部隊の一員で、ロシアのドン川流域で戦ったとみられる。この部隊は、ソ連軍によって撃破され、約9万人が戦死、生存者の多くも酷寒の中で凍死するという悲惨な運命をたどった。
タマスさんはソ連軍の捕虜になり、列車でシベリアの強制収容所に送られたが、記憶障害の症状に気づいた警備兵によって列車から下ろされ、1947年、秘密警察によって、ロシア・コテルニクの精神病院に連れてこられたいう。
◎偶然にハンガリー人と判明
タマスさんのハンガリー語のつぶやきはだれもに理解できず、病院関係者は長年、ハンガリー人であることさえ、知らなかった。偶然、ハンガリー語が分かるロシア人がタマスさんの言葉を耳にして、ハンガリー人医師にタマスさんを診察させ、ようやくタマスさんがハンガリー人と判明した。
ロシア側にもタマスさんの名前と年齢以外の資料はなく、ハンガリー当局は、タマスさんの身元が完全に判明したわけではないとしているが、人道的配慮から、タマスさんにパスポートを発行することを決めたという。
◎「感情や知識は1940年代で止まったまま」
タマスさんは飛行機でモスクワからハンガリーの首都、ブダペストに到着した。同行した医師によると、タマスさんは機内でもハンガリーについて話すことはなく、ブダペストに着陸した際、「見て下さい。ハンガリーに帰ってきましたよ」と声をかけても、特に目に見える反応は示さなかったという。
タマスさんは3年前に右足の切断手術を受けており、機内でも「いつ足は戻ってくるんだ」とだけ、話していたという。ロシア側の医師によると、「タマスさんの感情や知識は1940年代で止まったまま」という。
今のところ、ハンガリー国内でタマスさんの親類などは見つかっていない。ハンガリー政府は、タマスさんを最低2カ月、病院に収容するとしているが、もし親類が見つからなければ、老人ホームで余生を送ることになるという。