投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 8 月 11 日 08:10:29:
回答先: ユダヤ人虐殺:スイス政府が弾圧知りつつ黙殺 史家の調べ(毎日8/11) 投稿者 FP親衛隊國家保安本部 日時 2000 年 8 月 11 日 00:43:06:
スイス政府の外交文書編さん委員会委員、ブルジョワ氏の調査によると、スイス情報機関は42年2月27日、スイスに亡命したナチス兵から目撃情報を入手。ナチスが41年6月、侵略を始めた旧ソ連でのユダヤ人虐殺の詳細な情報を得、政府に報告した。
亡命兵は、ナチスがユダヤ人壊滅を誓った1ヶ月後の42年2月17日、モスクワの南260キロのオレル郊外で、ナチス親衛隊が現地のユダヤ人を搬送するのを目撃した。ユダヤ人らは10数人ごとに深さ2メートル、長さ10数メートルの穴を掘らされ、「缶詰のイワシのように」中に互い違いに寝るよう命令された。
この後、親衛隊は自動小銃で射殺。ユダヤ人らは、嘆き悲しみ、身を守ろうとしたが、同じことが、数回繰り返された。また亡命兵は同じ頃、ウクライナでナチスが、現地のユダヤ人に深さ2メートルの穴を掘らせ、穴の前に目隠しなしでひざまずかせ、一人ずつ10メートル後方から射殺したことも目撃、計500人が殺されたという。
一方、同年5月にスイス政府は、ロシア国境で、貨車に載せられたユダヤ系ポーランド人たちが、大量に窒息死させられたという、衝撃的な写真も入手した。ケルン(ドイツ)領事が入手、本国に送ったとされるが、スイス側は極秘扱いにしていた。
スイス政府は42年8月、「国内の食料事情や、国の安全保障を考えると、ユダヤ人を国境で追い返すべきだ。数回侵入した者は、ナチス側に引き渡す」との政策を決定。大戦中、虐殺を恐れ入国を求める2万人以上のユダヤ人を追い返した。
ブルジョワ氏は「スイス政府は、ユダヤ人虐殺についていち早く、詳細な情報を得ていた。追い返された人々の多くは、強制収容所で虐殺されたはずだ」と話し、当時の政策を批判している。