投稿者 8月16日付け産経社説【靖国参拝】 日時 2000 年 8 月 17 日 06:46:06:
五十五回目の終戦記念日の十五日、森喜朗首相は靖国神社への参拝を行わなかった。一方で石原慎太郎都知事は、都知事として初めての公式参拝に踏み切った。われわれは石原知事の姿勢を高く評価し、支持したい。
森首相は国会答弁で靖国参拝について「公的にしろ、私的にしろ、自主的に考えたい」と述べていたが、結局は参拝しなかった。自民党の野中広務幹事長が座長をつとめる靖国問題懇談会がこの問題の結論を出していないことや、中国など近隣諸国の反応に配慮した結果だとされる。森内閣の閣僚十八人のうち、事前に行った人を含め十人が参拝したが、このうち、公的な立場での参拝を明言したのは保岡興治法相ら、ごく少数であった。
もっとも、公式参拝か私的な参拝かを区別するのは、本来はナンセンスなことというべきだろう。現在の国政を担当する責任ある立場の政治家が、国のために殉じた人々を慰霊するというのは、しごく当然のことなのだ。
われわれは、森首相の今回の姿勢をきわめて遺憾に思う。首相が参拝を断念したのは、A級戦犯の合祀(ごうし)を非難する中国などの反発をおそれたものだろう。
だが、国家に一命をかけたという事実はA級戦犯も一般兵卒も同じではないか。まして、A級戦犯というのは、戦勝国側が敗戦国を一方的に裁いた東京裁判によって断じられたものなのだ。これが大方の日本人に共通する感慨ではないだろうか。
戦争で国に命をささげた人々をどのように慰霊するかは、それぞれの国の固有の文化であって、他国が口出しすべきではない。まして、一定の政治的思惑に基づく中国などの抗議のしり馬に乗って、首相らの靖国参拝を阻止しようとする勢力が日本国内に存在するということは、きわめて残念といわなくてはならない。これを鼓舞するがごとき“反日メディア”にも、この機会に猛省を促したい。
石原知事はこうした風潮に対して、事前の記者会見で「何で公人として、あそこに行ってはいけないのか。そろそろ、日本全体がそういう訳のわからない迷妄から覚めた方がいい」といった趣旨の発言をしている。これがまっとうな常識というべきであろう。
参拝した安倍晋三官房副長官は「わが国のために一命をなげうった英霊に対し、尊崇(そんすう)の念をもつのは当然だ」と述べたという。「尊崇」という最大級の言葉を用いた安倍氏の心境には、多くの日本人が共感を覚えるのではないか。